第15話 ミッドサマー
映画紹介
公開年:2019年
監督:アリ・アスター
主演:フローレンス・ピュー
家族を失ったダニーは、恋人クリスチャンらと共に、スウェーデンの山奥にある共同体「ホルガ」の夏至祭へ招かれる。九十年に一度開かれる祝祭。美しい花畑、白い衣装、穏やかな村人たち。だが、明るい太陽の下で続く儀式は、次第に異様な姿を見せ始める。
「今日は『ミッドサマー』」
「夏至か」
「そう。夏至の祭の話」
「祭りの話か。楽しげでよいな」
ゼウスはテーブルに置いた牛丼を見た。
ゼウスが俺を見る。
ゼウスは牛丼の器を持ち上げ、眉を寄せた。
「おい少ないぞ」
「今日は小盛り」
「なぜだ」
「デザートがちょっと重いから」
「何を出す」
「映画を見てからのお楽しみ」
「隠す必要があるのか?」
「ある」
ゼウスは不満そうに牛丼を食べ始めた。
俺は映画を再生した。
*
雪に覆われた町。
ダニーは家族全員を一度に失った。
泣き崩れる彼女を、恋人のクリスチャンが抱きしめている。
だが、その目はダニーを見ていない。
ゼウスは何も言わなかった。
季節が変わる。
クリスチャンは友人たちと、スウェーデンの夏至祭へ行く予定を立てていた。
彼らを招いたのは、故郷に帰るペレだ。
「随分と田舎に行くのだな」
「北欧を田舎扱いするのやめろ」
「バルバロイの国だろ?」
「やめないとデザート抜きだぞ」
ゼウスは口を閉じた。何事もなかったように画面へ視線を戻す。
「この男が客人を連れて帰るのか」
「あからさまに話題変えたな。まあ、そうだ」
「ならば、客の安全はこの男の責任だ」
「クセニアだっけ」
「覚えていたか」
「何度も聞かされたからな」
クリスチャンは、成り行きでダニーも旅行へ誘う。
「この男、女を誘いたくなさそうだな」
「別れようとしてたから」
「では、なぜ誘う」
「ここで置いていったら悪者になるからじゃないか」
「その考え方の時点で良い男には見えぬぞ」
「本人だけが認めたくないんだよ」
*
スウェーデンへ着いた一行は、ホルガへ入る前の草原で仲間たちと合流した。
そこで幻覚作用のあるキノコを勧められる。
ダニーは周囲に合わせて口にする。
草が波打ち、木々が呼吸する。
「幻覚を見るキノコか。なぜ断らん」
「断りづらかったんだろ」
「客へ断りにくい物を出すのは、もてなしではない」
「お前、そこは厳しいな」
*
ホルガへ到着する。
青空。草原。花。
白い服を着た村人たちが、一行を笑顔で迎えた。
同じ場所に集まり、長い食卓を囲む。
ゼウスが村を眺める。
「客を迎える用意は整っている」
「気に入った?」
「田舎の祭りにしては、よいのではないか」
「古代ギリシャの地理感覚を現代に持ってくるなよ」
歌が始まる。
酒が注がれる。
村人たちは決められた所作で席へ着き、一斉に杯を持ち上げた。
壁には見慣れない文字や絵が並んでいる。
「作法が細かい村だな」
「お前の祭はそうじゃないの?」
「供犠や行列にはな。だが、ここでは村人全員が神官のように動いている」
「村ぐるみなんだよな」
「村そのものが祭祀を担っているのだろう」
ゼウスは村人たちの動きを目で追った。
まだ、客を迎える祭に見えているらしい。
*
食事の後、村人たちは崖の下へ集まった。
頂上には二人の老人が立っている。
老女が手を切り、岩へ血を塗った。
「何の儀式だ?」
「見てろ」
老女が崖の縁へ立つ。
次の瞬間、自ら身を投げた。
鈍い音が響く。
ゼウスの手が止まった。
「……自ら飛んだぞ」
「見れば分かる」
「誰も止めぬのか、この村は」
続いて老人も飛ぶ。
だが死に切れない。
地面に横たわった老人へ、村人が大きな槌を持って近づく。
ゼウスが眉を寄せた。
槌が振り下ろされた。
一度。
もう一度。
周囲の村人たちは、その光景を静かに見届けている。
儀式の後、長老が説明する。
ホルガの者は人生を季節に分け、七十二歳で生を終える。
「自ら決めた死なら理解はできる」
「できるのか」
「死に方を選ぶ者はいる。だが年齢だけで全員を同じ日に捨てるのは愚かだ」
「働けなくなるからじゃないか」
「老人に腕力を求めるな。知恵を求めろ」
ゼウスら目を細めて続けた。
「トロイアにはアンテノールという老臣がいた。ヘレネを返して戦を終わらせろと進言した男だ」
「トロイア関連でまともな人っていたんだな」
「失礼だぞ。否定しづらいが」
「お前もスウェーデンに失礼だからお相子だ」
*
一緒に招かれたサイモンとコニーは激怒し、村を出ると言い出した。
「当然だ」
ゼウスが言う。
「客へ見せる儀礼なら、先に内容を伝えよ」
「先に説明したら断られるからな」
「ならば見せるな。客を驚かせておいて、我らの習わしだと開き直るな」
「こいつら何でも『私たちの習慣です』で済ませるんだよ。職場でも見る技だ」
「お前の職場は崖から老人が落ちるのか?」
「そう言う意味じゃねーよ」
翌朝、サイモンは先に駅へ送られたと説明される。
婚約者のコニーを残したまま。
「そんな男なのか?」
「さあな」
ゼウスは残された荷物を見た。
「客の荷まで置いていくのか。妙だな」
コニーも後を追おうとする。
だが、その姿も見えなくなった。
*
マークが草原の端で立ち小便を始めた。
村人の一人が血相を変えて駆け寄る。
そこには、亡くなった先祖を象徴する聖なる木が横たわっていた。
「聖なる木へ小便をしたぞ」
「知らなかったんだよ」
「知らぬ土地では、まず勝手に小便をするな」
「最低限の教訓だな」
「客にも守るべき作法はある」
夜には、ジョシュが禁じられていた聖典を撮影しようとした。
「今度は神聖な書を盗み見るか」
「論文に使いたいらしい」
「許しを得ずに持ち出せば盗人だ」
ゼウスは暗い部屋を見た。
背後に人影が現れる。
次の瞬間、ジョシュは殴り倒された。
画面に現れた男は、マークの顔を仮面のように被っていた。
ゼウスが身を乗り出す。
「顔を剥いだのか?」
「たぶんな」
「罰が重すぎるだろう」
「小便の恨みが深い」
「木を清めれば済む。客の皮を剥ぐな」
「そんな標語を必要とする生活は嫌だ」
*
壁画には、少女が男へ恋の術をかける方法が描かれていた。
自分の陰毛を食物へ入れ、経血を飲み物へ混ぜる。
ゼウスが目を細める。
「ずいぶん直接的な恋の術だな」
「それで済ませていいのか」
「食わせられる男が気づかなければな」
後日、クリスチャンの前へ一切れのパイが置かれた。
彼は一口食べる。
切り口から毛が出ている。
ゼウスが即座に指をさした。
「毛を隠し損ねているぞ」
「見えてるな」
「術以前に料理が下手だ」
隣に置かれた飲み物だけ色が違う。
クリスチャンも不審そうに見ている。
「相手に怪しまれているではないか」
「一応、術は効いてるんじゃないか」
「キルケーなら、杯を飲み干して獣になるまで術と気づかせぬ」
「比較対象が強すぎる」
「毛を見つけられるよりは上だ」
「魔術の採点が厳しいな」
*
五月女王を決める舞踊が始まった。
女たちは花冠をつけ、柱の周りを踊り続ける。
薬の入った飲み物が配られ、音楽は止まらない。
一人ずつ転び、輪から外れていく。
ゼウスが少し楽しそうに見ている。
「やっと祭りらしくなったな。ディオニュソスなら喜ぶ」
「酒と陶酔の神だっけ」
「酒、歌、踊り。倒れるまで続ける」
「何日飲むんだ」
「三日ほど」
「長いな」
「祭の終わりは皆同じだ」
「倒れるのか」
「うむ」
最後まで踊り続けたのはダニーだった。
巨大な花冠を載せられ、五月女王として迎えられる。
「競技で勝ち、冠を得た。それなら女王と呼ぶ理由は分かる」
「急に機嫌よくなったな」
「正しく勝った者を称えるのは当然だ」
*
その頃、クリスチャンは薬を飲まされ、一人で建物へ導かれていた。
部屋には裸の女たちが並び、中央ではマヤが待っている。
この場面を忘れていた。
気まずい。
ゼウスは平然と見ている。
「子を作る儀式か」
「冷静だな」
「珍しくはない」
儀式が始まる。
周囲の女たちは呼吸と声を合わせ、マヤの動きを支える。
ゼウスが人数を数えた。
「いや、多い。二人で十分だ」
「圧がすごいな」
「呼吸と声を合わせ、女の苦痛まで全員で負うつもりか」
「男の方にも相当な圧がかかってるぞ」
クリスチャンは意識も足取りも定まらない。
ゼウスの顔から笑いが消えた。
「客へ薬を飲ませ、逃げ道を塞ぎ、子を作らせるか」
「祭の儀式らしいぞ」
「これは儀式とは呼ばない。罠だ」
「お前の神話を考えると凄まじい皮肉に感じるんだけどな」
「無礼な。私は薬など使ってない!」
「いや、そこじゃない」
*
ダニーは建物の中を覗き、クリスチャンとマヤを見た。
その場から逃げ出し、床へ崩れる。
村の女たちが彼女を取り囲んだ。
ダニーが泣けば、女たちも泣く。
ダニーが叫べば、全員が同じ声で叫ぶ。
呼吸まで揃っていく。
ゼウスは黙って見ていた。
「悲しみを一人に背負わせぬのか」
ゼウスは泣き叫ぶ女たちを見る。
「一人で泣かせるより、抗いにくい」
「慰めながら囲んでる」
「この娘を村の中心へ置いたな」
「家族みたいにか?」
「家に見えるものが、家とは限らぬ」
*
最後の儀式が始まる。
供物は九人。
外から招かれ、すでに殺された四人。
崖から落ちた老人二人。
自ら名乗り出た村人二人。
そして最後の一人は、五月女王が選ぶ。
抽選で選ばれた村人か。
薬で身体を動かせなくなったクリスチャンか。
ゼウスの眉が寄った。
「村の者には、自ら命を差し出す道がある。客には道を与えないのか」
「クリスチャンは選べないな」
「それを同じ供物としては数えられん」
ダニーは迷った末、クリスチャンを選んだ。
「この村は、この娘にも血を負わせたか」
「仲間にするため?」
「戻る場所を焼いたのだ」
クリスチャンは殺された熊の腹へ詰められる。
ゼウスが顔をしかめた。
「なぜ熊へ入れる」
「知らん」
「熊にも男にも失礼だ」
*
黄色い神殿へ、九人の供物が運び込まれた。
そこでペレは、外から客を連れてきた功績を称えられる。
ゼウスの顔が止まった。
「待て」
「どうした」
「客を招いたのではない。供物として運んだのか」
「そういうことだな」
ゼウスはペレを見た。
「クセニアを餌に使った。この男は許せぬ」
「殺した奴らより?」
「客人は、主人が守ると信じて家へ入る。その信頼を使って祭壇へ運ぶなど、盗賊より悪い」
「祭のためでも?」
「神へ捧げる供物なら、正しく選べ。騙して連れてきた人間を並べ、神聖な祭の顔をするなどあってはならん」
「また嫌な標語が増えた」
「紙に記し『客の顔を剥がない』の横に貼れ」
神殿へ火が放たれた。
炎が柱を包む。
閉じ込められた者たちが叫ぶ。
外にいる村人たちも、同じように叫び、身をよじる。
「苦痛まで共に負う形は作ったか」
「徹底してるよな」
「だが、外から奪った命まで自分たちの痛みに変えている」
「この辺はもう俺にはわからん。神から見たらどうなの?」
「許されぬ。叫ぶだけで客人の死が自分たちのものになるなら、英雄の葬儀で泣く者は全員英雄になる」
炎が天井へ届く。
ダニーは泣きながら見ていた。
やがて、その顔に笑みが浮かぶ。
画面が暗くなった。
*
俺はリモコンを置いた。
「どうだった?」
ゼウスは腕を組んだまま、黒い画面を見ていた。
「祭の形は整っていた。歌も舞踊も女王も供犠もある」
「褒めてる?」
「いや」
ゼウスは首を横へ振った。
「客を騙して捧げた時点で祭ではない。神の名を使った殺しだ」
「供犠そのものは否定しないんだな」
「正しい供物を、正しい手順で捧げるならな。客人を熊へ詰める作法など知らぬ」
「そこは俺も知らん」
*
俺は冷蔵庫から箱を取り出した。
「約束のデザート」
蓋を開ける。
チェリーパイ。
ゼウスの動きが止まった。
「……待て」
「スーパーで買った」
ゼウスは箱をじっと見る。
「血は?」
「入ってない」
「毛は?」
「入ってない」
「呪いは?」
「魔女が作ってない」
ゼウスは疑いながら一口食べた。
静かに噛む。
もう一口食べる。
「……うまい」
「だろ」
「普通の菓子ではないか」
「普通だからな」
ゼウスは切り口を確かめてから、残りを食べた。
「それにしても、あの娘の魔術は下手だった」
「まだ言うのか」
「相手へ術を悟らせた時点で負けだ」
「まあ、魔術にも腕前があるんだと知れたよ」
最後の一口を飲み込む。
「当然だ。全く洗練されておらん。これだから田舎は」
「結局その感想なんだな」
神話メモ
◾️キルケー
ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』に登場する女神で、魔術や薬草に通じた存在として知られる。島を訪れたオデュッセウスの部下たちへ薬を混ぜた酒を飲ませ、杖の力で豚へ変えた。オデュッセウスには神ヘルメスから与えられた薬草があったため、術が効かなかったとされる。
◾️アンテノール
トロイア王プリアモスに仕えた老臣。トロイア戦争では、ヘレネと財宝をギリシャ側へ返し、戦争を終わらせるべきだと主張した。敵国から来た使者を屋敷へ迎え、危害から守った人物としても語られ、思慮と客人への礼節を備えた老人として知られる。
◾️ディオニュソスと祝祭
ディオニュソスは葡萄酒、陶酔、演劇、豊穣などを司る神。ディオニュソスへ捧げる祭礼では、葡萄酒、合唱、舞踊、仮面、行列などが重要な役割を担った。アテナイで開催された大ディオニュシア祭では悲劇や喜劇が上演され、都市を代表する宗教行事となった。
◾️クセニア
古代ギリシャにおける客人歓待の規範。主人には旅人を迎え、食事や宿、安全を与える義務があり、客にも主人の家や財産を害さない義務があった。ゼウスはゼウス・クセニオスの名で旅人と客人の秩序を守護し、クセニアを破る行為は神々の怒りを招くと考えられた。
◾️古代ギリシャの供犠
古代ギリシャの供犠では、牛、羊、山羊などの家畜を神へ捧げることが一般的だった。動物は祭壇で処理され、一部を神へ焼いて捧げ、残る肉を参加者が分けて食べた。神話や悲劇には人身供犠も登場するが、通常の都市祭祀と同じ慣行ではなく、極端な危機や残酷な過去を示す物語として扱われることが多い。




