第2話 不眠の剣聖リリス
「リリス。女が鉄の塊を振り回して戦うなど、見るに堪えん。お前は美しく着飾って、俺の妻になればいいのだ。剣を捨て、俺の帰りを大人しく寝室で待つ――それこそが、女にふさわしい、唯一無二の幸せというものだぞ?」
王宮の、無駄に豪華な応接室。そこで第一王子ジークが放った言葉を思い出すたび、私の拳は今でも「ミシミシ」と不穏な音を立てて震える。
思い出すだけで、頭の奥に錆びた釘を打ち込まれたような、鋭い痛みが走る。あいつの顔は、私にとって片頭痛のトリガーそのものだった。
私は、王国史上初となる女性の【剣聖】だ。
自分で言うのもなんだが、剣の才能だけは人並み外れていた。
大好きな剣をひたすら振り回し、凶悪な魔物を切り伏せていたら、いつの間にか国で一番強い剣士なんて呼ばれるようになっていた。
だが、その活躍がジーク王子の目に留まってしまったのが、私の人生最大の不運、あるいは呪いだった。
王子は私の容姿が気に入ったとかで、執拗な求婚を始めた。
「剣を置いて、俺の嫁になれ」「剣を置いて、俺の嫁になれ」「剣を置いて、俺の嫁になれ」
――ふざけるな!
剣を振ることこそが私の命であり、存在証明だ。それを「捨てろ」だなんて、私という人間を否定しているのと同じだ。
当然、私は『お断りします。私は一人の剣士として生きていきたいのです』と、字面上丁寧に、かつ断固として、そして全力の殺意を込めて拒絶した。
だが、ジーク王子は諦めなかった。
自分の欲望が通らないことが理解できない彼は、宰相や汚職にまみれた官僚らを動かし、私に「お仕置き」という名の陰湿な嫌がらせを開始した。
「婚約を承諾するまで、城で大人しく待機していろ」
下されたのは、騎士団の遠征やダンジョン探索への参加を禁じる、王城への軟禁命令だった。
大好きな剣を振るう機会を奪われ、城という鳥籠に閉じ込められた私のストレスは、限界という名の防波堤をあっさりと決壊させた。
朝から晩まで王子の独りよがりな愛の囁き(という名の呪言)を聞かされ、国の上層部からは無言の圧力を受け続ける日々。
結果として、私は重度の「ジーク王子アレルギー性不眠症」を発症してしまった。
……もう、我慢の限界。これ以上ここにいたら、王子の首を飛ばして私も死ぬことになる!
爆発した私は、自室のテーブルに一枚の書き置きを叩きつけた。
『ちょっとストレス発散にダンジョンで暴れてきます。数日中には戻りません。追伸、王子の顔を見ていると嘔吐感がすごいので、視界に入らないでください』
我ながら、あまりに素直で破壊力のある悪態だったと思う。
私は深夜の警備を「物理的」に潜り抜けて王城を脱出し、そのまま王都郊外の地下ダンジョンへと単独で突入した。
そこで、剣を思う存分に振るえる素晴らしい時間が待っている……はずだった。
誤算があった。
どうして忘れていたのだろう。私には剣の才能と引き換えに失った、致命的な弱点があった。
「……ここ、どこかしら?」
私は、悪魔に呪われたレベルの「方向音痴」だったのだ。
これまでは騎士団の一員として、他人に付いて回るだけだった。
だから、自分に地図を理解する能力が微塵も備わっていないという事実に、向き合う機会がなかった。
一人で潜るダンジョンは、どこを向いても同じような岩肌にしか見えない。
おまけに単独探索ゆえに、交代で不寝番をしてくれる仲間もいない。
時折湧き出るモンスターを八つ当たり気味に切り伏せながら、不眠症で朦朧とする頭で、私は永遠に迷子になり続けた。
私の睡眠不足は、すでに生物としての限界が見え始めるほど極限に達していた。
◇
ここはダンジョンの十層。王宮を飛び出した俺は、我が安眠の為に「貴重な素材」を提供してくれる獲物と相対していた。
目の前で巨大な翼を広げているのは、十層の主である『シャドウ・アウル(夜鳴き鳥)』。
本来なら中堅の冒険者パーティが綿密な作戦を立てて挑むべき強敵だ。戦闘能力が「もやし」レベルの魔道具師である俺が、正面から戦って勝てる相手ではない。
キィィィィアアアアアッ!
シャドウ・アウルが鋭い咆哮を上げ、魔力を込めた超音波を放ってきた。まともに食らえば脳がシェイクされ、一瞬で廃人コース行きだ。
だが、俺は慌てない。すかさず、アイテムボックスから一枚の美しい結晶板を取り出した。
王宮にいた頃、血の滲むような残業代を投じて購入した希少素材を使い、コツコツと作り上げた、使い捨ての贅沢魔道具。
その名も――『マジック・キャンセラー(魔力無効結晶)』。
「……これで最後の一枚か。安眠を手に入れるための経費としては、高すぎるな」
俺が結晶を砕くと、それは激しい光を放ち、周囲の魔力構造を強制的に「一時停止」させた。
シャドウ・アウルの放った超音波攻撃の要は魔力にある。これを停止させれば、その攻撃が霧散するのは必定だった。
それだけではない。魔物にとって魔力とは、力の源そのもの。急激な魔力喪失によって、シャドウ・アウルがただのデカい鳥になり果てる。
そこへ俺は、二の矢を放つ。捕縛魔道具『グラビティ・ネット(重力魔導網)』を投げつけた。
ドサッ、と網がボスを包み込み、十倍の重力負荷がその巨体を地面にめり込ませる。羽ばたくことすらできなくなったシャドウ・アウルは、哀れな鳴き声を上げる。
「悪いけど、お前には極上の「枕」に生まれ変わってもらう」
きっと未だ誰も口にしたことのない死刑宣告と共に、俺はシャドウ・アウルにトドメを刺した。
「はぁ……。これで、手持ちの強力なカードを使い切ってしまったな。十層のボスの『極上羽毛』は手に入ったが……」
俺はシャドウ・アウルの亡骸から、最も柔らかい胸元の羽毛を丁寧に、愛おしむように採取した。
これで「究極の枕」の材料は揃ったが、同時に「ソロ戦闘での切り札」も底をついたことになる。
他の至高の寝具を作成するには、さらに深い階層の素材が必要だ。だが、切り札を使い果たした俺には、もうボスを一人で倒す力はない。
いや、至高にさえこだわらなければ。工房を出る際に持ってきた素材の数々と、今しがた手にした極上羽毛を使えば。かなりの性能を持った、それはそれは素晴らしい寝台を作ることが出来るだろう。
ハッキリ言って、現時点でも国王の寝台よりも性能のいい寝台を作ることが出来ると思う。
それだけの素材と、魔道具師としての腕前が俺にはある。
だが、至高の寝台と呼ぶには、ほど遠い。
「もっと極上の寝具を充実させたい……。そう、至高の睡眠のために」
どうする? 俺の独力で届かないなら、仲間を募る?
そう、更なる深層へ行くために、俺の身を守ってくれる、圧倒的に強力な――それでいて俺の睡眠を邪魔しない――護衛がいれば……。
「そんな都合の良い人間が、いるわけもないか……」
ため息を一つ。俺は採取した羽毛を大事にカバンに詰め、ひとまず十五層の安全地帯へと急いだ。
あそこに手持ちの素材で作成した寝台を設置し、まずは思う存分眠ろう。
今後のことは、起きた後に脳がまともに動くようになってからだ。
ユーインが十五層へと下りていく、その少し前。
十層の暗闇の奥から、ゾンビのように彷徨い《さまよい》出る人影があった。目の下に「死相」とも呼べる最悪の隈を作った剣聖リリスだ。
彼女もまた、さらに深い下層へとフラフラ足を踏み入れようとしていた。
安眠を求める二人の魂が、最下層へ向かう重力に引かれるように、一箇所へと集まりつつあった。
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