第3話 夜鳴き鳥の極上枕
ダンジョンの地下十五層。
ここは本来、深層へと挑む冒険者たちが、血と汗にまみれた戦闘の合間に、束の間の休息を取るための「安全地帯」である。
地熱によって常に生暖かい温風が吹き出すこの場所は、過酷な迷宮において数少ない安息の地とされる。
だがそれは、あくまで「他の地獄のような階層に比べて、多少はマシ」という消去法的な評価に過ぎない。
しかし、現在の十五層には、ダンジョンの常識を根底から――それこそ地殻変動レベルで覆す異様な光景が出現していた。
「これでよし。我ながら完璧な仕事だな」
俺は、額の汗を拭いながら満足げに息を吐いた。
目の前には、元・宮廷魔道具師の技術の粋を費やした傑作が鎮座していた。
残業代を費やしコツコツ貯めた貴重な素材と、十層で手に入れた『シャドウ・アウル』の極上羽毛、そして現地調達した丈夫な木材を組み合わせ完成したのは、規格外のベッドに他ならない。
魔力による精密な補強を施したベッドフレームは、どれほど寝返りを打っても一切のキシみを発しない。
マットレスや布団は、市場で購入した上質のアメリア綿を、俺が魔導温風で均一にほぐしてやった結果、まるで雲を掴んで形にしたかのようだ。
勿論、魔道具師の俺が作ったわけだから、ただ寝心地の良い寝台というわけではない。
快眠を約束するのはもちろん、ここでひと眠りするだけで、各種バッドステータスを緩和し、翌日一日の各種パロメーターへの微バフ効果などなど、ただのベッドとは思えない付加効果を与えている。
ハッキリ言って、どこの王侯貴族でも、こんな寝台を持っていないだろう。国宝級の代物と言っても過言ではない。
……が、それもこの「枕」と比べれば見劣りしてしまう。
【夜鳴き鳥の極上枕★★★】
効果:この枕で就寝すれば、あらゆる頭痛・肩こり・首こりを完全快癒。目覚めてから16時間の間、体力・魔力を2倍に増強。
俺の作った他の寝具が国宝級なら、この枕はもはや神話級の寝具だった。
「深層にある他の素材も手に入れられれば、枕以外の寝具も神話級のそれにランクアップ可能なんだがな……。いや、無いものねだりか」
俺は首を横に振ると、更なる作業を開始する。
寝台を作って終わりではない。俺の快眠への執着は、これで良しとはならない。
地表から噴き出してくる温風を制御するための魔法陣をベッドの直下に敷き詰め、蒸し暑さからはオサラバ。
漆喰の壁で寝台の周囲を囲い、美しいマホガニーの扉を設置して、ダンジョンの岩肌の中に「寝室」を構築した。
やはり、「眠り」とは最も私的な行為だ。プライバシーは大事である。これで通りがかる冒険者の無遠慮な視線に晒されることはない。
ただ、鍵は付けない。そんなもの付けても、冒険者がその気になれば、扉を蹴破ってくるだろう。
代わりに、人間の悪意を感知して自動迎撃する魔法トラップを施す。
仕上げに、寝室内に精神を安定させるラベンダーに似たハーブのアロマを焚く。
――この光景がどれほど異常なことか、普通の冒険者が見れば驚愕すること間違いなしだろう。
冒険者は、いつ暗闇から魔物が襲ってくるかもわからない恐怖と戦いながら、湿った冷たい地面に薄い毛布一枚を敷き、武器を抱きしめて震えながら眠るのだ。ダンジョンとは死と隣り合わせの、いわば剥き出しの地獄なのだから。
それなのに、薄暗い岩肌の空洞に、場違いなほど美しく磨かれたマホガニーの扉が屹立している。
その扉をくぐれば、程よい室温に、アロマの香り、極めつけは巨大な天蓋付きベッドが鎮座しているのだ。
客観的に見て、俺の執着は完全に狂っていた。だが、眠れない人間にとって、正気などは安眠を手に入れた後に考えるべき些事に過ぎない。
「……素晴らしい。やはり、睡眠こそが全宇宙の真理。生命活動の基本だ」
思えば王宮での三徹、この十五層までの強行軍で二徹と、五日間も俺は寝ていない。錬金術師の真似事で作った「眠○打破」のドリンクで体を騙すのも限界だ。
ここまで頑張ったのだ。誰よりも良質な睡眠を享受しても許されるだろう。
俺は重い衣服を脱ぎ捨て、ナイトウェアに着替えてベッドへと潜り込んだ。
途端、全身が優しく空中へ浮かぶような感覚に包まれる。脳内にこびりついていた疲れが、じゅわっと溶け出していくのが分かる。
「おやすみなさい、理不尽な世界……」
俺は瞼を閉じ、一瞬で深い深い、海底のような眠りの底へと沈んでいった。
◇
「……あ、あつい……でも、頭が割れそうに痛い……寒気もする……」
私は、もはや大剣を引きずりながら、ボロボロの体で歩いていた。
記憶は、十層あたりから曖昧だ。
呪われたレベルの方向音痴のせいで迷子になり、不寝番を頼める仲間もおらず、まともに目を瞑ることもできないまま。ただ機械的に目の前の魔物を切り伏せて、ここまで下りてきた。
限界を何度も通り越した睡眠不足のせいで、視界はゼリーのようにぐにゃぐにゃと歪み、思考はぐるぐると空回りするばかり。
「もう……だめ……。どこでもいい……冷たくない、平らな岩を……」
ようやく安全地帯の広場にたどり着いた。
「……んん?」
かすむ視界の先に、ごつごつした岩壁にはおよそ似つかわしくない、美しいマホガニーの「扉」がぽつんと設置されているのを見つけた。
「……幻覚かしら……こんな所に扉なんてあるわけもないのに……」
私は、導かれるようにその扉に手をかけた。すると、非人間的な声が響く。
『サーチオン……悪意を感知せず。迎撃モードをオフに』
どういう…意味だろう……? 首を傾げるが、もう思考する余裕もない。
手首をひねる。ガチャリ、と場違いなほど滑らかにノブが回り、扉が開く。
その瞬間。私を包み込んだのは、ダンジョンの嫌な空気ではなく、温かく清らかなハーブの香りだった。
扉の奥には、薄暗い暖色の光に照らされた、静かで温かい寝室。そして、巨大で、ふかふかそうな、真っ白なベッド。
「……あ……」
手から、がしゃん、と愛用の大剣が滑り落ちた。騎士としてあるまじき失態だが、今の私にはどうでもよかった。
私は一歩、また一歩とベッドへ吸い寄せられる。
ベッドに入る前の習慣からか、無意識の内に無骨な鎧を外し、厚手の皮の上着とズボンも脱ぎ捨て、薄い肌着だけとなった。
そのまま磁石に引かれる鉄屑のようにベッドの上に倒れ込んだ。
バサッ、と清潔なシーツの上に私の体が崩れ落ちる。その瞬間、体中からすべての緊張が、雪解け水のように消え去った。
何日も私を苦しめていた頭痛が嘘のように引き、滑らかなシーツが私の疲弊しきった肌を恋人のように優しく包み込む。
ジーク王子の嫌味な笑顔も、宰相たちのねちねちとした小言も、すべてが暗闇の彼方へと洗い流されていく。
あったかい……やわらかい……なに、これ……私、死んで天国に来たの……?
私は、布団に潜り込むとシーツに顔をうずめる。意識を完全に手放した。
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