魔法学園の天才と、10ミリの神業
王都アルカディアの喧騒を離れた、緑豊かな一角にある「王立魔導学園」。
空を仰ぐ尖塔と、幾重にも重なる結界に守られたその場所は、この国のエリートたちが集う知の聖域だ。そんな場所に、場違い極まりない格好をした俺――カンタと、肩をすくめた助手・ミロの姿があった。
「兄貴、本当にここでいいんですか? 俺、なんかすごく視線が刺さるんですけど……」
「我慢しろ、ミロ。報酬がいいんだ。学園からの緊急依頼なら、少なくとも半年分はパンを買い溜めできる」
依頼主は、学園で最も権威ある魔導技術学の教授だった。
学園で「天才」と謳われる学園長の令嬢、リゼットが手掛けた卒業制作――「永久機関の魔導炉」が、起動直前に必ず暴発するというのだ。学園中の一流魔術師が総出で修復を試みたが、彼らの大魔法は装置の内部の精密な構造を破壊するばかりで、事態は悪化する一方だった。
特別研究室には、装置の前に座り込み、悔し涙を拭うリゼットの姿があった。銀色の髪を乱し、完璧主義の彼女にしては珍しく、その指先は煤で汚れている。
「計算は合っているはずなのに……なぜ起動直前に臨界点を超えるの!」
リゼットは俺を一瞥すると、露骨に不服そうな顔をした。
「あなたが『便利屋』? 装置の構造も理解できない庶民に、何ができるというのよ」
俺は無視して、装置に歩み寄った。距離1メートル。視界良好。
俺のギフト【10mm動かす力】を起動する。
装置の内部を凝視した瞬間、俺の脳内に違和感が走った。
魔導回路の至るところに、何者かが仕掛けた「隠蔽」の跡がある。他国のスパイが使役する『ブラインド(視界隠蔽)』のスキルだ。本来の回路とは別に、魔力を暴走させるための小さな細工パーツが、スキルによって認識阻害されていた。
「……なるほど。そういうことか」
俺はためらわず、自分の視界内にある全ての部品を、規則的に10ミリずつずらした。
空間のパズルを解くように、部品をずらしていくと、今まで『ブラインド』の影になっていた不自然な細工品が、ぽろりと姿を現した。俺はそれらを指先で摘み上げ、装置の外部へ弾き出す。
「えっ……なにそれ!? 私の設計図にはないパーツ……!」
リゼットが息を呑む。俺が細工品を外した瞬間、装置は静まり返り、本来の輝きを取り戻した。
俺が再び指先を10ミリ動かすと、今度はクリスタルが完璧な位置で噛み合い、装置は唸りを上げて起動した。
眩い光が研究室を満たし、学園中を光で包み込んでいく。
「……完璧。理論値を超えて……成功したのね」
リゼットは恍惚とした表情で光を見つめ、それから俺の方を振り返った。その瞳には、最初のような敵意ではなく、純粋な尊敬の念が宿っていた。
「すごいわ……魔法じゃない。あれは、理そのものを操る技術ね。……お願い、私を弟子にして! あなたのその技術を学びたい!」
「断る。面倒だ」
俺が即答すると、リゼットは「そんな……!」とショックを受けていたが、俺は報酬である「古代魔導技術の蔵書」を教授から受け取り、意気揚々と学園を後にした。これでしばらく、スローライフは安泰だ。
帰り道。夕暮れの王都は茜色に染まり、家路を急ぐ人々の生活の匂いが満ちていた。
突如、角を曲がったところで、黒いマントを着た男たちが俺たちの行く手を阻んだ。リゼットの装置に細工を施した他国のスパイたちだ。
「便利屋のカンタだな。その口封じと、装置の秘密を吐いてもらうぞ」
男たちが魔法の杖を向ける。俺は溜め息をついた。
俺は男たちが向けてきた杖の、一番先端にある魔導回路を凝視した。俺は右手の指を、ほんの10ミリだけ空中で動かした。
ボッ、という間抜けな音とともに、男たちの杖の回路が物理的にショートした。
杖から発せられた魔法は制御を失い、男たちは自分の魔法で眉毛を焼き払うことになった。
「な、なんだ!? 魔法が暴発した……!?」
「回路を10ミリズラしただけだ。二度と俺の行く手を遮るな」
男たちは「学園には恐ろしい魔術師がいる……!」と勘違いしてパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
俺は自分の手を見つめた。
もし、この力が万物に干渉できる「神業」だとしたら――俺は、あらゆる事象の綻びを掴み、再配置できるのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。
俺は今夜の夕食に、ル・パンのパンを何個買おうか考えながら、路地裏への帰路を急いだ。
世界を操る力よりも、焼きたてのクロワッサンの味の方が、俺にとってはよっぽど重要なのだから。
そう、これが俺の選んだスローライフ。どんな奇跡も、10ミリの誤差で、俺の日常に馴染ませていく。便利屋探偵カンタの物語は、今日も平和に続いていく。




