路地裏の便利屋、経営危機と裏の契約
路地裏の便利屋『カンタの便利屋』は、今日も今日とて静かだった。
エマが持ってくる菓子やマリアさんのパンのおかげで食い繋いではいるが、現金収入は雀の涙だ。店の看板の補修費、ミロの服代、保存食の購入……。計算機(という名のそろばん)を弾くたびに、俺の心は冷え込んでいく。
「兄貴、今月の食費がやばいっす……」
ミロが情けない声を出す。食欲旺盛な成長期の獣人少年だ。俺は椅子の背もたれに深く寄りかかり、溜め息を吐いた。
「わかってるよ。アテはある。お前を連れて行く場所があるんだ」
「えっ、どこですか? もしかして、また危ない仕事ですか?」
「まあ、似たようなもんだ。行けばわかる」
俺はミロを連れ、王都の裏路地のさらに奥、陰気な鉄格子の並ぶエリアへと向かった。そこにあるのは、知る人ぞ知る『奴隷商・ゴードン』の店だ。
ミロの顔色がみるみる青ざめていく。
「あ、兄貴……まさか俺、売られるんですか!? 俺、女の子だし、獣人だし、高値で売れちゃいますよ……!」
ミロが焦ったように口走る。
……そう。実はこいつ、女の子だ。身寄りを失い、路地裏で生き抜くために少年として振る舞っていたらしい。だが、俺の【10mm】の力で手当てをするとき、薄々気づいていた。まあ、本人に言わせるつもりはなかったし、今の生活に支障はないから放置していたんだが。
「落ち着け。お前を売るわけがないだろ。今回は別の用事だ」
店に入ると、がっしりとした体格の男、奴隷商のゴードンが重々しい顔で待っていた。彼はこの王都で最も誠実な奴隷商として知られている。非公式、つまり人身売買業者にさらわれた人々を買い取り、本来の帰るべき場所へ戻すという裏の活動を続けている男だ。
「カンタか。待っていたぞ」
「悪いな。金欠でね、最高の技術料を頂くよ」
ゴードンが奥から連れてきたのは、怯えきった数人の獣人の子供たちだった。彼らは悪徳業者に拉致され、首輪に「契約魔術」を刻まれている。この契約魔術は、通常の手段では解除できない。力ずくで外そうとすれば、術式が暴発し、奴隷は命を落とす。
「この契約魔術の刻印だけを、この石ころに……頼めるか」
俺はゴードンが用意した滑らかな石ころと、子供たちの首筋を交互に見つめる。
これは俺の【10mm移動】の真骨頂だ。契約魔術という物理ではない概念に近い術式を、その媒体である皮膚の上の「刻印」という物理的配置として捉える。
「……ミロ、子供たちを安心させてやれ。お前の出番だ」
ミロが恐る恐る子供たちに近づく。彼女が優しく獣人特有の言葉で話しかけると、子供たちの震えが止まった。
俺は意識を集中する。首筋の刻印を凝視し、10ミリの領域を作り出す。
術式を崩さないよう、皮膚の下にある神経を一切傷つけず、ただ『刻印』という情報を、首から石ころへと「物理的に」移動させる。
カチリ。
俺の指先がわずかに動く。子供たちの首から刻印が消え、ゴードンが持っていた石ころに黒い模様が浮かび上がった。
「見事だ……」
ゴードンは安堵の息を漏らし、高額の金貨袋をテーブルに置いた。これがあれば、店の維持費も数ヶ月は安泰だ。
作業が終わった後、一人の小さな獣人の子が、俺の服の裾を引いた。
「お兄ちゃん、ありがとう。……お姉ちゃんも、ありがとう」
その子は、ミロの耳元で囁いた。
「ミロちゃん、女の子の匂いするもん。隠してるの知ってるよ」
ミロが顔を真っ赤にしてフリーズする。俺は小さく笑い、ミロの頭をポンポンと撫でた。
「ほら、行くぞ。帰ってパンを食うんだ」
「う、うぅ……兄貴、知ってたんですか……!」
店を出ると、夜風が少し冷たい。
ミロはまだ赤面したまま、それでも俺の背中を追ってくる。
「言わなくていいよ。お前が俺の助手であることに変わりはないんだから」
路地裏の便利屋は、今日もまた、誰にも知られぬところでささやかな日常を守り抜いた。金貨の重みを感じながら、俺はミロに「何パンを買って帰ろうか」と尋ねた。
これが俺たちの、いつもの平和な一日だ。スローライフとは、案外こういう、少しの秘密と、適正な報酬で成り立っているのかもしれない。
王都の星空の下、俺とミロの影が、石畳の上に長く伸びていた。




