第1話 異世界憑依、しちゃいました
僕の視界を闇が包む。
仰向けで寝ていたはずの僕は、いつの間にやらうつ伏せになっていたようだ。目を開けようとしても、ふかふかな布団が目を開けさせてくれない。
…と思っていたのだが、僕頰に当たるのは冷たいタイルだった。
少々寝ぼけているようで、まだ意識がはっきりとしない。床を布団と思い込んでしまうし、多分それなら昨日ちゃんと布団で寝たというのも何かの間違いで、床に倒れこんで寝落ちしてしまったんだろう。
視界に闇が映るように、耳からもまた永遠の無が押し寄せてくるようだ。
多分、まだ夜なのだろう。さっさと起き上がって、布団に寝転ぼう。きっとその方が幸せだから。
僕は腕で体を支え、まだ眠い体を無理やり起こす。
立ち上がった瞬間、僕の視界に写ったのは青白い蛍光灯が照らす、狭苦しい研究室のような部屋だった。
目の前には様々な本が置かれており、僕はその本を一冊手にとって見た。
まだまだ視界がぼやけているのか、本に書かれている小さい文字を読み取ることができない。
僕は目を擦り、2回ほど瞬きをする。
視界がスッキリした、改めて本を読んでみよう。
「…はい?」
その本は、自分が初めて見る特殊な文字で書かれていた。英語や他様々な民族的文字とも取れない、不可解な文字列。
なのに、僕はその本の内容を当たり前のように理解することができた。
どうやら魔法についての本のようだ…?
「なんだこれ、魔法って……まさか…!」
一瞬だけ頭によぎった可能性。そう…それは…異世界転移!!
僕の中学生くらいからの夢であった異世界転移…!異世界転移して、色々なチート能力を貰って…そして俺TUEEEEE!ってするのが長年の夢だったんだ!
こんなの、また布団についている場合じゃない!そうだ、ステータスオープン的なことはできるのかな…
僕は心の中でステータス召喚を念じて見た。
しかし、ステータスのようなものが出ることはなかった。
うん、まあそういうこともあるよねぇ。
別にステータスは出て当たり前のことではないし、出なくたってそこまで気にするトピックではない。
まあ、自分に与えられた能力が確認できないのは少しだけ痛いが、気にするほどのことでもないだろう。
とりあえず今は色々と探索してみよう。異世界で1番の障壁となる言語関連の悩みがないのなら、まずは探索して見るべきだ。
多分だが研究所っぽいこともあり、情報に溢れているだろう。
この異世界を知るにはもってこいの場所だ。
それにしても、転移先が研究所とは…神様も意地悪なもんだなぁ。
まあいいや、多分さっきの本みたいな魔法について書かれた本が他にもあるはず…とにかく探してみよう
というか、最初に見つけた本…魔法について書かれているという情報だけしかまだ見てないな。内容をもっと見てみよう。
どうやら、火の魔法についての様だ。
…一般層に向けた使い方解説〜みたいな本ではなく、持っとこう…論理的に解説している専門的な本だった。
多分、これ以外の本もこんな感じなんだろうなぁ。
晴人は一旦本を読むのを諦め、その他の情報を取得しに部屋から出る。
部屋から出ればそこは先ほどの静寂が嘘かのようなカオスっぷり。
研究員一人一人が好きなように研究をしていて、とてもじゃないが統率が取れているという言葉はかけられない。
しかし、研究所というだけあって多分だが専門的て難しそうなことをしているということを晴人はかろうじて理解することができた。
そして、研究員の1人が晴人の方に目を向ける。
その研究員はピンク色のツインテールに紫の瞳でとても可愛らしいという言葉が似合う、そんな美少女だった。
晴人は愛する妻がいた為可愛いだけで止まったが、女性に慣れていない男性が見たら確実に一目惚れするレベル。
そんな研究員がこちらへ一歩ずつ近づいてくる。
「ちょっと所長!髪の毛、ボサボサですよ!」
「もしかして、まーた床の上で寝たんですか?」
晴人はポカーンとした顔で研究員を見つめる。
次に何を発していいのか、情報の整理が追いつかない晴人に追い打ちをかけるように研究員は話しかけ続ける。
「ちょっと〜?まだ寝ぼけてるんですか〜?」
「しょうがないなぁ…顔洗いに行きますよ!」
研究員は晴人を引っ張り洗面所へと連れていく。
「ほ〜ら!早く顔洗ってくださいよ!!」
洗面所の壁には大きく鏡がおいてあった。
その鏡には、2人の人間が写っていた。
1人はさっきまで僕に話しかけ、ここまで連れてきた研究員。
そしてもう1人、僕の知らない人間が居た。その人間は白髪のボサボサのロングヘアーで、その他の要素は謎の研究員とそこそこ通づるものがあり、とにかく美少女と言える存在だった。
だが、僕の姿はどこにもなかった。
晴人ががを動かして鏡を隅々まで見渡しても晴人の姿はどこにもない。
その代わりか、晴人の知らない人間が晴人のしたい動きを真似して動く。
……いや、真似をしているのではない。
この謎の白髪女が、今の晴人なのだ。
さっきまでは異世界にやってきたという気持ちが先行して、自分の体にあまり意識を向けていなかったせいか気づかなかったけれど。
これは…異世界転移ではあるが、ジャンル的には…異世界憑依と呼ばれるものだろう。
僕は鏡に近づき、自分の顔をよく見た。
透き通った青い目は、自分という存在であるのにも関わらず自分ではないという複雑な関係性を表していた。
「ちょっと〜何してるんですか〜?自分の顔をそんなジロジロと…まさか、自分の顔に自惚れてるんですかぁ?」
「顔洗うんだけなんですから、さっさとしてくださいよ」
謎の研究員が催促してくる。
多分だが、この謎の研究員が言っていた通り憑依先の女はこの研究所の所長で…謎の研究員はさっきからの行動を見る限り憑依先の女1番関わりがあった人物…的な感じだろうか。
とりあえず催促されてることだしさっさと顔洗って行くか。
晴人は顔を洗うため洗面所の水を出す。ここでも異世界的要素があり、日本では蛇口から水が流れたりするが魔法のある異世界では魔法の元?のような結晶から水が流れるという異世界ならではの洗面所だ。
やはり異世界。異世界はすごいなぁ。
現実の世界では考えられない、できないことがたくさんあってまさに超エキサイティンって感じ。
晴人は顔に水をパシャパシャと当てる。
すると、顔に水を当てたことを確認した研究員が晴人に話しかけてくる。
「ほら所長、こっち向いてください」
晴人はとりあえず言われるがまま研究員の方を向く。
すると、研究員はこちらに手を構えて、何かを詠唱した。
「トパー・ルフーン」
そう唱えた次の瞬間、晴人の顔面にとてつもない強風が迫り来る。
「あばっばばっっばっばばばっっば」
強風はしばらく続き、晴人の顔についている水を弾く。
顔の水が全て弾かれると、ようやく風は止む。
「はぁ…はぁ…死ぬかと思った…」
冗談じゃない。初の魔法体験がこれだなんて…
体感だがドライヤーの3倍くらいの風力はあるように感じた。魔法ってこんなにすごいのか…
疲れている僕を目の前にして研究員は楽しそうな声色で話しかけてくる。
「あら、ちょっと威力が強すぎましたかねぇ〜」
こいつ…さてはわざとやってるな…
くそ…憑依先の女はこの研究員にどんな恨みを買ってるんだよ…そのせいで憑依した僕がこんな目にあったじゃないか。
というか、この研究員がさも当たり前のように強風を当ててきたり、『また』床の上で寝ていたという発言から考えるに…かなり、ガキだなぁ?まあでも、意外とよくあるものでもあるか。所長とかが結構ガキな展開、そこそこ頭で思い浮かべやすいジャンルのキャラクターではある。
でもこの女の作業机らしきところには難しそうな本が数冊おいてあったことから、頭が悪いっていうわけではないんだよなぁ。そもそも、研究所の所長になるというだけである程度の実力はあると考えられる。
憑依したからには憑依先に成り済ました方がいい。性格は割となんとかなりそうな雰囲気だが…肝心の能力的側面は流石にどうにもならないな…
それでも、とりあえず演じるだけ演じてみよう。まあなんとかなるだろう。
「おい、今のわざとやっただろ」
「あはは〜バレちゃいました?」
「て言うか、そんなことより論文は書き終わったんですか?」
「ゑ…?」
「何意味のわからない声出してるんですか。論文ですよ、論文」
「ロンブンッテ…ナンデス…?」
「多分その反応だと…書いていませんね?」
論文…論文かぁ…論文ねぇ…
別に、頭が悪くて論文を書けないわけではない。まあ最後に書いたのがだいぶ前って言う問題点はあるが。
しかし、ここで言う論文…要するに魔法に関することを書かないといけない…
もちろん、転移したばかりの僕に魔法の知識なんてこれっぽっちもない。
とりあえず、ここは正直に言っておくのがいいだろう。多分…多分ね…
「ごめん、書いてないんだよねぇ…」
「…?所長が論文を忘れるのはいつものことですが、謝るのなんて珍しいですねぇ」
まずい、実は所長本人じゃないってバレてしまう…
バレたところで何かまずいというわけではないけれど、色々とややこしくなっても面倒臭いしなるべくバレないほうが賢明だな。
今の所、この所長についてわかっていることは…めちゃくちゃマイペースで面倒くさがりってところか。
「もしかして、変な魔法薬でも作って飲んじゃったとか…?」
「あはは〜…そうかもねぇ…」
「まあこんなこともあろうかと、私が書いておいてあげましたけどね」
こいつ…できるっ!!
だいぶ面倒見が良い性格なんだな…これなら所長が甘えてしまう理由もわからなくもないような…
とりあえず意外と何もしてなくてもなんとかはなりそうな気がしてきたな。性格の面だけ気をつけておけばまあってところか。
「これも助手の役目ですからねっ!」
「後で報酬のお金くださいね〜!」
彼女はそう言うと上機嫌で洗面所を去っていった。
所長への態度や距離感を鑑みるに彼女は所長の助手なのかもしれない…多分毎回所長のやっていないことをサポートしてお金をもらっているんだと思う。
…とりあえず、今1番しなければならないのは情報収集だ。僕が所長という役を演じる上で頼りになりそうな情報をなんとかして探さなければ。
そうと決まれば一旦起きたところに戻ってみるか。さっきは魔法の本中心に探索したから次は所長に関する情報を中心に探してみよう。
こうして、僕の所長を演じる異世界生活が始まったのだ———




