EP 9
女神は新橋でヤケ酒を飲む、そして永田町の暗躍
その日の夜。東京・新橋のガード下。
赤提灯の煤けた灯りと、サラリーマンたちの喧騒に包まれた大衆居酒屋のカウンターに、ひどく場違いなオーラ(とジャージ姿)を放つ女性がいた。
「すいませーん、大将! ホッピーセット、中おかわりで! あと、もつ煮込みと串盛り!」
女神ルチアナである。
毛玉だらけのジャージに健康サンダルという限界フリーターのような出立ちの彼女は、細いピアニッシモ・メンソールに火を点け、紫煙と共に深いため息を吐き出した。
頭上の小さなブラウン管テレビからは、緊急特番のニュースが流れている。
『――本日午後、東京郊外の森林地帯にて大規模な空間震が観測され、謎の巨大生物と見られる痕跡が……また、銀座に現れた正体不明の巨大ロボットが再び飛来したという目撃情報も多数寄せられており――』
画面には、ガオガオンのゴッドブレードによって真っ二つに割れた森の無惨な(そして一直線に綺麗な)クレーターが映し出されていた。
「うわぁ……ド派手にやっちゃってまぁ……」
ルチアナは、運ばれてきたホッピーを煽りながら顔を引きつらせた。
「絶対アレ、ガオンたちじゃないの。……ていうか、あの子たちテイマー見つけたのはいいけど、やり過ぎなのよ! あんな地形変わるレベルの破壊活動、絶対あとで国から『神の管理責任』とか問われて賠償請求されるやつじゃない! 無理無理無理、今月もソシャゲのガチャ天井まで回して家賃ギリギリなのに、払えるわけないわよ!」
完全に責任逃れと保身の思考に染まった創造神は、もつ煮込みをヤケクソ気味に口に放り込む。
「大体、デュアダロスもデュアダロスよ! 創世記の打ち上げの居酒屋で『ワシはワインしか飲まんけえ、割り勘は納得いかん』とか小さいこと言うから喧嘩になったのに! あのバカ邪神がちゃんとサルバロス消滅させておけば、私がこんな場末の居酒屋で怯える必要もなかったのに……!」
完全な責任転嫁をしながら、ルチアナの夜はホッピーと共に更けていく。彼女が神としての威厳を取り戻す日は、果たして来るのだろうか。
* * *
一方、日本の政治の中枢・永田町。
与党幹事長室では、分厚いカーテンが引かれ、異様な静寂が支配していた。
「……ガッハッハッハ! 相変わらず、無茶をやりおるわ!」
豪快な笑い声が響く。
若林幸隆は、ピースの重い煙をくゆらせながら、デスクに置かれた最高級の日本酒『獺祭』を湯呑みで水のように煽っていた。酒豪の彼にとって、これくらいは水と変わらない。
目の前の極秘モニターには、防衛省の無人偵察機が捉えた『ひまわり孤児院』での戦闘映像――ガオガオンが一刀両断で魔人ワイズを処刑する瞬間が、繰り返し再生されていた。
「この太刀筋……相手の力をいなし、完全に虚を突くあの動き。合気道の理合にも通じるが、本質はもっと冷酷で血生臭い。間違いなく龍魔呂の坊主だ。……あいつ、ついに神仏の類まで誑かして味方につけおったか」
若林が上機嫌で独りごちていると、幹事長室の重厚な扉がノックされた。
現れたのは、自身の愛弟子である桜田リベラだ。彼女の手には、可愛らしいピンク色のケーキボックスと、高級なティーセットが握られている。
「夜分遅くに失礼いたしますわ、先生。……今日の事後処理、ご苦労様でした。甘いものでもいかが?」
「おお、リベラ君。入ってくれ。……お前が来るということは、裏の工作は終わったということだな」
リベラは優雅な手付きで若林のデスクにマカロンと紅茶をセットし、微笑んだ。
「ええ。郊外の森の件は『自衛隊の新型極秘兵器の試験運用中に、ダンジョンの怪物と偶発的戦闘になった』という筋書きで、主要メディアの報道局長クラスには既に手を回しました。桜田財閥のスポンサー枠をチラつかせれば、彼らも従順なものですわ。……それと、現場に居合わせた陸上自衛隊の部隊にも、防衛省経由で箝口令を敷いております」
「見事な手際だ。手段を選ばんそのえげつなさ、まさに俺の教え子よ」
若林はマカロンを一口で放り込み、日本酒で流し込むという無茶苦茶な食べ方をしながらニヤリと笑った。
「だが、あの坊主……龍魔呂の存在をいつまでも隠し通せると思うなよ。あいつは『悪』を見過ごせない。この国に天魔窟がある限り、あいつは必ずまた動く。いや、動かざるを得なくなる」
「わかっています」
リベラは微笑みを消し、強い意志を秘めた瞳でモニターに映る巨神を見つめた。
「彼が法で裁けない悪を斬るというなら、彼が浴びる血の雨は、私がすべて法と権力で傘を差し、洗い流してみせます。……彼は私が、一人の人間として救うと決めた人ですから」
「……お前には敵わんな。その執念と才覚、やはりもったいない。リベラ君、いつでも政界の椅子は用意してあるからな?」
「ふふっ。私は目の前の一人を救うのに忙しいので、謹んで辞退いたしますわ」
涼しい顔で幹事長のスカウトを躱すリベラ。
法廷と政界の裏側で、龍魔呂を守るための強固な盾が完成しつつあった。
* * *
その頃、次元の狭間のヤクザ事務所(封印空間)では。
「……あ? なんじゃ、今の物凄い神気は」
革張りのソファに寝そべっていた邪神デュアダロスが、ピクリと眉を動かした。
彼自身の力にも匹敵する、圧倒的な聖獣たちの力の奔流を肌で感じ取ったのだ。
「あのバカ獣ども……シャバで本気出しよったな。ワシを差し置いて、下界で派手に暴れ回っとるんか。……許せん。ワシも早くシャバに出て、アルマーニの新作スーツ着て、葉巻吸いながら大暴れしてぇ……!」
インテリヤクザな邪神のフラストレーションは、もはや臨界点に達しようとしていた。
* * *
そして、東京湾・出雲艦隊。
CIC(戦闘指揮所)の重苦しい空気の中、坂上真一将補は、手元の通信機から聞こえる息子の声に、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
『――というわけだ、親父。俺たち陸は、あの巨神に助けられた。あれは敵じゃない、この国を守る絶対的な「盾」だ』
報告を行っているのは、最前線で戦闘を目の当たりにした信長だった。
「……フン。泥臭い陸軍が、ロボットに助けられて尻尾を振るとはな。だが、相手の素性がわからない以上、軍としては最大の警戒対象だということに変わりはない」
『相変わらず頭の固い仁王様だぜ。……まぁいい。俺はアレのパイロットを探す。絶対に恩を返さなきゃならねえからな』
「勝手にしろ。海に迷惑をかけるなよ」
通信を切った真一は、ハイライトを取り出して火を点けようとし、禁煙エリアであることを思い出して舌打ちした。代わりにコーヒーキャンディを口に放り込む。
(あの巨神……そして、現場の孤児院……。妙だな。あの施設は確か……)
かつて自分が弁護士時代の若林に世話になった際、若林の傍で冷たい目をしていた『一人の少年』の影が、真一の脳裏をよぎる。
(……いや、まさかな)
国家、自衛隊、そして神と悪魔。
様々な思惑が交錯する中、銀座の小料理屋『たつまろ』の夜は、今日も静かに更けていくのだった。




