EP 10
天才エンジニアの執念と、銀座の不毛な休日
東京湾上に停泊する護衛艦『いずも』。
その深部にある特A級AIエンジニア・早乙女蘭の専用ラボは、凄まじい熱気に包まれていた。
「……あり得ない。質量保存の法則も、エネルギー変換効率も、全部おかしい……けど、痕跡は絶対に嘘をつかないわ!」
蘭はデスクに山積みになった高級エクレアの空き箱を払い除け、キーボードを叩きまくっていた。目の前の立体モニターには、先日の『ひまわり孤児院』での戦闘後、光となって消えた聖獣機神ガオガオンの残留エネルギー波形が映し出されている。
月給3億円でヘッドハンティングされた彼女の頭脳は、未知の超技術に対する「エンジニアとしての純粋な怒りと好奇心」で完全に発火していた。
「司令! 出ましたよ!」
ラボの扉を開けて入ってきた坂上真一将補に向かって、蘭はドヤ顔でモニターを指差した。真一は相変わらず眉間に皺を寄せ、口の中でコーヒーキャンディを転がしている。
「あのデカブツ……『ガオガオン』が光となって帰還したエネルギーの収束地点、逆算に成功しました。ピンポイントです」
「……でかした。どこだ?」
「東京都中央区。……銀座のど真ん中、ある路地裏の座標です」
真一の顎の動きが、ピタリと止まった。
銀座。それは、自分の最大の恩人であり、政界のフィクサーでもある若林幹事長の「お膝元」とも言える場所だ。そして、先日の防衛省上層部からの不自然なほどの『調査打ち切り(箝口令)』の圧力。
点と点が、真一の中で太い線として繋がり始める。
「……早乙女。このデータは、俺とお前だけの秘密にしとけ。上に報告すれば、お前の給料ごと握り潰されるぞ」
「えっ? は、はい。別に私はシステムの謎が解ければそれで……」
真一は踵を返し、ラボを出ようとして立ち止まった。
「……今日は金曜だ。お前、カレーは食ったか」
「食べてません。私は糖分さえあれば生きていけるので」
「そうか。じゃあ、俺のデスクの引き出しに入ってる『虎屋の羊羹』、勝手に食っていいぞ。……少し、陸に上がってくる」
言うが早いか、真一は足早に姿を消した。
残された蘭は「えっ、あの鬼司令が虎屋を……?」と目を丸くしながらも、いそいそと将補のデスクへ向かうのだった。
* * *
その日の夜。銀座の裏通り。
私服姿の屈強な男が二人、ネオンの光を避けるように歩いていた。
陸上自衛隊の坂上信長と、航空自衛隊の平上雪之丞である。
「おい雪之丞。なんで俺の貴重な休日に、新宿の焼肉じゃなくて銀座なんだよ! 全然肉の匂いがしねえじゃねえか!」
「バッカお前、声がデカいっての! 陸のゴリラはこれだから……。いいか、作戦を説明するぞ」
雪之丞は少し寝癖のついた頭をかきながら、得意げに語り出した。
「この銀座の路地裏に、女性客が殺到してるBARがあるらしいんだ。マスターが超絶イケメンで、みんなそいつ目当てらしい。……で、だ。マスター一人が相手にできる数には限界がある。つまり、俺たちのような『大人の余裕を持ったパイロット(と、ついでに陸自)』がそこに行けば、あぶれた女性たちをお持ち帰りできる確率が跳ね上がるって寸法よ!」
「……お前、空自の戦術機動をそんなクズみたいな作戦に使うなよ」
呆れ果てる信長だったが、美味い飯が出ると聞いてしぶしぶついていくことにした。
二人が足を止めたのは、小さく『龍』とだけ書かれた看板の前。
地下へと続く階段を降り、重厚な扉を開ける。
カラン、と静かなベルが鳴った。
「いらっしゃい。……男二人とは、珍しい客だな」
ジャズが流れる薄暗い店内。
カウンターの奥で、漆黒のシェイカーを振るう男――鬼神龍魔呂が、憂いを帯びた瞳で二人を見据えた。黒に真紅のラインが入ったジャケットが、銀座の夜に妖しく映えている。
店内は雪之丞の情報の通り、見渡す限りの女性客で満席だった。そして、その全員が、ため息をつきながら龍魔呂の一挙一動を見つめている。
「(……ヤバい。こりゃ男の俺から見てもカッコよすぎる。俺の出る幕ねえわ)」
天才パイロットの直感が「完全敗北」を告げる中、信長は空気を読まずにカウンターにズンッと座った。
「すんません! ここ、肉ありますか!?」
「信長、お前……! 銀座のBARでなんて注文を……っ!」
雪之丞が慌てて止めようとしたが、龍魔呂はわずかに目を細め、静かに頷いた。
「……小料理屋の仕込みの残りだが、特選和牛のローストビーフならある」
「マジすか! お願いします!」
数分後。信長の前に、芸術的な薄さに切り揃えられ、自家製ソースが輝くローストビーフが提供された。
一口食べた瞬間、信長の目に涙が浮かぶ。
「う、うめぇ……! 俺、練馬駐屯地でステーキ食ったばっかなのに、無限に食えちまう……!」
「駐屯地……自衛官か」
「あっ、はい! 陸上自衛隊第1師団の坂上信長です! こっちは空自の……」
信長が自己紹介をした瞬間、龍魔呂のシェイカーを振る手が、わずかにピタリと止まった。
「……坂上。広島の出身か?」
「えっ、なんでわかるんですか!? 俺は親父の仕事の都合で転々としてますが、親父の地元は広島です」
龍魔呂は何も答えず、黙って雪之丞の前にカクテルグラスを差し出した。
彼らが自衛官であること、そして「坂上」という名。
数日前の孤児院での戦闘で、身を挺して子供たちを守ろうとしていた若き自衛官の顔が、龍魔呂の脳裏にフラッシュバックする。
「……あんたの親父さんは、強面の、仁王みたいな男か?」
「!? な、なんで親父のことまで……っ」
信長が身を乗り出した、その時だった。
カラン。
入り口の扉が開き、一人の大柄な男が入ってきた。
私服のトレンチコートを着ていても隠しきれない、歴戦の猛者の威圧感。口にはハイライトを咥え(火は点けていない)、鋭い眼光で店内を一瞥する。
「……ずいぶんと洒落た店だな。俺はカレー屋の方が好きだが」
「お、親父ィッ!?」
信長がローストビーフを喉に詰まらせ、雪之丞が「ゲッ、司令!?」とカウンターの下に隠れようとした。出雲艦隊総司令官、坂上真一の登場である。
真一は逃げようとする雪之丞の首根っこを掴んで座席に押し戻すと、ゆっくりとカウンターの前に立ち、龍魔呂と正面から向かい合った。
店内が、氷を打ったように静まり返る。
「……久しぶりだな。ずいぶんと立派な店を持ったじゃねえか。若林のセンセイが、お前を随分と可愛がっていたのを思い出すぜ」
真一の言葉に、龍魔呂は表情一つ変えなかった。
ただ、懐から角砂糖を一つ取り出し、ガリッと噛み砕く。
「……何の用だ。ここは、海に浮かぶ鉄屑の上が似合う男が来る場所じゃない」
「手厳しいな。俺はただ、行方不明になった『デカいおもちゃ』の持ち主を探しに来ただけだ」
真一は身を乗り出し、龍魔呂の耳元で低く囁いた。
「孤児院の件は、ウチのバカ息子(陸自)が世話になった。……ありがとよ、DEATH4(死神)の坊主」
極秘裏に進められていた防衛省の調査と、過去の因縁が、銀座の地下で完全に交差した。
一触即発の空気の中、龍魔呂はただ静かに、カウンターの下に隠した愛銃『Korth NXS』のグリップに指を這わせていた。




