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EP 10

死王蟻デスクイーンの胎動と、終わらない夜の乾杯

 新宿の空を染めていた黄金の光が収束し、東京に静かな夜が訪れていた。

 銀座の路地裏。看板の明かりが落とされた地下BAR『KISHIN』の店内には、静かなジャズの調べだけが流れている。

「……痛っ」

「ああっ、ごめんなさい! や、やはり私が包帯を巻くのは無理がありましたわ……!」

 店の奥の革張りソファ。

 上半身裸になり、全身を無数の打撲と裂傷で青黒く腫れ上がらせた龍魔呂が、顔をしかめていた。

 その隣で、純白のワンピースを血と泥で汚した桜田リベラが、涙目で救急箱を抱えながらオロオロとしている。数千億円を動かす冷徹な令嬢弁護士も、医療の心得ばかりは持ち合わせていなかった。

「……いい。あとは自分でやる」

「ダメです! あなたはOSを切った激痛の中で戦ったんです! 今はただ、この桜田リベラに甘えなさい!」

 強引に包帯を巻き直そうとするリベラの不器用な優しさに、龍魔呂は小さくため息をつき、されるがままになった。

 足元では、小型化したガオンと四神たちが、疲れ果てて丸くなり、スースーと高いびきをかいている。

 カラン、と。

 鍵をかけていたはずの扉が開き、重い足音が階段を降りてきた。

「……相変わらず、羨ましいご身分だな。坊主」

 トレンチコートを肩に引っかけ、泥だらけの顔に絆創膏を貼った坂上真一だった。ピッキングツールを懐にしまいながら、我が物顔でカウンターの内側へ入り込む。

「勝手に入ってくるな。今日は貸し切りだぞ、仁王のオッサン」

「水臭いこと言うな。命の恩人に、美味い酒の一杯も出ねえのか?」

 真一は勝手に戸棚から最高級のアイラ・ウイスキーを取り出すと、ロックグラスを二つ用意し、一つを龍魔呂のテーブルへと滑らせた。

 そして自分もソファの向かいにどっかりと腰を下ろし、ハイライトに火を点ける。

「……親父の特攻(体当たり)がなけりゃ、俺は今頃、この街ごと全てを壊してた」

 龍魔呂はグラスを手に取り、静かに、しかし深い実感を込めて言った。

「あんたの言う通りだ。俺は強すぎるがゆえに、脆い爆弾だった。……止めてくれて、ありがとう」

 伝説の暗殺者『DEATH4』が、他人に頭を下げ、感謝を口にする。

 それは、彼が過去の呪縛システムから解放され、真の意味で「人間」としての心を取り戻した瞬間だった。

 真一は煙を深く吐き出し、ニヤリと笑った。

「気にするな。お前が道を踏み外しそうになったら、俺が何度でも殴り倒してやる。……それに、お前を止めたのは俺だけじゃねえさ」

 真一の視線を受けて、リベラが少し誇らしげに胸を張る。

「当たり前ですわ。私の最高の『日常シマ』を、龍魔呂さん自身に壊させるわけにはいきませんもの」

「……お前らには、敵わないな」

 龍魔呂はふっと柔らかく微笑み、グラスを掲げた。

 真一もグラスを合わせる。チンッ、と澄んだ音がジャズの流れる店内に響き、二人の男は琥珀色の液体を喉の奥へと流し込んだ。

 強大な力を持ちながらも、決して孤独ではない。死神の長い夜は、温かい絆と共に更けていく――かに思われた。

     * * *

 同時刻。

 天魔窟の最深部、絶望の泥沼。

「ア……ァァァァッ!! 許さない、許さない許さない許さないッ!!」

 魔人ワイズは、自身の左半分の機械の顔をガリガリと血が出るまで掻き毟りながら、狂ったようにのたうち回っていた。

 最高に楽しいはずだった遊戯ゲーム

 システムを破壊し、龍魔呂の心まで完全に壊したはずだった。なのに、あの下等な人間どもの絆が、奇跡の光となって自分の蟲たちを全て浄化してしまったのだ。

「なんでだ! なんでアイツは元に戻った! 絶望の底に落ちたはずなのに! 痛い、痛い痛い痛いよォ、サルバロス様ァッ!!」

 呪いの激痛にのたうち回るワイズ。

 しかし、不意に彼の動きがピタリと止まった。

 血走った右目が、虚空に投影された『東京の地下網のマップ』を捉える。

「……アハッ」

 ワイズの口から、歪な笑い声が漏れた。

 マップの中心、東京の地下鉄と下水道が複雑に交差する大深度地下。そこには、ガオガオンの浄化の光すら届かない、絶対的な『闇』が広がっていた。

「……そうだ。ゲームは、まだ終わってなんかいないじゃないか。……地上の騒ぎに目を奪われて、英雄殿も、自衛隊も、誰も気づいていない」

 ワイズは立ち上がり、狂喜に満ちたピエロの笑みを浮かべた。

「……たくさん産んでおくれ、私の可愛い女王蜂クイーン。絶望の果実は、内側からゆっくりと腐らせるのが一番甘いんだから……!」

     * * *

 東京・大深度地下空間。

 かつて防災用として掘られ、今は使われていない巨大な空洞に、それは『コロニー』を築いていた。

 全長50メートルに迫る、肥大化した腹部を持つ超重量級の蟲――『死王蟻型デス・クイーン・アント』。

『ギ……ギジジジジ……』

 死王蟻型は身動き一つせず、ただその巨大な腹部を脈打たせている。

 ボトッ、ボトッ……。

 腹部の先端から、赤黒く明滅する機械のポッド(卵)が、地下水路へと次々に産み落とされていく。

 すでに空洞の壁面や床は、数万、数十万という『卵』でびっしりと埋め尽くされていた。

 メキ……メキメキッ。

 産み落とされたばかりの卵に亀裂が入り、中から強酸の涎を垂らした『死蟻型デス・アント』の幼体が、ギチギチと蠢きながら這い出してくる。

 地上の人間たちが勝利の美酒に酔いしれ、平和な眠りについているその足元で。

 無限に増殖し続ける『死の軍団』が、東京を内側から喰い破るためのカウントダウンを、静かに、そして確実に刻み始めていた。

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