EP 2
奈落からの帰還、狂える道化ワイズ
光の一切届かない絶望の底。
東京の地下深く、異空間と繋がるダンジョン『天魔窟』の最深部には、腐肉と鉄錆が混ざったような濃密な瘴気が立ち込めていた。
「ガッ……ア、ァァァァァァッ!!」
泥のような闇の沼から、一つの歪な『肉塊』が這い出そうと藻掻いていた。
魔人ワイズ。
死蟲軍の冷酷なる指揮官であり、ガオガオンの『ゴッドブレード』によって脳天から真っ二つに両断されたはずの男である。
「い、痛い……っ! 私の身体が……半分、ない……ッ!?」
ワイズは絶叫しながら、自身の身体を掻き毟った。
神の刃によって完全に消滅したはずの彼の肉体は、右半身が元の魔人の姿、左半身がどす黒い機械蟲のパーツで醜く繋ぎ合わされた、おぞましいキメラと化していた。顔の左半分は金属の装甲に覆われ、まるで歪な『仮面』を被ったピエロのようだ。
『――醜いな、ワイズ』
底なしの沼の奥底から、空間そのものを震わせるような悍ましい声が響いた。
かつて神蟲魔大戦で世界を喰らい尽くそうとした絶対悪にして、今は魂だけの存在として天魔窟に君臨する王――死蟲王サルバロスである。
「王よ……! 偉大なるサルバロス様ッ! 申し訳ございません、私は、あの黄金の巨神に……!」
『貴様の敗北などどうでもいい。だが、貴様が死の間際に抱いた、あの巨神と人間に対する強烈な「憎悪」と「恐怖」。……あれは極上のスパイスだ』
沼から黒い触手が伸び、ワイズの首に絡みついた。
『死ぬことは許さん。貴様の魂は、永遠の苦痛と共に我が泥の中で怨念を煮詰め続けるのだ。行け、ワイズ。我が名代として、あの男を絶望の底へ引き摺り下ろせ』
「ガァァァァッ!!」
触手から致死量の負のエネルギーが注ぎ込まれ、ワイズの身体が痙攣する。
神の刃に斬られた激痛と、サルバロスの呪い。二つの苦痛がワイズの脳細胞を完全に焼き切り――そして、理性を砕いた。
「ア……アハッ……アハハハハハハッ!!」
暗闇に、狂気に満ちた笑い声が響き渡った。
ワイズは自分の顔の左半分――機械の仮面をガリガリと引っ掻きながら、血の涙を流して嗤っていた。
「あぁ、痛い……! 痛いよォ、龍魔呂ォ! 君の黄金の剣、最高に痛かったよォ!」
かつての冷酷で気取った指揮官の面影は、そこには微塵もなかった。
あるのは、自分に絶対的な死と苦痛を与えた男への、異常なまでの執着と殺意だけ。
「殺す……いや、違う。ただ殺すだけじゃ生温い! あの男は、子供たちが泣き叫ぶのを見て……すごく、すごォく怖い顔をして飛んできた! アハハッ、見つけたぞ、無敵の死神の『アキレス腱』を!」
狂える道化と化したワイズは、フラフラと立ち上がり、天魔窟の天井――東京の街がある方向を見上げた。
「力と力でぶつかるから負けるんだ。なら、ゲームをしよう。最高に楽しくて、残酷な遊戯を! 君の大好きな『日常』を、悲鳴で飾り付けてあげる!」
ワイズが指を鳴らすと、闇の中から無数の不気味な影が這い出してきた。
流体金属のように蠢く細長い蟲――『死寄生蟲型』。
そして、巨大な八本の脚を持つ凶悪な紡ぎ手――『死蜘蛛型』。
「さぁ、行っておいで私の可愛い子供たち。まずは人間どもの『盾』を内側から食い破りなさい。……龍魔呂、君の耳に、極上の悲鳴のオーケストラを届けてあげるよ。アハハハハハハッ!!」
血の涙を流しながら哄笑する狂人の足元から、見えざる絶望が東京の地下網を伝って静かに、そして確実に這い上がり始めていた。
* * *
翌日。
東京湾・護衛艦『いずも』のCIC(戦闘指揮所)。
「……ちょっと、これどうなってるの!? 応答して、第3システム!」
早乙女蘭が、いつも片手に持っているはずのスイーツを放り出し、血相を変えてキーボードを叩いていた。
メインモニターには、無数の「ERROR」と「WARNING」の赤い文字が滝のように流れている。
「早乙女! 何があった!」
坂上真一が駆け寄る。その手には、珍しく火の点いたハイライトが握られていた。
「司令、異常事態です! 防衛省のメインサーバーはおろか、都内のインフラシステム、さらには自衛隊の最新鋭無人機や車両の制御システムにまで、未知のウイルス……いえ、『生きたプログラム』のようなものが侵入しています!」
蘭の月給3億円の頭脳を以てしても、その侵食スピードは異常だった。
暗号化されたファイアウォールが、物理的な『牙』で噛み砕かれるように次々と突破されていく。
「システムが……乗っ取られます! このままじゃ、自衛隊の兵器が私たちの意思に関係なく暴走します!」
「なんだと……!? すぐに全電源を落とせ! 物理的に遮断しろ!」
「ダメです、電源ユニットの制御すら……ああっ!」
CICの照明が明滅し、全モニターが一瞬ブラックアウトした。
直後、画面に映し出されたのは、ノイズ混じりの不気味な映像。
――左半分が金属の仮面で覆われた、ピエロのような男の顔。
『――ハロー、東京の愚かな人間ども。そして……モニターの向こうの、愛しい愛しい龍魔呂!』
狂気に満ちたワイズの声が、自衛隊の通信網だけでなく、東京中の街頭ビジョンやテレビ、スマートフォンを完全にジャックした。
『これは復讐じゃない。ちょっとしたゲームだ。君たちが誇る鉄のオモチャは、もう私の可愛い「蟲」たちが全部貰ったよ。……さぁ、第一幕の幕開けだ!』
ワイズが楽しげに笑った瞬間。
出雲艦隊の甲板で待機していたF-35Bのエンジンが、パイロットが乗っていないにも関わらず、勝手に轟音を立てて火を噴き始めた。
そして陸上では――練馬駐屯地から出撃準備を進めていた最新鋭の10式戦車の砲塔が、ギギギ……と不気味な音を立てて、味方の隊舎へ向けられる。
「親父(司令)! こちら信長! 駐屯地がパニックだ、戦車が勝手に……うわぁっ!」
「おい信長! 応答しろ! 信長ァッ!!」
真一の怒号が通信機に吸い込まれる。
物理的な暴力ではない、見えざる「内側からの侵食」。
狂える道化の放った『死寄生蟲型』による恐怖のショーが、幕を開けた。




