思春期特有のアレ ②
その日の夜。
寮に帰ったセリナは翌日の準備を済ませ早々と床に就く。
月明かりだけが差し込む室内。漠然と天井を見つめているとふと考えが過った。
——アーシャ・グローリアとは一体何者なのか。
大魔法使いアルテマを自称する彼女だが、確証はない。
その実力についてはこの学園の誰よりも認知している自負があった。
アルテマであるかどうかは別として、天才魔法使いであることに変わりないだろう。
(——ハッ⁉)
その時、天啓が降りた。
あれはセリナがまだ幼少の頃である。
眠れない夜は決まって母の寝室を訪れていた。
枕元で読み聞かせてくれた童話の数々——。
中でも天使の話はお気に入りだった。
『散々な人生を送った少年は病に伏しその小さな命を落とすが、一度も嘘をついたことがなかった彼には天使が迎えに来て黄泉の国で幸せに暮らす』というものだ。
病弱な母のため、セリナは本気で天使になりたいと思ったのだ。
結局——叶うことはなかったが。
つまりこういうことだ。
アーシャ・グローリアとは、自分が大魔法使いアルテマだと思い込んでいる《《思春期特有のアレ》》である。
多感な時期に突然魔法の才能が開花したのだから無理もない。
(わたしにもそういう時期があったな……。ちょっとかわいそうな気も)
「——ねえ」
唐突に声を掛けられ意識が現実に引き戻される。
首だけ動かして反応すると、同室のアスカが眠そうな眼をとろんと輝かせ笑みを向けていた。
「なに?」
「夕方アーシャちゃんとカフェテリアにいたよね。ねえねえ、なに話していたの? 恋バナ? 声かけようかと思ったんだけど、なんか二人の世界に入ってるみたいだったから邪魔しちゃ悪いかなって」
「別に……言っておくけどあの子、思ってる以上にヤバイ子だから。でもね、それは誰でも通る道なの。一周回って普通。大人は優しく見守ってあげるに尽きるわ」
「もうめっちゃ仲良くなってるじゃん」
「違うから‼」
セリナはフンと息を漏らし、毛布を頭まで被って背を向ける。
『わたしは——あなたと契約を交わしたいの』
(……契約、ねえ)
▽
翌朝はいつも通りの時間に新入生寮を出た。
吹き抜ける春風はまだ冷たく肌寒さを残している。
視界の隅で何かが動いた。
そっと目線を向けた先で、柱に背を預け俯くアーシャを見つけた。
同じ寮に属しているのだから、すれ違うこともあるだろう。
しかし昨日の今日である。一方的に切り上げたこともあってうしろめたさがある。
セリナは一瞥も向けず、彼女の前を素通りした。
そのまま通学路の大通りを抜ける。
焼きたてのパンの香りが漂い、雑踏に混じって小鳥のさえずりが聞こえる。
そしてぎこちなく石畳を踏む不自然な足音も聞こえる。
(——ついてきてるなあ)
そっと心の目を背後に向ける。
無理にセリナに歩幅を合わせているのだろう。
一生懸命大股で歩く少女の姿が目に浮かぶ。
かなり近い間隔で尾行されているに違いない。
気づかぬフリを貫いて学園の門を潜り抜けた時、セリナは大息を吐いた。
「もう! なに!」
振り返ると思っていたよりも間近にアーシャの姿があった。
その手にはこぶし大のパンを持ち、小動物のように口元を動かしかじりついている。
(まさかの食事中——‼)
咀嚼を終えた小動物はようやく人間らしく口を開く。
頬には細かいパンくずがついたままだ。
「あなたにお礼を言ってないと思って」
「お礼?」
「昨日は危ないところを助けてくれてありがとう。それと——突然変なことに巻き込もうとしてごめんなさい。一晩考えたのだけれど、やっぱりあなたのいう通り他をあたることにするわ。またご縁があれば」
一方的に言い終えると彼女はセリナを避けるようにして校舎へと歩き出す。
——が、背中を向けたまま一言付け足した。
「……契約したわたしの弟子に——せいぜい成績を抜かれないように頑張ってね」
「煽りにきたってわけね」
満足げなアーシャは大股で遠ざかっていく。なぜかその背中は、入学式の時よりも小さく見えた。
▽
午前中は基礎体力と剣技の訓練である。
いつもと変わらない調子で教官の指示が全体に響き渡る。
「二人一組でしっかり柔軟しておくように」
セリナは周囲を見渡してアスカの姿を見つける。
声をかけようと手を伸ばしたときだった。
「一緒に柔軟してくれない?」
背後から天敵の声が飛ぶ。
反射的に誰がアンタと——言いかけて振り返った。
しかし声の主の視線はセリナには向いていなかった。
セリナを通り越したその先。アスカに投げられていたようだった。
「珍しいね。でも私よりセリ……ううん。いいよー」
アスカはセリナに一瞥を向けるとアーシャと柔軟を始める。
「アーシャちゃんめっちゃやわらかーい」
上機嫌で声を弾ませるその様子を、セリナは余った男子生徒の背中を押しながら眺める。
(なんだろう、この感覚。憤り? それとも——嫉妬? まさかね)
上の空で作業的に背中を押す。——ゴリッ‼
男子生徒の悲鳴が運動場に空しく響いた。
一通りの柔軟を終えたあとは走り込みに移っていた。
セリナはペースを乱さず先頭集団のやや前方を走る。
体力には人一倍自信があった。
一方で徐々に見えてくる前方の小さな背中が気になってくる。
荒い呼吸と前のめりの姿勢。
歩幅は小さくなり、無駄に体力を消耗している様子がありありと表れていた。
アーシャは運動系の才覚には恵まれなかったようである。
(相変わらず運動系はダメね)
後方からアスカがペースを上げてセリナを抜き去りトップに躍り出る。
グッと加速すると、周回遅れのアーシャに追いつきその背へ声援を送る。
「アーシャちゃん頑張って! あと少しだから!」
瀕死の呼吸でも声援に元気づけられたのか、小さく頷き必死に最後尾に食らいつく。
後半の剣技訓練でもアーシャはまだ弱い足腰を動かした。
訓練用の片手剣ですら、両手で持ち上げやっと振るえるほどだ。
やろうと思えば魔法で誤魔化すことも容易いはずだろう(本当に全種使えるなら)。しかし、彼女はそれをしない。
一丁前に魔法使いには必要ないと否定しつつも古典的な魔法使い像に固執せず、現代の魔法使いの在り方に順応しようとしているのだ。
(肝の座りと根性は認めてあげないとね——)
基礎訓練は昼前まで続いた。
セリナは木陰で汗を拭い水分補給を済ませる。
すぐそばでは屍のように小さな少女が横たわって呼吸を整えている。
一瞬労いの言葉でもかけようかと過った。
しかし、今朝の一言を回想し思いとどまる。
『せいぜい成績を抜かれないように頑張ってね』
今口を開けばそっくりそのまま返してしまうだろう。
一時の感情に振り回されているようでは領主の娘としてふさわしくない。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んでセリナは踵を返した。
「ねえセリナー」
少し後方からアスカが大声で叫び近寄ってくる。
その表情はいつもと違い僅かに焦りを帯びている。
「どうしたの?」
「訓練用の剣、セリナは返却したよね——?」
そう言ってアスカはセリナの全身を見る。
「もちろん返却したわよ。そんなもの持っていても仕方ないでしょう」
「実は……」
アスカは声を潜める。
聞くところによると訓練用の剣が一本紛失したらしい。
一瞬、疑われたのかと思った。
しかし、アスカの目を見て杞憂だったと思い知る。
彼女は同室のセリナだからこそ、味方であることを確認したかったのだと。
「二十四人全員が訓練で剣を使ったのに、倉庫の戸締りをしようと数えたら二十三本しかなくて……」
悪寒が走った。
入学時にひとり一本配られる鍛錬棒と違い、いくら訓練用といえども刃物である。十分凶器にもなりえる。
そのため訓練時には毎回倉庫から取り出し、終えれば返却が義務付けられている。
日直が最終確認をして、戸締りをするルールになっているのだ。
セリナはぼんやりと思い返すが、覚えている限り不審な動きをした生徒はいないはずである。
「一緒に探そうか……?」
「いや、セリナは先に戻ってて。私は教官ともう一度数えてみるよ」
平穏な日常に一抹の不安が過った。




