思春期特有のアレ ①
残照が空を染めている。
寮の門限が近づくにつれ校舎の人影は疎らになるが、西棟のカフェテリアはギリギリまで解放されているので放課後の自習で使う者も多いのだろう。
教室よりも広いエリアを見渡せば、ひたむきに机へ向かう生徒の背中がポツポツと見える。
「こっちの窓際にしましょう」
アーシャに促され適当な二人掛けのテーブル席を見繕うと、二人はそこに向き合う形で腰を下ろした。
この時間の間食は夕食が食べられなくなる——そう思ったがどうにも席だけ使うのは気がとがめた。
売店で恐縮そうに購入した二人分の紅茶をそれぞれ手前に据える。
「——それで、アンタさっき自分がアルテマだって言っていたわね」
辛抱できずセリナから話を切り出した。
吸い込まれそうな瞳が真っすぐセリナの目を見つめ返す。
アーシャは落ち着いた調子で「ええ」と一言だけ相槌を打った。
「にわかに信じがたいんだけど。……証拠は?」
「物理的に見せられるものはないね。別に、信じてくれなくても構わないけれど」
アーシャはテーブルに備え付けのシュガーポットを小さな手で引き寄せる。
白い湯気をくゆらせ、甘い香りを放つカップの中へ角砂糖を躊躇いなく追加していった。
(入れすぎでは……五個っと)
呆れ気味でもリサーチに抜かりはない。
脳内で天敵の最新情報を更新してから、セリナも一口だけ紅茶に手を付ける。
上品な茶葉の香りが喉からすうと抜けていく。
慣れ親しんだ味。日常を取り戻したような気がした。
「ただ、私が完全無詠唱で高等魔法も扱える魔法使いであることは、あなたが一番近くで見てきたでしょう? 強いていえばこれが証拠かな」
自分の目に嘘はつけなかった。
それでも眼前の華奢な少女が、"かの大魔法使いと同一人物である"というのは些か疑問が残る。実力とそれは別問題である。
「私はあなたと話す機会をずっと窺っていた。昼間声を掛けてきてくれて、嬉しかったな」
例えば社交界で上品なお嬢様に同じ台詞を言わたらば素直に嬉しいかもしれない。
どういうわけか彼女がいうと表面的な感情以上の意図があるように思えてならなかった。
「あたしは、別に」
「つれないわね。素直に打ち明けると、わたしは——あなたと契約を交わしたい」
「……契約?」
アーシャは含み笑いを向ける。
契りの約束と書いて契約である。重い。重すぎる。
まだ『友達になってほしい』くらいの方が子どもらしくて可愛げがある。
セリナは自身の猜疑心を評価しつつ、腕を組む。
「私はこの学園でやるべきことがある——でも、そのためには信頼できる協力者が必要ってこと。もちろん、お互いにメリットがある契約。私の方は……ちょっと命の危険が伴うけど」
「お疲れ様でした‼」
一流家庭教師に叩き込まれた瞬発力を最大限発揮し、セリナは椅子から飛び上がった。一刻も早く帰りたかった。
「待って! ねえ! 待って! ちゃんと聞いて! ねえ——!」
うるうると瞳を輝かせて、小動物のようにか弱い力で腕を引っ張るこの少女の姿なんて、見なければよかったのだ。
セリナは激しく後悔の念に駆られるが、時すでに遅し。
どこからともなく土塊の人形が現れ強引に席へ着かされた。
さらに、着座の瞬間から身体に違和感がある。いや、なかったのだ。
「ねえ、首から下の感覚がないんだけど。話を聞いてもらえないからって強硬手段に出たな」
先ほどの小動物はどこへ行ったのやら。
アーシャは何事もなかったようにその砂糖まみれの甘ったるい紅茶を一口啜る。
「魔法使いの話は良く聞きなさい。お互いにメリットがあると言ったでしょう?」
(話は進めるのね……)
「命の危険の対価ってなによ。あいにく、あたしお金には困っていないのだけど」
その言葉でアーシャはぴくりと片眉を上げる。
「それはそれは。羨ましい限りね。でも違う。あなたにとってとても価値のあるもの——それは、わたし」
一瞬言葉に詰まる。——この子は何を言っているんだろう。
確かに整った目鼻立ちではある。将来は美人になること違いない。
「……はあ。顔は整ってると思うけど。あたしは……アンタをそういう対象にはちょっと」
「そうじゃないわ。いい? わたしは三百三十三種全ての魔法が使えるの」
セリナは驚かなかった。
彼女が自身をアルテマだと言い出した時から、漠然とそんなことも言い出しそうな予感がしていたからだ。
しかし、アーシャはきっと気づいていないのだろう。それはそれで別の問題をはらむことになる。
「——それって、犯罪じゃない?」
かつて大魔法使いアルテマによって定義された三百三十三種の魔法。
通称『アルテマ定義』。それは無法地帯と化していた魔法文明を体系化することで危険度を定め、秩序をもたらしたのだ。
特に三百番台は習得も使用も厳格に禁止されている。
魔法使いを志すものなら知らないはずがないのだが。
「わたしが『アルテマ』だという前提条件なら——?」
アーシャがまた含み笑いを見せる。
この子は情報を小出しにして相手に悟らせるきらいがある。
結局のところ、仮にそうだとしてもメリットに寄与しないのではないか。
「だとしても、アンタが歩く魔法図鑑であることが何なのよ」
「……鈍いわね。わたしと契約を交わせば、この大魔法使いアルテマが、直々に魔法の稽古をつけてあげるということ。どう? あなたは成績を上げて特待生を維持したいんじゃないの」
中らずと雖も遠からずである。
特待生は成績次第ではそのラベルをはく奪されてしまう。
維持するためには常に学徒の模範あり続ける必要がある。
「大魔法使いの弟子ねえ。……確かに、それが本当なら魅力的ね」
「そうでしょう? じゃあ、契約せ——」
「でも断る!」
セリナの予期せぬ返答にアーシャは口を半開きでまごついた。
そして、消え入りそうなか細い声を絞り出す。
「ど、どうして……?」
「別に魔法を教えてもらわなくても、あたしは特待生を維持できるし、そのまま卒業もできるからよ。危険に対してメリットが釣り合ってないってことね。悪いけど、他当たりなさい」
しゅんと肩を落とすアーシャに「これ解いて」と語気を強め促すと、直ぐに身体の自由を取り戻した。
手前のカップに残った紅茶を飲み下しセリナは立ち上がる。
「アンタが犯罪者なのは誰にも言わないから安心しなさい」
「違うもん……アルテマだもん……」
悲愴感に満ちた声が、立ち去る背中に向けて投げられる。
セリナが振り返ることはなかった。




