十五歳、春の失敗 ③
放課後の校舎。
太陽が傾き始めた頃、セリナは剣術訓練を終えたその足で日課の尾行を始めていた。
着替えもせず訓練着のまま腰には鍛錬棒を携え物陰から対象を覗き見る。
ふらふらと徘徊を続け外へと出ていく姿を見届けると、セリナはよしと意気込んで動き出す。
「——何がよしなんだ?」
背後から澄んだ声が投げられる。聞き覚えがあった。
慌てて振り返ると、見知った顔が眉根を寄せていた。
「お、お兄⁉」
声の主は実兄のエリックだった。
目鼻立ちがくっきりとしていて、セリナとよく似ている。
同じ赤髪でも逆立てた短髪は揺らめくかがり火のようにも見える。
「セリナ。入学式からしばらく経つというのに、挨拶ひとつこないのはどういうつもりだ?」
虫の居所が悪いのだろう。荒い言葉尻がセリナに刺さる。
確かに、日課を優先しすぎだったきらいがある。本来なら反省すべきだろうが、今はタイミングが悪い。
「ごめん! 今それどころじゃなくて——今後ちゃんと挨拶行くから!」
強引に話を切り上げセリナは走り去る。
「お、オイ——! ……なんだ、あいつ」
ぽつんと残されたエリックの言葉は黄昏の空気に溶けていった。
一瞬見失ったアーシャを人気のない中庭で見つけたのは数分後のことだった。
柱の陰からそっと顔を覗かると、背の低い植え込みに囲まれた中央ではこの学園を開校した大魔法使いアルテマの銅像がそびえる。
所々緑青の跡を残しているが、目立った風化は見当たらない。
四方を囲む校舎に遮られ日当たりもあまり良くないし、ベンチもないので立ち入る人はほとんどいない。
この場所で、彼女は何を——?
両手を差し出し微笑む銅像。
『魔法を学びたいものは全て家族として受け入れる』という学園の理念を表しているのだろう。アーシャはそれを見上げひとりごちる。
「そんな優しい顔も、できるのね」
どこか哀愁の漂う声は誰に届くこともなく消え入った。
「……それで隠れているつもり? 相手をしてあげるから出てきなさい」
凛とした声音が今度はハッキリと中庭全体に木霊した。
ついに見つかったか、と息を吐く。
セリナは渋々柱の陰から一歩を踏み出すが、中庭のアーシャはなぜか背を向けていた。
一瞬の違和感。そしてそれは予想だにしていない、もう一人の潜伏者に向けられた言葉だったのだとセリナは気づいた。
アーシャの正面で不気味なほど深く暗い渦が疾風を巻き起こす。
稲光のような閃光を放った瞬間、渦は消え去り、巨大な鉄仮面の騎士が姿を現したのだ。
優に二メートルは超えるだろうか。
小柄なアーシャと並ぶと相対的に巨体に見える。
気圧されたセリナは一歩後退った。
——だが、あるはずのない壁に阻まれた。
(これは——まさか、結界⁉)
セリナの足元を境に中庭全体を取り囲むよう展開された障壁。
「……」
鉄仮面は言葉を介さずじっとアーシャを見つめている。
鎧の軋む音が怪しく響き、右手を振りかざすと虚空に切れ目が入った。
そこから引き抜くように大剣を取り出し構える。
体躯と同等の長さと骨も砕きそうな厚みがあった。
敵意の塊のような凶器を見ても、アーシャは微動だにしない。
ふんと小さく声を漏らしたかと思えば、衝撃音を轟かせた巨大な影が、鉄仮面を側面から勢いよく弾き飛ばした。
それは巨体を飛ばせるくらい特大な土塊の拳。
アーシャが一瞬で地面を変形させて打ち込んだのだ。セリナは息を呑む。
(無詠唱魔法……)
無詠唱は単純に手順を省略しているだけではない。
発動タイミングを相手に悟らせないのは、すなわち先手必勝法に近い。
高等魔法なのだろうか、彼女が無詠唱ゆえにセリナは推測でしか見ることができなかった。
投棄されたガラクタのように弾んだ鉄仮面の鎧は中庭の端で体勢を整えると、改めて大剣を構える。
しかしアーシャの魔法の方が早い。
鉄仮面の四方を土壁が覆い逃げ道を塞ぐと、地鳴りを上げ四面の壁が蕾のように捩じれながら閉じていく。土の圧力で押さえているのだろうか。
アーシャは握り拳を向けて、じっと土の蕾を見つめる。
中庭に静粛が訪れたと思った。
だがそれはほんの一瞬に過ぎなかった。
耳をつんざく発破の衝撃音と巻き上がる土埃。鉄仮面は再び姿を現す。
「思ったより硬いね」
素早くせり上がった土壁が、爆風と飛び散る破片からアーシャを防御した。
鉄仮面は鈍足だ。大剣を構えると真っすぐアーシャ目掛けて突進していく。
標的は大きく狙い易いのだろう。アーシャの土拳魔法が連続で発動し鉄仮面を襲う。
大剣の一閃。土塊の拳を切断するが、手数の多さでアーシャが一枚上手だった。
背後から土拳が肩を掠めると鉄仮面はバランスを崩しよろける。容赦ない追撃。
まるで前線の武術家だ。
どれだけの魔法が発動しているのか、セリナも認識できない。
アーシャは小さな右手を空に向け掲げると、掌に火種を作る。
それはみるみるうちに膨らみ巨大な火球となった。
トドメの一撃としては十二分に足りている。
(これが……魔法使いの戦いなの?)
手数と規模で圧倒するアーシャの戦い方は、決して努力で届く領域ではないとセリナは悟った。
彼女がこと魔法においては天才であることは、セリナ自身が誰よりも知っているのだ。
(あれは……?)
アーシャの背後、火球の影に虚空の歪が浮かんでいた。
セリナは目を疑った。そこから線の細いもう一体の鎧騎士が姿を現す。
(アーシャは気づいていない……?)
鎧騎士はアーシャの背後で長刀を両手で振りかぶる。
一方アーシャは目一杯火球を膨らませ、目の前の鉄仮面へ向け放つ。
天才魔法使いが見せた、一瞬の隙。それを認識していない敵が狙う。
考えるよりも早く足が動いていた。
ゴキン。と鈍い音がして、振り向いたアーシャはようやく背後の敵に気付く。
「ちょっとは危機感持ちなさいよ‼」
振り下ろされた長刀を、セリナが受け止めた。
衝撃で鍛錬棒は弓なりにしなりギリギリで持ちこたえている。
アーシャは一瞬目を見開き呟く。
「期待通りね……」
セリナは腰を捻り鎧騎士を蹴り飛ばす。
軽い金属音が反響する。よろめいたところを頭上から巨大な岩石が仕留めた。
「いや力技かい‼」
「これも立派な魔法よ」
巨躯の鉄仮面は二人の背後で火球を浴びバチバチと音を立て炎上していた。
白煙を上げているが、有機物の燃える臭いは漂ってこない。
対して、岩石の下敷きになった方は身動きを制限されひっくり返った虫のように四肢をばたつかせる。
「なんなの、こいつら」
「話の通じない相手なのは確かね」
アーシャはそう言って沈黙する巨体と華奢な鎧、それぞれに向けて掌をかざす。
すると二体の足元に魔法陣が浮かび上がり、その中に吸い込まれるように沈んでいく。
「なにを——したの?」
「ただの除外魔法。二百番台の空間系だけど使えたら案外便利よ」
二百番台——とても教えを乞う学徒が使える代物ではない。
天才特待生のラベルを差し引いても、彼女が繰り出した土塊の拳や火球は基礎の範疇を越えている。
「こんな高等魔法に無詠唱だったり。アンタ、一体……何者なの」
セリナは疑念をもって訊ねる。
意外にもアーシャの反応は躊躇いがなかった。
「あなたになら教えてあげてもいい。わたしのことを尾行するくらいずっと好きみたいだし」
「なっ! ち、違うから‼」
いつしか結界は消え去り、中庭に校舎棟の隙間から西日が差し込む。
セリナの赤面した頬を誤魔化すように照らした。
「私は……アルテマ。三百三十三種の魔法を定義し——【イクサ魔法学園】を創立した。ただの魔法使いよ」
淀みない少女の言葉は薄明の空に落ちた。




