無詠唱魔法使いvs完全無詠唱魔法使い ③
翌々日の早朝、寮長経由で呼び出しがかかった。セリナとアーシャは再び生徒会室を訪れていた。
「——失礼します」
重厚な扉をくぐると、しんとした室内に眩い朝日が差し込んでいた。セリナは目を細める。中央の机には生徒会長リーヴェルでなく、エリックが深々と腰かけていた。その姿を捉えてセリナはほっと胸を撫で下ろす。
あの夜、中庭の一件は多くの目撃者がいた。『新入生が会長を打ち負かした』と尾ひれのついた噂が学園全体に広がるのに、一日も要しなかったのだから恐ろしい。その状況を、当人であるアーシャはともかく、リーヴェルがどう思っているのかは見当もつかない。
翌日から登校していないみたいだと風の噂で聞いていた。万が一この場に彼女がいたとして、噂の発端となったセリナとしてはどのような顔を向ければいいのか。
「セリナ、気にする必要はないよ」
不安に思う心情を汲み取ったのか、エリックは穏やかな語調で笑顔を向けた。
肩を並べるアーシャをちらりと見る。一見するといつも通りのミステリアスな雰囲気そのままだ。しかし、実のところは噂の波及はリーヴェルだけでなく、アーシャにまで及んでいた。
昨日一日を普通に過ごしただけでも、クラスメイトから上級生まであらゆる人間が一目アーシャを見ようと教室に詰めかけたのだった。セリナやアスカが一目を避けて連れ出し、同室のティアには注意を呼び掛けた。
アーシャの半目開きがいつも通り眠いのか、疲れから来ているのかは定かではない。
「あまり時間がないのだけど」アーシャは堂々という。セリナからすればエリックは身内であるが、アーシャからすれば生徒会に所属する上級生のはずである。それでも、取り繕ったりしない姿勢には関心すら覚えた。
「では端的に——結果から伝えよう」
結果——すなわちアーシャの再試験のことだった。予想していた直訴の形とはならなかったが、あの後リーヴェルは約束を守り理事会へ働きかけてくれたらしい。妙な一拍が空いて、エリックは続けた。
「今回の騒動の火種というべきか。アーシャ・グローリアの再試験は、認められなかった」
「な、なんで⁉ アーシャの実力は十二分に証明できたはずよ!」
力強くセリナは詰め寄った。
「懸念していた通りだったよ。異例ともいえる再試験を認めれば、他の生徒からの心象がよくない。そもそも、そういう前例を作ること自体が問題視された」
「そんな……」
言葉が出ない。奮闘し翻弄されたあの日の全てを否定されたみたいで、心臓がぎゅっと縮こまる。
「そう悲観するな。オレはまだ『再試験は認めらなかった』として言っていないよ」
言葉の真意を図りかねて、セリナは小首をかしげる。
「今回は点数の再調整が入るそうだ。無詠唱ゆえに基礎点はつけられないが、評価点が上限60点つく。つまり、学園全体に公表はされないが、書類上は配点が入るということだ」
吉報——ということだろう。セリナは顔を綻ばせる。
「お兄! 本当にありがとう」
「どういたしまして——と、言いたいところだが、今回は学園長と、会長に言ってくれ。オレは諸々の伝達役なだけさ」
例え部分的であっても、アーシャの実力が評価に値すると認められたのだ。「よかったわねえ! アーシャ」と上擦った声が漏れる。嬉しさのあまり、気がつけばアーシャを抱きしめゴシゴシと頭を撫でていた。
「今回の一件と今後について、アーシャに話しておきたいことがある。悪いがセリナ、少しだけ席を外してくれないか」
エリックは穏やかな口調だが、真剣な眼差しをセリナに向ける。生徒会の人間として、彼の背負う責務にような重圧の一片を垣間見た。
「……わかった。アーシャ、またあとでね」弾むような足取りで、セリナは生徒会室を後にした。
▽
「さて……」
セリナが退室し、空気が一変する。出入口の扉が閉まりきったことを確認すると、エリックは机上で腕を組み直し冷たい視線を向けた。
——アーシャ・グローリア。
肝が座っているのか、それとも単に世間知らずなだけなのかは定かではなかったが、生徒会役員と対面でも顔色ひとつ変えない無神経な生徒は今までにいないタイプである。
アーシャは呼吸を乱さず、汗もかかず、目線が泳ぐこともなかった。それはまるで世の中を知りつくし、時勢を達観する熟練の老魔法使いのようだった。
「今回の一件、僅か一日で学園中に噂が広まったわけだが……。大変な人気ぶりじゃないかアーシャ・グローリア。そこから見える景色はさぞ気持ちがいいだろう」
「噂というより、事実だもの。変なのが湧いて邪魔だから生徒会でなんとかしてほしいものね」
「放っておけばいい。人の噂なんて所詮水ものなのさ。実のところ、オレは君に感謝すらしているよ」
「感謝……?」
アーシャは眉根を寄せて首を傾げる。無理もない。なぜならば、誰にも打ち明けていない、内に秘めた怨恨の類なのだから——。
「オレさ、アイツ嫌いなんだよね。理由はまあ、色々とあるけど。しかし、あの夜は最高だった。生徒会長が新入生相手に粋がった手前、大衆の面前で大恥をかくことになってザマァみろってね」
「そう。話はそれだけ?」
冷淡な口調だった。リーヴェルにも、自信の置かれた状況にも関心がないとでもいうようだ。
「なんだ、つまらないな。君もアイツに色々と言われて、少しは腹を立てているんじゃないか?」
「別に。省略詠唱まで使えるなら魔法使いとしては人並み以上。将来有望だとは思うわ」
肩を震わせてエリックは笑い声を上げる。アーシャの器は相当深く立派なものらしい。関われば関わるほどに疑念は深く、信用は薄くなっていく。
「閑話休題といこうか——お前、何者なんだ」
ナイフのように鋭く核心を突いたつもりだ。しかし、アーシャは呆れたように肩をすくめる。
「あの時も言ったのだけど。わたしはただの魔法使いでしかない」
突然の衝撃音が耳をつんざく。エリックが自分で机を激しく叩いた音だと認識するまでに一瞬を要した。息が上がって心臓の脈動が早い。柄にもなく昂奮していることは自覚していた。それでも、引き下がるわけにはいかない。
「ふざけるな! ただの魔法使いが、完全無詠唱などできるものか。聞くところによれば、お前は理事長が推薦したらしいじゃないか。魔法界現役最強の男のお墨付きとはな」
「よく調べたのね。経歴は一部詐称してあるはずだけど」
「オレを甘くみるな。あの程度の詐称も見破れずして、領主にはなれないさ。何が目的だ? 学園で何をしている?」
次の瞬間、炎がアーシャを囲うように渦巻く。それでも彼女が動じることはなかった。
「少なくともアナタには関係ないことよ」
「オレでなく——セリナか?」
セリナの名前を出した途端、僅かにアーシャの目線が動いたのを見逃さなかった。エリックは畳み掛ける。
「完全無詠唱なんて、人間技じゃないだろう。そう、まるで——」
「まるで『魔神族』とでもいいたいの? ……安心して、ただの人間だから」
エリックの考えが手に取るようにわかるとでもいいたげに、アーシャはその名を口にした。歴史上、魔法使いが唯一敗北を期した、歴史に葬られたはずのその存在を。
アーシャは親指を腹を力強く噛む。指先から流れ出た鮮血を見せつけるようにしてエリックへ向けた。同じ血の通う生き物だと、証明しているようだった。
「いつの時代の人間だ。血で身の潔白を証明できる時代は終わったんだよ。悪いが素行不良の名目で監視をつけさせてもらう。外出も学園と寮の往復以外は禁止だ」
「なんの権限があって?」
「生徒会役員はな、生徒の処遇を指導できるんだよ。覚えておくといい」
アーシャは嘲るように鼻で笑ってみせた。
「何がおかしい」
「セリナが知ったらなんていうかしらね」
「気にする必要はない。もうセリナには近づくことは許さない。お前は——妖しすぎるんだよ」
アーシャは頬に手を当てて、考える素振りをみせる。
「それは……無理ね」
「指導に従えないならば、権利で引き剥がすまでだ」
「ふうん。セリナの家族なのに、聞いていないのね」
「……何の話だ」
「わたしたち、付き合っているのよ」
「…………は?」
言葉の意味は理解できるのに、噛み砕けない不思議な感覚だった。脳が情報処理に追いついていないとでもいうべきか。エリックが固まっているのをいいことに、アーシャは頬をわずかに赤らめて続けた。
「あの子ったら、恥ずかしがってまだ家族にも報告していなかったのね」
「おい、待て。……えっ。どういうことだ」
エリックは露骨に狼狽える。
「そういうことだから。これからもよろしくね——お義兄さん」
アーシャを囲んでいた炎が一瞬で鎮火し、何事も無かったかのように軽い足取りで出て行く。その小さな背中を、エリックは手を伸ばして見つめることしかできなかった。
「……マジか」
しんとした生徒会室に、ぽつりと言葉が溶けていった。




