無詠唱魔法使いvs完全無詠唱魔法使い ②
爽やかな新緑の香りが風に乗って鼻を衝いた。清々しさよりも見届ける不安の方が大きかったのだろう。セリナは目を細める。
寮棟で三方を囲われた箱庭は美しい草花が丁寧に手入れされていて、普段はここで生活する生徒たちの憩いの場であるに違いない。しかし、今はどこか殺伐とした雰囲気を醸し出していた。
一角に設けられた『広場』では前代未聞の無詠唱魔法使い同士がぶつかり合おうとしているのだ。居室から中庭を覗き見る傍観者の気配も感じられる。セリナとエリックは邪魔にならないように棟際の離れた場所から二人の様子を見る。
「なに、この状況」気の抜けた声でアーシャが言う。
「なんで本人が状況を把握していないんだよ」
すかさず対面のリーヴェルが口を尖らせた。
「あっ」焦るあまり説明を欠いていたことにセリナは気づいたが、この状況下で殊更丁寧に説明する必要もないだろうと判断し声援を送る。
「アーシャ! あんたの実力見せつけたれー!」
奇跡的にそれだけで察しがついたのだろう。アーシャはリーヴェルとセリナを交互に見た。
「キミ、無詠唱魔法使いなんだってな。あの時は気づかなかったよ」
「どこかで会ったかしら」とアーシャは首を傾げる。
「ふん、どうやら記憶力は鶏並みらしい。会っただろう、生徒会室だ」
「……そう。申し訳ないけれど、人の顔を覚えるのは苦手なの。突飛した特徴でもあればまだ覚えられるんだけど」
「構わないさ。今夜から覚えてくれればいい。最強の無詠唱魔法使いであるリーヴェル様とな」
遠回しに特徴がないと揶揄されるも、リーヴェルがそのことに気付いた様子はなかった。思案顔を浮かべたままアーシャは続ける。
「……ああ。『もう一人の無詠唱魔法使い』というのはアナタだったのね」
「よく知らずに今までこの学園で生活できたな」
「忙しかったのよ」
「ふん、何か悪だくみでもしているのか? まあいい。無詠唱魔法使い同士、もっと建設的な話がしたかったのだがな」
「無詠唱なんて大したことないと思うけれど」
「こいつはケッサクだ。いいね——その気概は気に入ったよ。少し遊んでやるとしよう」
そう言ってリーヴェルは息を吐きながらアーシャと距離を取る。途端に魔法陣が足元で展開し、そこからひとつの『壺』がせり上がる。リーヴェルがさらに大きく息を吐く。すると、箱庭全体を包むようにして、とめどなく水が溢れだした。これが魔法で生み出した水であるなら、噂通りの無詠唱だ。傍観するセリナは息を呑む。水はあっという間に膝くらいまでの水位となった。
「どこから水が……」
独り言のつもりだった。しかし、エリックがすかさず補足する。
「水魔法は空気中の水分を濃縮しているんだ。結局のところ、魔法というのは自然界の応用だからね。火の魔法は酸素を燃焼するし、『無』から『有』を作ることはできないんだよ。覚えておくといい」
互いに目線は広場へ向けたまま、セリナは「ふうん」と生返事をした。
「セリナ、濡れてしまうからデッキに上がったほうがいい」
エリックが穏やかな語調で言って手を差し出す。そこは本来、寮から中庭に出るためのウッドデッキなのだろう。ギリギリまで水位が上がってはきているものの、避難する足場としては最適だった。
セリナは差し出された手を掴むことなく、自力でウッドデッキへと上がる。悲しそうな表情を浮かべるエリックを横目にセリナは思案していた。
(会長は水を張って一体何をするつもりなのかしら……)
一方で、アーシャは水が庭全体へ広がる前に得意の土魔法で足場を作った。さながら孤島である。水を含んでいるためか、足場の端がボロボロと崩れ落ちる。
「噂の無詠唱か。なるほど、発動タイミングすら読めない。キミ、再試験をしてほしいんだってなあ? わがままなやつだ」
「無理なら別に構わないわ」
「ふん、異例どころか非常識なんだよ。それでもなお、キミを特例として扱う価値があるか。その実力を示してもらおうか」
リーヴェルが『壺』を蹴り倒すと、中から何かが飛び出し水面がゆらゆらと波打つ。次の瞬間には、ひと際大きな影が中庭を遊泳していた。
(なに……? 生き物⁉)
その影はアーシャの周りを数周すると、波しぶきを上げて飛び掛かった。黒く湿った体表に短い四肢。そして強靭な尾。
「オオサンショウウオね——」
アーシャは決して十分でない足場の土を変形させて、オオサンショウウオを押しのけ、体当たりを回避した。しかし、オオサンショウウオは怯むことなく再び水中に潜り狙いを澄ませている。
「本来、オオサンショウウオは典型的な『下流で待ち伏せる狩り』をする。だが、こいつは特に手の付けられない特殊な個体でな。自分から餌を襲うし、私のいうこともあまり聞かないんだ。さて——この子を倒せるかな?」嘲るようにリーヴェルは言った。
考えてみれば納得のいく方法である。実力を推し量るだけであれば、なにも当人同士がぶつかり合う必要はないのだ。一方が無理難題を要求し、それをいかにして乗り越えるか——奇しくも試験に近い方法だが、合理的だともいえる。
オオサンショウウオは再び水面から飛び出し、アーシャを襲った。同様に土で防ぐも、水を含んだ土は脆くいとも簡単にひび割れ崩れる。
「どうした? 防戦一方ではジリ貧だぞ」
上擦った声でリーヴェルは煽る。それでもアーシャは動じることはなく、ただ目線でオオサンショウウオの動きを追っていた。
「なるほどね」
アーシャが唇の端を持ち上げ、無詠唱で更に足場の土を盛る。強度を高めているのか、次に展開する魔法に備えてなのかはわからない。
しかし、その様子を見てセリナは『アーシャが勝った』と確信した。根拠はなかったが、自信の溢れる表情を見ると安心して見届けられた。
「いくら足場を補強しても無駄だ。もうキミのことはエサとしか見えていないだろう。何がなんでも食らいつこうと暴れ続けるぞ」
「……ペットにしては、あまり良い趣味じゃないと思うわ」
「黙れ」
次の瞬間、アーシャの背後に魔法陣が展開した。そこから滝のように『水』がしぶきを上げて流れ出る。
「……みず?」
リーヴェルがごちる。傍観するセリナもまた、その意図を汲み取れてはいなかった。水流はとどまることを知らず、段々と水嵩が増していく。
「なるほど。賢いな」
セリナの隣で傍観するエリックが鼻をひくつかせて呟いて小さく笑う。
「なにが⁉」
エリックは何かを理解した様子だったが、まあ見ていればわかるとだけ言って濁した。
「水位を上げたところで何の意味がある」
アーシャの奇行を嗤うリーヴェルだったが、次第に状況の変化に気付いた。
——オオサンショウウオが、飛び出さない。
「……なにが起きている?」
つい先ほどまでアーシャの周りをぐるぐると周り捕食の隙をうかがっていたはずのオオサンショウウオは、水中で動きを止めていた。
「はい。わたしの勝ち」
「……何を、したというのだ?」
「その子——淡水生物よね。早く回収しないと、浸透圧で死ぬけど」
「まさか——」
リーヴェルは慌てた様子で勢いよく水中に飛び込む。動きの鈍くなったオオサンショウウオを掴むと、大きく息を吐いて魔法陣を展開した。中心に向かって生体と水が勢いよく吸い込まれていく。
「一体なにが起きたの?」
セリナは昂奮した。状況を見届けてエリックはようやく口を開いた。
「アーシャは水魔法を使ったんじゃなく、『海水を召喚』したんだ。淡水に海水を混ぜると汽水域ができる。淡水生物のオオサンショウウオは海水の比率が高くなればなるほど弱っていくということさ。空気中の水分を濃縮でなく、海水そのものを召喚するなんて、発想の勝利だね」
「よくわかんないけど、流石アーシャ!」
「海水そのものを『召喚』か。魔法だけでなく化学知識も豊富らしいな」
「魔法使いには必要なことよ」
「ふん、まるで魔法使いのなんたるかを理解しているような物言いだな。新参が、魔法使いを語るな」
ぐっしょりと濡れたリーヴェルの服から水が滴る。猛禽のように鋭い視線はアーシャを射抜いた。
「無詠唱魔法使いというから期待したのだけど、残念だったわ」
「……ああ?」
「アナタは完全無詠唱ではないのね。発動時に確かに詠唱の省略はできている。でも、それは詠唱を呼吸や唇の動作に落とし込んでいるだけ。それだと、熟練の魔法使いが相手なら発動タイミングが見破られてしまう。筋は良いと思うから、もっと研鑽を積むことね。あと三十年くらい頑張れば完全無詠唱も夢じゃない」
まるで自分が熟練の魔法使いとでもいうように、アーシャは淡々と指南する。その度に、リーヴェルの眉間に皺が寄っていく。
「何様のつもりだ! 私がこの無詠唱を習得するのに、一体どれほどの努力を重ねたと思っている⁉」
「知らないし、興味もないわ。覚えておきなさい、『完全無詠唱』というのはね——こういうこと」
アーシャがリーヴェルを煽りながら、その背後には疾風が渦巻き、炎がゆらめき、稲妻がほとばしる。
「魔法の……同時使用だと⁉」
「もう充分かしら?」
「ふざけるな‼」
怒り猛るリーヴェルが詰め寄る。深い呼吸のあと、その背後に憤怒の形相を刻んだ氷の球体が現れる。瞬間的に気温が下がり肌寒い。次の瞬間、逆立つ氷柱がアーシャ目掛けて地面を走った。
アーシャは動じなかった。背後の混沌とした複合魔法を誘導し迎え撃つ。
(なんか……やばそう⁉)
ふたつの魔法が衝突する瞬間、二人の間に割り込むようにして巨大な火柱が上がり互いに動きを止めた。
「——もういい。充分だ」
呆れをはらんだエリックの怒声が飛んだ。
「この場は『焔の魔法使い——エリック・フォン・バステア』の名において預からせてもらおうか」
しばらくの間、静寂が中庭を支配し、燻った臭いが周囲に立ち込めた。




