学園長の苦悩Ⅱ
「どうしてわたしが0点なの⁉ いったいどういう教育をしているの」
静寂に包まれた執務室で湿度の高い怒声が反響する。
学園長マルティナはなぜなに口撃に大息を吐きたい衝動を抑え、丁寧な語調を心掛けて言った。
「お言葉ですがアルテマ様。学園は健全な魔法使いの育成を目的としていますので、詠唱を省いて減点は真っ当な基準かと思います」
学園長の立場として意見を抑揚なく述べたつもりだ。
しかし、眼前の小さな大魔法使いにはなおさら癪に障った様子で、椅子の上でくるくると回転しながら四肢をばたつかせた。
「わたしが開校した学園で、わたしがルールから弾かれるなんてどうかしている⁉ ありえないでしょ‼」
「そう言われましても……」
「学園長、わたしの成績を改ざんしなさい」
「無茶言わないでください。ほら、これでも食べて落ち着きましょう」
そう言って戸棚から秘密兵器の小包を取り出す。昨日秘書が置いていったものである。
小さな両手がそれ受け取ると、ふくれっ面が一変した。
中身は甘いクリームの入った菓子だ。アーシャは分かりやすく相好を崩す。
(単純な人ね……)
「今回の試験結果がすぐに特待生制度に影響するわけではありません。期末で取り戻せばいいのではないでしょうか。筆記試験はほぼ完ぺきみたいでしたので、充分追いつけるかと」
「今回勝てないと意味がないのよ」
もしゃもしゃと咀嚼しながらアーシャが言う。
その口元には菓子屑がついている。
「……勝つとは?」
「セリナとテストの結果で勝負していたのよ。あの子を前衛として契約させる好機だったのに」
「その、アルテマ様があの子にこだわる理由は何ですか。確かに成績は優秀かと思いますが、事態が事態ですし実力のある前衛が必要なら学園内外から信用のおける人物を手配も出来ます」
「ダメよ。……前衛は絶対に、セリナでないと」
半ば意固地になっている様子だ。今度はわかりやすく息を吐く。
すると、アーシャは片眉を上げて付け足す。
「それより学園の改修図面の件はどうなっているの? 一週間くらい経ったと思うけれど」
飛び火である。マルティナは思案顔を浮かべる。
「いくつかは集まっていますが、正確な情報とはいえません。他方に当たっていますので、まだ時間はかかりそうです」
憤懣やるかたないとでも言いたげにアーシャは顔をしかめる。
その時、執務室の扉が外から叩かれ軽い音が反響する。来訪者だった。
マルティナはアーシャと目配せをする。アーシャは魔法陣を展開し、その矮小な身体を深淵へと沈めた。
「……どうぞ」
一拍遅れて返事をした。数秒かけて大扉が開いて少女が入ってくる。険しい顔つきだった。
「失礼します。——今日は、お願いがあってきました」
「セリナさん。中間試験お疲れ様でした。優秀な成績を納められたようですね。それで、お願いとは?」
「アーシャ・グローリアが実技試験で0点でした。学園長は、そのことをご存じでしょうか」
「……そのようですね。確か、無詠唱で採点ができなかったとか」
「はい。学園長、アーシャを——アーシャさんを、再試験させてもらえないでしょうか」
マルティナは目を細める。
「何か、理由があるのですか?」
「あいつは……この学園で、誰よりも優秀な魔法使いだと思います。それなのに、魔法の試験で彼女が正統な評価を受けられないのは納得がいかないんです」
「仰る通り、アーシャさんは優秀な魔法使いかもしれません。そして、無詠唱は大変貴重な才能であることは間違いないでしょう。ですが、事前に採点基準については伝達があったはずです。それに準じなかったアーシャさんにも非があると思うのですが」
「それは……」
セリナを糾弾するつもりはない。
しかし、学園長としての立場もある。語調を崩さず続ける。
「例えば、算術の問題で途中式を記載しなさいとあるのに、解のみ記載があったとしましょう。この場合は不正解になります。それは正当な理由に基づく判断だと思いますが?」
「そうかもしれません。でも——こんな言い方はしたくないのですが、それって揚げ足取りではないでしょうか。真っ当な実力を測るものではないと言いますか。いつの時代も、天才は常識に揉まれ苦しんできたんだと思います」
この数分のやり取りだけで、セリナ・フォン・バステアの人となりが理解できた気がした。
彼女はわがままなのだ。だが、そのベクトルは自分に向いていない。他者のためのわがまま。
それは同時に、いばらの道を進むことも意味している。
「……風の噂で聞きましたが、セリナさんはアーシャさんと試験の成績で勝負をしていたとか。再試験をしたとして、現状の結果が覆ってもいいのですか?」
「構いません。フェアじゃないんです。真っ向勝負じゃないと、意味がないんです。……だって、アーシャは……ライバルだから」
無垢な瞳がマルティナを射抜いた。
「つまるところ私情ですね」
「はい。私情です。わがままです」
「まったく。困った生徒ですね。学園のトップにわがままで直談判するなんて」
胸中で「二人とも……」と付け足すが、表情は崩さなかった。
「ある画家の話をしましょう。もう数十年前の話です。ある田舎町に言葉を話せない画家がいました。彼はほとんど人と関わりを持ちませんでしたが、生涯で大量の絵を残したのです。なんてことのない風景画が中心でしたが、彼の絵が評価されたのは最近のことです。もう、亡くなっているのですけどね」
執務室の壁に掛けられた油絵を一瞥すると、合わせるようにセリナも一瞬見た。
「『天才は常識に揉まれ苦労してきた』というのは、その通りだと思います。いつの時代も、規則は後からできるものです——再試験については、残念ながら私の独断はできません。しかし、背中を押すことはできるでしょう。私には既に話を通しているとして、生徒会にも掛け合ってみてください。もうひとりの無詠唱魔法使い——彼女なら、力になってくれるかもしれません」
張り詰めた糸が緩んだように、わかりやすく空気が変わった。セリナのこわばった表情もわずかに綻びをみせる。
「ありがとうございます……」
深々と頭を下げて去るセリナを見送った。
その姿が消えたことを確認してから「もういいですよ」と背後へ声を掛ける。
魔法陣が浮かび上がり、アーシャがせりあがってくる。
「……性根がいい子なのよね」
「そうですね、呆れるくらい。アルテマ様があの子にこだわる理由も、なんとなくわかる気がします」
「というか、学園長。途中わたしのことこき下ろしてなかった?」
「立場がありますので」




