中間テストの行方 ②
寮生活に不満はない。
あえて不便を挙げるとすれば、門限と食堂の利用時間が限られていることだろう。
いつでも食堂が利用でき混雑回避と謳いつつも、実際にはだいたいの生徒は似た生活リズムなのだから朝晩の食堂は生徒でごった返す。
夕食時、端のテーブルに空席を見つけたセリナは素早く身体を滑り込ませる。
安堵から息を漏らす。
混雑時の座席争奪戦にはまだ慣れない。
まさか立って食事するわけにもいかないので、毎日が戦場だ。
パンとシチューの乗ったプレートを手前に置く。
小麦と香辛料の香りが食欲をそそる。
「——庶民の食事は思ったより質素でしょう」
不意に声を掛けられて顔を上げる。
気づかなかったが、対面にはティアが座っていた。
「あっ、寮長。別にそういうことを考えていたわけじゃ……」
「そうでしたか。少しうわの空、といった様子でしたので。では、アーシャさんのことですか? さっき様子を見てきましたけど、また寝込んでいました」
「ほんと軟弱ね」
そう言ってふっくらとしたパンを小さくちぎり口へと運ぶ。
「一昨日の夜も……その……激しかったのでしょうか」
「はあ⁉」
思わず手が止まった。
彼女は一体何を言っているのだろう。
二人して深夜に寮を抜け出したことがバレているのか。
僅かな時間で思考が錯綜する。
「アーシャさんとは同室なのですから、知っていますよ。あの夜も彼女はちゃんと断りをいれてから出て行きました。『セリナとたっぷり深夜デートするから邪魔しないで』と。もちろん、ただのルームメイトである私に二人の関係を邪魔する権利はないと思います。ただ、セリナさんには、その、犯罪は犯さないようにしてほしい。そう思うのみです」
「チガウ」
「結局朝になっても戻ってこなかったアーシャさんを学園で目撃して私は確信しました。だって、かなり疲れた顔をしていたんですもの。激しいランデブーをされていたようですね。ですが、成長期の女の子ですので夜はちゃんと寝かせてあげてほしいんです。それか二人が同室になるように学園の方に私から掛け合って——」
「いやいやいや、結構です。離れていたいです」
「確かに、適度な距離感が関係性を強化するともいいますものね。夫婦も一緒に住み始めてから険悪になることも多いと聞きます」
「ごちそうさまでしたっ!」
一流の家庭教師に叩き込まれた瞬発力で、席を立とうとした。
しかし、ティアが器用に足でセリナを引き留める。
「安心してください。私は二人の味方です。応援しています。寧ろ詳しく話を聞かせてください」
「ヒイッ!」
既視感のある光景にセリナは眉根にしわを寄せてティアに向き直る。
ほんの数日前似たような光景に遭遇したばかりだ。
「私、安心しているんですよ」
「安心?」
「アーシャちゃんってほとんど会話もないというか。同室の私とも最低限のやりとりといった感じで……コミュニケーションが苦手なのかなと思っていたんです。でもセリナさんが積極的に関わってくれることで、あの子も時折楽しそうな表情を見せてくれて……私、自分のことのように嬉しくって」
ティアは目を細める。
下がった目尻が、彼女の穏やかさと慈悲の心を表しているようだった。
「……意外と普通なのよ、アイツ」
「セリナさんの前では、そうかもしれませんね。これからも公認カップリングとして陰から応援させてもらいます。あ、でもあと数年待った方がいいかもしれません。犯罪になるので」
「だから! 違うっての」
多少強引ではあるがティアからは悪意のようなものは感じられない。
きっと純粋な気持ちで応援してくれているのだ。
だからこそ面倒でもある。
重大な誤解を招いたまま建設的でない話はその後小一時間ほど続いた。
▽
「——焔の精霊よ、穢れなき神の子に燠の恵みを施したまえ #001グルート」
手元に意識を集中させると、丸めた藁の塊に小さな火が燻った。
焦臭が鼻を衝き抜け、セリナは安堵と不快の入り混じった表情を浮かべる。
火種の魔法は最初に定義された生活魔法だ。
ヒトは火を扱えたから進化したのだというが、最初はもっと原始的であったはずだ。
漠然と木片を擦る姿を想像しながら、火種が風で消えないようにそっと両手で囲う。
しかし、火種は育たないまま数秒で鎮火してしまう。
一般的には着火後に炎が上がり火種となる。
上級者ほど燃焼させる酸素量を調整し真っ赤に燃える『熾火』にするのだ。
「はあ」と溜息が漏れる。
日常的に使用していたのならともかく、貴族出身のセリナにとってはこの小さな火種すら初めての経験で、コツを掴むことに苦戦していた。
「なーにため息吐いてんのっ」
おどけた調子でアスカが覗き込む。
「稀に火種が消えちゃうのよね」
「さっき着いてなかった?」
「……あのね、こういうのは100回やって100回正しく着かないと意味ないの。これがもし本番だったら0点よ? 0点」
課題の自覚はあった。
ほとんどが育つものの、数回に一回は鎮火してしまう。
成功率は九割程度だ。だからこそ余計に神経質になってしまうのだろう。
「優等生のお嬢様は大変ですな」
「揶揄わないで。ちょっと、コツとかあったら教えなさいよ」
「うーん。子供のころから使ってたし、火がつかなかったらやり直してたからなあ。いざ教えるってなると感覚としか言えないかも」
「この役立たずがー!」
ちらりと横目を向ける。
視線の先にはいつも通りアンニュイな表情を浮かべるアーシャの姿があった。
黙ったまま火種をつけては消し、つけては消しを繰り返していた。
(無詠唱がっ……! 見てなさいよ、絶対負けないんだから)
躍起になって再びセリナは手元を見下ろす。
集中力を高め詠唱した。
その瞬間、目の前を真っ赤に染まる火柱が上がった。
熱気と眩しさに「うわっ」と上擦った声を上げて仰け反ると、周囲がざわついて注目を集めた。
「——火のイメージが強すぎるの。『火種の魔法』はただ着火するだけ。詠唱の意味をちゃんと理解している? 焚火や火球をイメージしてはだめ。詠唱と矛盾が発生して出力にブレが生じてしまうの。ただ火をつけるだけ。熾火にしたいなら、子供を見守るように優しい気持ちを添えるのが安定させるコツかな」
いつの間にかアーシャが目の前に来ていた。
焦げ臭い藁を優しく包むように触れると、無詠唱で点火する。
熱気と共に白煙が立ち昇った。
「ほら、これを『維持』してみて」
躊躇いはなかった。
アーシャの指摘は的を得ていたし、なにより魔法の才能だけは認めざるを得ないと自分が一番知っているのだから。
アーシャの小さな手の外側から、セリナの手が被さる。
火種が次第に安定して熾火へと育っていく。
「アンタ……どうして」
「フェアじゃないでしょ。お互い本気なのだから、全力でぶつかるのは当然じゃない」
そう言ってアーシャは離れていく。
きっと善意ですらないのだろう。
アーシャ・グローリアはそういう子なのだと、皮肉にも自分自身が一番理解していた。
気づかれないように、セリナは唇の端を緩めていた。
▽
中庭に生えるひときわ大きな広葉樹。
その木陰はアーシャの特等席だ。
彼女が普段昼休みをここで過ごしていることを、セリナは知っている。
だからこそ、所在に迷うことはなかった。
読みかけの本で顔を覆うようにして小さな寝息を立てる少女の隣に、何も言わずに腰を下ろす。
葉の揺れる音と草の匂いが心地よい。
「なに?」
「わっ⁉」
耽っているうちに突然声を掛けられ虚を突かれた。
うろたえながらも、もじもじと目線を向ける。
「こ、これ! さっきのお礼……」
購買で買ってきたパンの包みを差し出した。
みずみずしい野菜と引き締まった薄切り肉が挟まった人気商品だ。
味付けは少し濃い目で、それはアーシャ好みのはずだ。
アーシャは目を丸くしながら包みを両手で受け取る。
「お礼って……そんなつもりじゃなかったのに」
「ああもう。なんかあたしの気が済まないのよ‼ それ食べて体力つけなさい。あたしの得意な運動系はフォローしようがないでしょ」
早口になっていたと気付いたのは言い終えてからだった。
それでも、アーシャには伝わったようで、彼女は口元にうっすらと笑みを浮かべて包みを捲りかじりつく。
「……まあまあね。ありがとう」
頬にパンくずをて微笑む少女を視界の隅に入れながら、セリナは木の根へ仰向けになる。
そよ風が運ぶ春の匂いを、肌で感じていた。
「——絶対に、負けないから」




