中間テストの行方 ①
篠突く雨が窓ガラスを打ち、激しい音を立てる。
一瞬にして窓景を白く染め上げ、ようやく見慣れた穏やかな青々とした山並みも、忙しなく行き交う学徒の姿も見えなくなった。
漠然と視線を泳がせてセリナは眉根を寄せる。
暗澹とした表情を浮かべているのは体調のせいもあった。
昔から気圧の変化に敏感で、雨の日はキリキリと頭痛に悩まされてきたものだ。
しかし、今日に限ってはそれだけではない——。
半円状に広がる教室の中段から最前列へと目線を向ける。
寂寥感の漂うひとつの空席に少女の面影が残っていた。
(昨日は元気そうだったのにね……)
怒涛の展開となった一夜から二日。
夜通し奮闘した甲斐もあって大事にならなかったのは幸いだった。
アーシャが無断で拝借していた剣も、今朝方倉庫内で発見されたとアスカから報告があったばかりで、肩の荷が下りたのか穏やかな表情を浮かべる傍ら、当事者としては複雑な心境でぎこちない笑顔を向けるのが精一杯だった。
放課後の新入生寮。
馴染みのある木戸を見据えてセリナは佇む。
派手な装飾もなければ造りが簡素で防音性もあまりないことをよく知っている。
扉にそっと手を伸ばしては引っ込めてを繰り返す。
躊躇しているのは、そこが自室ではないからだ。
(ああ、なにしてんだか……)
扉を隔てた向こうには授業を欠席したアーシャがいる。
事情がわからないゆえにかけるべき言葉も作る表情も定まってはいない。
考えれば考えるほど迷走していくのに、ここまで出向いたのは大義名分があるからだ。
*
一日の授業が終わり気の抜けた声があちこちから湧き上がる教室内で、男性教官がセリナを呼び止めた。
屈強な身体が放つ圧迫感に息苦しさを覚える。
「……な、なんでしょう」
「これをアーシャ・グローリアに渡しておくように。それと、本来であればレポートの期限は今日までだ。明日朝イチで私まで提出するように伝えておいてくれ」
そう言って教官はHRで配布した書類の一式を手渡す。
落ちくぼんだ目元が綻ぶと満足げに踵を返していった。
「ちょ、ちょっと。どうしてあたしなんでしょうか」
教官が振り返る。その表情は呆れているように見えた。
「なぜって、いつも一緒にいるからだろう。それじゃあ、よろしく頼んだぞ」
何をわかりきったことを。とでもいうように立ち去っていく背中を、セリナは呆然と目で追いかけていた。
*
——という経緯からセリナは言われるままにアーシャの部屋を訪れることになった。
(プリント渡してすぐ帰ろ……)
ふうと大息を吐いて、コンコンと扉を軽く叩いた。
返事はなかった。
代わりに中ではガタガタと物音がして、「きゃっ」と小さな悲鳴が上がる。
居留守を使うつもりはなさそうだった。痺れを切らしてセリナは扉を乱暴に叩く。
「いるの⁉ ちょっと用があるから出てきなさいよ」
叫んだ直後に蝶番が軋む。
中から様子を窺うように少しだけ扉が開いたのを確認すると、セリナはつま先をねじ込んで強引に押し入った。
「ななな、なんですかー⁉」
慌てた女性の声にセリナは動きを止める。
アーシャの声ではない。
目を丸くして必死に抵抗する少女が顔を覗かせる。
丸眼鏡と綺麗なおさげ髪。
清潔感のある姿には見覚えがあった。
記憶の底からその正体を引き上げる。
「えっと——寮長!」
新入生寮で寮長を務める少女はティアと言った。
同じ新入生で面識はあるものの、クラスが違うのでほとんど関わりがなかったはずだ。
「セ、セリナさん……あぁ」
ティアの方はセリナを認識している様子だった。
セリナが言葉を発する前に、ティアは察したように続ける。
「アーシャさんなら中で寝ていますよ。今朝から具合いが悪いみたいで……」
「どうしてあたしの目的があの子ってわかったの?」
「へ? いつも一緒にいるじゃないですか」
何をわかりきったことを。とでもいうようにティアは顔をしかめた。
「最初からお見舞いに来たと言ってくれればいいものを。押し入ろうとするなんて強引すぎです!」
「……ごめんなさい」
生徒は相部屋だと頭では理解していた。
それに例え相手が周知の仲だとしても不躾だったかもしれない。
セリナは肩をすくめておずおずと部屋へと入る。
中は見知った構造だった。
自室とほとんど同じ備え付けの学習机と簡素なベッドが二人分。
左側に目を向ける。
本や書類が綺麗に整理されていた。
きっとこちらはティアが使っているのだろう。
机上の隅には黄色い生花を活けた小さな一輪挿しが置いてありかわいらしい印象を受ける。
対照的に、右側はなにもない。
机には埃こそ積もってはいないが、使用感は全くなかった。
その光景には既視感があった。
あれはセリナがまだ幼い頃だ。
屋敷の若い使用人に懐いて、従者部屋に入ったことがあった。
着替えや田舎の家族の写真。
必要最低限の荷物を持ってその身一つで出稼ぎにきた。
そんな印象だった。
アーシャの机周りはあの時の使用人と同じで、『自分を証明するもの』が何もない。
まるでいつでも立ち去る準備はできていると言わんばかりに殺風景だ。
使用人はあの後すぐに屋敷を出て行ったのだと思い出して、少しだけ胸が締め付けられる思いだった。
(物を持たない主義なのかもね……)
視線をベッドに移す。そこには毛布が人の形に盛り上がっていた。
「ごゆっくりどうぞ」
二人の邪魔はしませんよとばかりにティアがそそくさと部屋から出て行く。
気を遣ったのだろうか。
であれば一体世間からどういう関係で認識をされているのか、一度調査してみたいとさえ思った。
「アンタ、寝込んでんの?」
セリナの声に反応して、もぞもぞと毛布の山が崩れる。
アーシャが冬眠の途中で寝ぼけた動物のようにのろのろと顔を出した。
その動きを見て、そういえばリスも冬眠をする変温動物だったな。と無駄知識を想起させた。
「見ればわかるでしょ……。あの夜、上位魔法を連発して想像以上に身体へ負担がかかったの」
消え入りそうなほど弱弱しい声だった。
ただでさえ透き通るような肌も青白く染まっている。
(ははーん。それっぽいこと言ってるけど、さては筋肉痛にでもなったのね)
アーシャが上体を起こし、額から汗がしたり落ちる。
顔色は良くないが意思の疎通は問題ないようだ。
「……甘いものは」
絞り出したような声。
だが、その目は確認するようにセリナの全身を見ていた。
「えっ、ないけど」
「まさか……手ぶらでお見舞いにきたの? 正気?」
「そもそもお見舞いじゃないし。……強いていうなら、これね」
教官から託されたプリント数枚を鞄の中から取り出す。
アーシャは雑に受け取ると、大儀そうに目を通していった。
「……中間……テスト」
確かめるようにゆっくり言う。
手元の書類には来週に控えた中間テストに関する内容がびっしりと記載されていた。
セリナは補足する。
「そう。試験範囲と、日程ね。あと今日レポートの提出期限だったから、明日朝イチ提出するようにって言ってたわ」
「テスト……レポート……うう……学生みたい……」
「いや学生でしょ……。アンタねえ。才能にあぐらをかいていたら、すぐに足元をすくわれるわよ。テストの結果は評定に直接関わるわけだし」
「……評定ね」
呟いたアーシャが得意の含み笑いを向ける。
少しだけ顔色が良くなったように思えた。
「ねえ、勝負しましょう。——次の中間テストでわたしが勝てば、アナタは前衛としての契約をする」
「またそれ~。あたしが勝てば?」
「今後一切、契約を迫らない」
セリナは考える。
これはいい提案ではないかと。
ライバルを打ち負かす舞台を本人が用意してくれるのだ。
意気揚々と応える。
「フン、受けて立つ! わたしが勝てば加えて卒業まで購買への使いっぱしりにしてやるわ!」
「大口を叩けるのも今のうちよ? 早く帰って復習することね」




