二、羽鳥刑事と志波青年
「志波君、そうやって机に脚を乗せるのはやめたまえ」
長野県警の刑事羽鳥は言った。
「職場に一般人を入れるのだってよくないのに、そんな体勢でいる所を偉い人に見られでもしてみろ。私は即刻首だよ、クービ」
「いいじゃないですか」
白シャツを第二ボタンまで開けて、黒のスラックスを履いた長身猫背の男は、体勢を直して足を組んだ。
「僕がいくつ事件を解決に導いていると思っているんです?僕が居ないと誤認逮捕にでも成りかねなかった事件だっていくつもあった。僕のお蔭で長野県警はやっていけてるようなものですよ?少し姿勢が悪いくらいでケチ付けないでくださいよ。それに、アメリカじゃあ授業中、机に脚を乗せるなんて普通なんですよ。日本が厳しすぎるだけです。もっと温和になりましょうよ」
「私は十分温和だと思うがね」
中肉中背に背の低い羽鳥は、中年と言うより年配という言葉の方がよく似合う。
「私ももうすぐ引退なんだから、少しくらいは安心させてくれたまえよ、志波君」
「引退なんて、まだまだですよ、羽鳥さん。本当はまだ五十行って無いの、知ってるんですからね」
「老け顔に見られるのは、全て君の所為だよ。全く」
羽鳥はやれやれ、とお手上げのポーズをとった。
「昨日の事件なんて一体何だったんだい。全く、あれは群馬県警との共同捜査だったんだよ。それを踏みにじるように、突然舞台の照明を消して登場だなんて、ホームズか金田一耕介にでもなったつもりかい」
「お蔭で解決したじゃないですか」
志波は笑った。
「あ、それよりお茶でも行きましょうよ。こんな暇な日は」
「何が暇なんだい。昨日の君のお蔭で、私は始末書を書かなければいけなくなったんだよ。ああ、また三歳ほど、老けたかな」
「老け顔はもともとです」
「うるさい!」
「まあまあ、怒らずに。美味しいコーヒーが飲みたいんですよ、カフェイン依存なんでね。このオフィスの不味いコーヒーじゃどうしても我慢ができなくて」
志波は空のコーヒーカップを揺ら揺らとさせながら言った。
羽鳥刑事は、長野県警内でも指折りの名刑事である。県内の小さな事件から大きな事件まで、あらゆる事件を解決してきた敏腕だ。しかし、その活躍は、この志波という男の存在有ってこそのものであった。
志波裕也は、もう二十代後半か三十代前半辺りになるだろうか、幼児期に起こした犯罪が原因で、二十歳で更生施設を出所したのち、羽鳥の“右腕”となった。志波が起こした幼児期の犯罪が、羽鳥が刑事として担当した最初の事件であったからである。羽鳥は、志波との関係を“腐れ縁”と呼んでいるが、志波にとって羽鳥は“父親”同然の存在であった。
志波は、元犯罪者という事もあり、犯罪心理についてはかなり長けていた。また、産まれ持っての素質なのか、鋭い推理眼を持っている。彼にかかれば、どんな事件もあっという間に解決されてしまうのであった。
志波と言う右腕を得てから、羽鳥はぐんぐん出世した。それまでは刑事と言っても、優しすぎて使い物にならず、窓際部署ばかりたらいまわしにされていたのだが、志波の助言により、羽鳥は数多くの事件を解決に導くことが出来るようになった。志波のお蔭で出世したと言っても過言ではないだろう。
志波は優れた推理眼の持ち主であり、羽鳥の重要な右腕であると同時に、問題児でもあった。事件の解決方法が、どうしても荒っぽい。しかし、志波は一般人。始末書を書くのは、いつも羽鳥。
羽鳥は、はあ、と溜息を吐いた。
羽鳥にはどうしても志波を刑事課の事務所から追い出すことが出来なかった。羽鳥にとっては、息子同然の存在であり、強力な武器でもあるからだ。他の刑事たちも、今までの志波の活躍を見ているから、志波の存在を無下にできず、見て見ぬふりをしている。暗黙の了解という奴だ。
それでいつの間にか、応接の為に用意されていたソファと机が、志波のものになっていたのであった。
「じゃあ、コーヒーの代わりに、面白い話でもしません?」
「だから私は、始末書を」
「サイコパスの話ですよ」
「そんな、異常者の話を毎日のように聞かされる私の身にもなってくれよ」
羽鳥は頭を掻いた。志波は関係ない、というように続ける。
「今日はアメリカ史上最悪の殺人鬼、『ブルックリンの吸血鬼』についてお話しましょう。羽鳥さん得意の連続幼児殺人事件ですよ」
「いつから私は“幼児担当”になったんだね」
「『食人』目的で幼児をさらっては殺害していたそうですよ。結局は逮捕されちゃうんですけど、逮捕される原因が、被害者の家に送った“ある手紙”なんです。内容はこんな感じ。『一八九四年、当時中国は飢饉に襲われていました。あらゆる肉がポンドあたり一~三ドルの値段で売られていました。飢饉は重大であり、飢饉に苦しむ人を守る為、一二歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていました。十四歳以下の少年少女も、街路では安全ではありませんでした。どんな店でも、ステーキ肉やチョップ肉、シチュー肉を買うことが出来ました。裸の少年少女を連れてきて、欲しい部位を切り分けたんです。少年少女の尻は身体の中で一番おいしい部位で、子牛のカツレツとして高値で売られていました』すごいですね、人肉は美味しいんだそうです」
「良くそんな長文を覚えてきたものだね。それにしても気味が悪い話だ。やめてくれないか」
「面白いのはこれからです。彼は友人からこの話を聞くのですが、それで、人肉を食べたくなっちゃうんですよ。それで、約四百人もの少年少女を殺して食べたと言います。凄いですね。もしこの話が本当だとしたら、この事件で一番悪いのは誰でしょう?」
「その話をした友人だ、とでも言いたいのかい?」
「いいえ、羽鳥さん。友人は、冗談を言ったのかもしれません。異常なのはそれを聞いて“食べたくなってしまった犯罪者”、アルバート・フィッシュですよ」
「そりゃあ、そうだろうな」
羽鳥は仕事机に座ると、書類の山をどんと退かして、空きスペースを作ると、其処に今回の始末書を置いた。
「『食人』についてはいろいろと噂や犯罪や説がありますがね。やはり、若い体の方が美味しいらしいですよ。だから『ブルックリンの吸血鬼』も、中国のお話も、子供ばかりを食べたんですね。それと、おもしろい事がもう一つ分かりましてね。なんと、吸血鬼って奴は、実際に存在するようなんですよ」
「吸血鬼だなんて、西洋かぶれかい」
「『奇病』ですよ“ポリフィン症候群”と言うんですがね、血液のヘモグロビンを合成する物質の機能異常により、日光に当たると赤血球が壊れ、皮膚を委縮させ、犬歯の変形や歯の変色、例えば赤茶色とかにね、そして顔面は吸血鬼の様に真っ青になってしまうという難病なんです。これは遺伝性のもので、顔の一部が毛深くなったり、酷い場合は鼻や指が抜け落ちてしまうんです。こういう病気の人々は、日光を避け、治療の為に人の血を吸うんです。今は体内の血液を入れ替える治療法があるんですが、昔はそんな病気があるなんて、思ってもみなかったでしょうからね。他人も自らも、吸血鬼だと思ったんですよ。だから、吸血鬼は実際に存在したんです」
「だとしたら、吸血鬼なんて言葉は差別用語だね。二度と口にしないことだ」
「ははは、羽鳥さんったら、手厳しいんだから」
志波は立ち上がると、インスタントのコーヒーにお湯を入れた。
「吸血鬼は遺伝病だったんですよ。だから、ドラキュラ伯爵の話なんかが言い伝えられたのかもしれませんね。今では、長年アルコールに依存していた中年男性が突然かかったりすることもあるらしいですよ」
羽鳥は一瞬ぎくり、とした。
「羽鳥さん、お酒は控えましょうね」
「そんなに飲まんよ」
「僕は一滴たりとも飲みませんけど?」
「その方が“異常”だよ」
志波はコーヒーを口に運び、ずずっと音を立てると、苦い顔をした。
「やっぱりインスタントは美味しくない」
「志波君、アルコール依存でない分いいが、カフェイン依存もどうかと思うぞ。君は一日にコーヒーを何杯飲んでいる」
「うーん、三十杯くらいですかね」
羽鳥は溜息を吐いた。
「コーヒーは一日一杯。朝に飲む。そうしないと眠れなくなるよ」
「眠れないのは生まれてこの方ずっとですから。不眠症って奴ですか?」
志波の目の舌にはクマが出来ていた。いつもの事だ。
「でももう、三十年近くにもなるし、不眠症にも慣れちゃいました。慣れって怖いですね」
「怖いですね、じゃないよ、志波君。私は君を心配して言っているんだよ」
「だったら、羽鳥さんも、“吸血鬼病”にならないように、気をつけてくださいね」
「だから私は」
「サイコパスの話に戻りましょうか」
コーヒーを飲み終えた志波は、立ち上がって、再びインスタントコーヒーの粉をマグカップに入れ、そこに熱湯を注いだ。湯気が立つ。コーヒーの芳醇な香りだ。しかし、本格派コーヒーを愛してやまない志波の鼻は誤魔化せない。志波は再び渋い顔をして、話を続けた。
「サイコパスが精神病だって知ってました?」
「精神病?」
「精神病は、英語で言うとサイコシス。サイコパスは精神病の一種なんです。多くは幼少期の虐待や」
「ああ、その話は何度も聞いているよ。幼少期のトラウマが、サイコパスを生み出すという話だね」
「そうです。それで、一般的にサイコパスは、良心や善意を持たない人の事を言います」
「つまり悪人や犯罪者の事だろう」
「違いますよ、羽鳥さん、勘違いしちゃいけない。サイコパスは悪人だとは限りません。悪人に多いだけです」
「どういうことだね」
羽鳥は面倒くさそうに志波に背を向けて、始末書に署名をしながら言う。
「悪人は、自分が悪人であると認識することが出来る。しかし、サイコパスは違います。サイコパスは自分がサイコパスだと認識できないんです」
「言っている意味が解らんな」
「単なる悪人は“悪いことだ”って解って犯罪を行っているわけじゃないですか。でもサイコパスは、“悪いことだ”って気づかずに、犯罪を行っているわけですよ」
「人を殺してもかい?」
「そうですね。当たり前の様に言うでしょうね。“人を殺すと何が悪いんですか”って。まあ、僕もサイコパスみたいなもんですから」
「君の精神をおかしくしているのは、カフェインだよ。安心したまえ。サイコパスなんかじゃないから」
「まあ僕は、“人を殺すのは悪いことだ”って更生施設でちゃんと、死ぬほど耳に入れられましたからね。サイコパスには成り得ませんよ」
羽鳥は渋い顔をして志波を見た。
「まだ、引きずっているのかい」
「もう十年も前の話です。引きずってなんかいませんよ」
志波派は笑ってみせた。
「羽鳥さんこそ、“まだ僕がひきずっている”とでもお考えで?」
「……いや」
羽鳥は口ごもりながら、志波に背を向けた。
「全く、羽鳥さんは分かりやすいんだから。大丈夫ですよ、僕はもう。カフェインさえあれば」
「だからそれが心配なんだ」
「それじゃあカフェインの話でもしましょうか」
言ってから突然、志波は突然マグカップを置いた。残ったコーヒーが波立つ。
「羽鳥さん、事件が呼んでますよ」
突然言われて呆然と振り返る羽鳥を睨むように、志波はもう一度言った。
「僕たちが、いち早く駆けつけましょう。事件が呼んでます」
その言葉の後に続いて、緊急のベルが鳴った。志波はにっこりと微笑む。
「ね?」
羽鳥は背筋が寒くなるような思いで、志波を見返すのであった。
*悪夢の始まり*
ぼんやりとした視界が開け、真っ白な空間が目の前に広がる。
―――僕は、生きていたのか。
圭はしっかりと握られている手に目を落とした。柚子だろうか。違う。この手は……。
見上げると其処には、母、美樹の姿があった。
「圭!目を覚ましたのね!」
美樹は圭を抱きしめた。それから慌ててナースコールをする。すぐに医者と看護士がやってきた。脈を測ったり、身体を触ったり、呼気を調べたり色々としている。全ての作業が終わると、医者は、
「今の所、異常はないでしょう。よかったですね、大事に至らなくて」
と、美樹に微笑んだ。それから圭に向き直ると、
「よくがんばったね」
と言った。圭は、状況が把握できず、
「あの……僕と一緒に女の子がいたと思うんですけど。母さん、柚子は、柚子はどうしたんだ?」
言われて、美樹は顔を伏せた。医者は、バツが悪そうになって、「失礼します」と言って足早に部屋を去っていった。
「柚子ちゃんはね」
美樹は目を伏せたまま言った。
「柚子ちゃんは、毒を吸い込み過ぎていて、危篤、だって」
「危篤!」
圭は思わず声を荒らげた。病室中の人々が、圭の方を見る。
「危篤って、どういうことだよ!彼岸花に毒なんてないだろ!」
「圭君、あのね、まだ詳しいことは分かっていないのだけど、あれは彼岸花じゃなくて、毒を持った他の植物かもしれないらしいの。それで、柚子ちゃんはその毒を吸い過ぎてしまって……」
美樹は涙を浮かべた。
「私、後悔しているのよ、あなたたちの仲を、どうしてもっと早く許してあげなかったのか。きっと、みんなそう思っているに違いないわ。こんなことになるなら、いっそ、二人に幸せな道を歩んでほしかったもの。特に、柚子ちゃんには……」
「柚子は死なない!」
圭は立ち上がろうとした。それを美樹が押さえつける。
「ダメよ、今は安静にしていなきゃ」
「安静になんてしていられないよ!」
圭は美樹を振り払い、病室を出て行った。柚子は、柚子は何処だ。
病室ですれ違った看護士に、柚子について問った。同じ所に居て運ばれた者だ、と説明すると、すぐに案内してくれた。
柚子は、集中治療室の中で目を閉じていた。
待合室には、柚子の両親が居た。いらいらしているようで、行ったり来たりを繰り返している柚子の父、寛、肩を上下させて泣いている柚子の母、美千代。圭はそれを見て、先程の美樹の言葉が、嘘でなかったことを悟った。
「そんな……柚子」
その声に、待合室にいた寛が、圭に気付いた。寛は恐ろしい剣幕で、圭の元へ早足で近づいてきた。そのままの勢いで襟首を掴まれる。圭は何も言えないまま、寛を見上げた。
「お前!なんてことをしてくれたんだ!」
その声に気付いた美千代が、慌てて駆け寄ってくる。それと同時に寛は、圭を殴った。圭は勢いよく壁にぶつかると、その場に崩れ落ちた。唇から、血が滲む。
「お前の所為だ!お前に出会わなければ!そうすれば柚子はあんなところに行くことはなかったんだ!」
「あなた、落ち着いて」
「落ち着いていられるか!全て!こいつの所為なんだぞ!」
「圭君は何もしてないでしょう。いち早く通報してくれたのも、圭君だったのよ。危篤状態とは言えども、まだ助かるかもしれないでしょう?」
美千代は、腫れた目のまま、そう言った。
圭は血が滲む唇を押さえたまま、もう一度、集中治療室の柚子を見た。
―――僕は……彼女の人生を狂わせてしまったのか!
「ごめん……なさい……」
圭は目を見開いたまま、柚子を見つめたまま、言った。
「ごめん……なさい」
出会ってしまってごめんなさい。
すぐに美樹が駆けてきた。
「圭君!」
圭の見開かれた無表情の目から、涙が伝った。
「ごめんなさい……」
美樹は圭を抱きしめると、怒りとも、憂いとも取れる目で、圭を殴った張本人を見上げた。寛は、泣いていた。
「ごめんなさい……」
謝り続ける圭。美樹は圭をぎゅっと抱きしめた。美千代も、同じように、寛を抱きしめた。
大切なものを、失ってしまった。
*彼岸花*
「此処が現場ですか」
真赤な彼岸花の群集を見て、志波は呟いた。
「しかし、彼岸花に毒性なんて……」
羽鳥が触ろうと近づく。
「羽鳥さんストップ!」
志波は大声を出した。
「それは彼岸花なんかじゃありませんよ」
「じゃあ、何なんだい?」
「この形状からして、“ヒメノカリス”でしょう。ヒガンバナ科の植物ですが、彼岸花とは違って、白い筈です」
「では何故赤いんだね?」
「それをこれから調べるんでしょう、鑑識さんが。兎に角、毒物が混入されていることは明らかなんですから、他の人たちも、余り近づかせないようにしてください」
それにしても、吸うだけで死に至る程の恐ろしい毒性を持った花。こんなもの、この日本に元々存在していたとしたら、余りに恐ろしい話だ。今まで発見されなかった方が奇妙なくらいである。しかもこの生え方、密集具合。やはり、誰かが故意に植えたとしか考えられない。
「何らかの目的で毒性の花を作り、人体実験用にあの少女たちを利用したというのなら……」
いや、そうだとしたら、こんな大事になるやり方ではやらないだろう。
では一体……。
「羽鳥さん」
志波が言った。
「早速、本人たちに聞き取りに行ってみましょう」
「何を言っているんだ。まだ目を覚まして……」
その時、羽鳥の携帯電話がつつつ、と鳴った。ポケットから取り出し、通話ボタンを押す。
「何?津田圭が目を覚ましただと?」
羽鳥は志波を見た。志波はにっこり笑っている。
「ほらね」
「……今から向かう」
羽鳥は電話を切ると、志波を見て眉間に皺を寄せた。
「なんで津田少年が目を覚ましたと分かったんだね」
「虫の知らせって奴ですかね?」
化物を見るかのような目つきになった羽鳥に、
「冗談ですよ」
と志波は言った。
「少女の方は重体だと聞いていましたけど、少年の方は軽傷だと言われていましたから。目を覚ますならそろそろかなと。少年の方は多分、そんなに毒を吸い込んでなさそうでしたからね。簡単です。どうです、サイキックか何かかと思いましたか」
「君にはいつも驚かされる」
羽鳥は皮肉交じりに言う。
「お褒めいただき光栄です」
志波はわざとらしく紳士的にお辞儀をして見せた。
病院に着くと、病室では既に津田圭が帰り支度をしているところであった。
「あの、警察の者ですけど……」
志波は言う。
「毒を吸ったわけですし、もう少し入院してた方がよろしいんじゃないかと」
「僕は大丈夫です」
津田圭は即答した。
「犯人を捜さないと。僕たちをあんな目に遭わせた」
「私も止めたんですのよ」
色白できれいな女性が志波と羽鳥に言った。
「圭の母の、津田美樹と申します」
「どうも、長野県警の羽鳥です」
「お手伝いの志波です」
志波は不信感の抱かれる言い方を平気でした。
「お手伝い……?」
「あ、ええ、彼には少し、雑用をね、お願いしているんですよ。警察見習いとでも言いますかな」
羽鳥は冷や汗を拭いながら言った。また一歳老けた。
「それより、津田圭君、と言いましたかな、犯人は私達警察が探しますから、どうか物騒なことを言わないでください」
「警察なんか信用できません。犯人は、僕たちの事をよく思っていなかった人たちの中に居るに決まっているんだ」
圭は強い口調で言った。
「僕たちの仲って、もしかして君たち、恋人同士だったのかな?」
「悪いですか?中学生の恋愛って、そんなに悪い事なんですか?」
「いや、別にいいと思うよ。田舎だから云々言われるだけで、都会だと普通だから」
志波は笑った。
「ところで、そんなに君たちの仲は良く思われてなかったのかな?」
「はい。親や兄弟は勿論、学校の皆や先生も。僕たちはまだ、手だってつないだことなかったんです。それなのに、ああだこうだ言って」
「ああ、解るよ。大人って、うざいよね」
「あんたも大人だろ」
「お、そうだった。ははは」
猫背の志波は、頭に手を乗せた。こほん、と羽鳥が咳をする。聞き取りをしたい、という事らしい。志波は一歩下がって羽鳥に譲った。
「それで、いくつかお伺いしたい点があります。どうして君たちは、今日、あの神社に行ったんですか?」
「毎日行ってました。上まで行ったのは三か月ぶりだったけど」
「上まで行ったのは何故?」
「妹が行きたいって言ったからです」
「彼岸花が見えた時、君は何か、他に見ましたか?」
「いいえ。彼岸花の花畑の中に、柚子が入って行って、そして倒れたんです。僕も、その後意識を失って……」
「妹さんは無事だったようですが」
「僕が来るなって言ったんです。だって、明らかに異常だったから」
「そうですか。君を疑っているわけでは無いので、というか中学生にあんな物作れないでしょうから安心してください。ただ、もしかしたら、全く無関係のものが、廃神社を使って毒物を栽培していた可能性もあります。ですから、犯人探しはとても危険ですから、やめてくださいね」
「やめませんよ。大人の言う事なんか、誰が聞くか」
圭は舌を出した。
「圭!」
美樹が圭を叱る。
「すみません、柚子ちゃんの事で、とても気が滅入っているようで」
美樹が圭の肩に触れると、圭はそれを勢い良く振り払った。
「触るな!母さんだって反対していたくせに!」
圭は美樹を睨むと、そのまま病室を出て行ってしまった。美樹は払われた手を、もう片方の手で庇いながら、
「本当はまだ退院の許可が下りていないんです。毒物が完全に抜けていない可能性があるからって、まだ検査が必要だって、お医者さんは仰るんです。でも圭ったら、入院しているくらいなら死んだ方がマシだって言い出して、もう止められなくて」
「ご心情、お察しします」
羽鳥は言った。
「お辛いでしょうね」
「私たちが、もっと早く二人を認めてあげていれば、こんな風にはならなかったと思うんです。ちゃんとお家で遊べて、あんな廃神社なんかに行かなくても済んだのに……私たちの所為なんです」
瞳が潤んで行くのが分かった。
「事件は必ず解決しますので、ご安心ください」
志波はにっこり笑ってそう言った。まだ不確定なことであるというのに、志波は平気に言う。しかし、志波がこういって、解決しなかった事件はない。
美樹は頭を下げた。
「どうぞ、よろしくお願いします」
次に志波と羽鳥が向かったのは、娘を失いかけて憔悴しきっているであろう平野夫婦の元であった。平野夫妻と、柚子の兄と思われる青年は、集中治療室の待合室で、やはり疲れ切った表情で、長椅子に腰を下ろしていた。
「平野さん」
言われて三人は顔を上げる。羽鳥は警察手帳を見せると、
「長野県警の羽鳥と、こちらは志波です」
と言って頭を下げた。
「この度は、何とお声をかけていいのやら」
「刑事さん……。この度は御足労おかけいたしまして申し訳ございません、うちの柚子の事で。私は母の美千代、こちらは主人の寛、柚子の兄の安海でございます」
美千代はそれぞれの紹介をした。
「娘は、どうして目を覚まさないのか……医者でもわからないそうです。きっと、あの花の所為でしょう。少しずつ、弱って行っているようで」
美千代の瞳が潤んだ。
「犯人は、犯人は捕まえてくださるんですね?」
「現在、全力を尽くして事件の解明に挑んでおります。娘さんのご容態が心配でしょうけれど、どうぞ、少しはご自分方のお体の事も労ってください」
羽鳥は、泣き腫らしたであろう赤い目の美千代を見て言った。美樹も美人であったが、美千代も負けない美貌を持っていた。美千代は、美樹の“キャリアウーマン”を想像させる美貌とはまた違って、童顔で、芯の細そうな、愛らしい顔をしていた。
「それにしてもきれいなお嬢さんですね」
唐突に志波は集中治療室を覗き込んで言った。
「圭君が夢中になるのも分かるなあ」
「津田圭の話はやめてくれないか!」
寛は突然立ち上がって言った。
「奴が、あの神社に娘を連れて行きさえしなければ、こんなことにはならなかったんだ!すべて、奴の所為だ!」
「父さんそれはあんまりだ!元はと言えば、父さんと母さんが柚子を束縛して、二人を引き離そうとしたのが原因じゃないか!その所為で二人は、あんな辺鄙なところで密会するしか会う術が無くなってしまったんだぞ」
「うるさい!」
寛は思い切り、息子の頬を殴った。安海は可哀想に、勢いよく壁に背中をぶつけ、床に転がる。
「あなた!やめてください!さっきも圭君にそうやって、手を上げたばかりじゃありませんか。安海にまで、酷いです!」
「圭君の事も殴ったんですか?」
寛は顔を背けた。美千代は涙を浮かべた。
「はい……。主人は、柚子をとてもかわいがっていましたから……つい激情してしまいまして」
志波は鋭く寛を睨み付けると、腕を組んだ。
「未成年を殴るなんて、感心しないな。しかも、相手は事件の被害者ですよ。自分のしたことが分かっているんですか」
「元はと言えば、あの圭という少年が悪いんだ。柚子をたぶらかして」
「だから、父さん!」
「まあ、まあ、落ち着いて」
羽鳥が皆の間に割って入った。
「このような状況に陥り、気が動転してしまうのも分からなくはありません。しかし、未成年を、しかも被害者を殴るようなことは決してあってはいけませんよ、寛さん。息子さんに手を上げるのも、間違っているように思えるがね」
寛は下を向いて、唇を噛んだ。
「事件に関しては、私たちにお任せください。だからどうか、その、仲間割れのようなことは、止めていただけませんかな」
美千代は頷いた。涙が頬を伝う。
「ええ。決して。私も、そして主人もきっと、後悔しておりますのよ。柚子と圭君の仲を引き離そうとしたこと。安海の言うとおりですわ。彼が初めて家を訪れた際、追い返したのは私ですの。顔をひっぱたいて。今でも覚えております。こうなってしまったのには、私たちの躾や行動も、影響しているに違いないのですわ」
「そうかもしれません。ですが、犯人は別にいるわけですから」
志波は静かに、諌める様に言った。
「そんなにご自分を責めなくてもいいんじゃないですか」
「責めずにはいられません。私も主人も、圭君をぶったことに代わりはないのですから」
「それは、御最も」
「志波君」
羽鳥は志波を突いて、自分の後方に回らせた。
「また詳しい状況が分かりましたらご連絡いたしますので、柚子さんの容態も、分かり次第こちらに連絡を貰えますか」
名刺を差し出す。長野県警刑事課、と書かれている、立派な名刺である。
「あ、僕のも一応」
志波も名刺を差し出した。志波の名刺は、名前と電話番号が書いてあるだけの、簡素なものだった。二つの名刺を見比べて、美千代は顔をしかめる。
「あの、志波さんは、刑事さんでは無いのですか?」
「ああ、僕ですか?僕はただの……」
「彼は刑事見習いと言ったとこですかな。私の雑用やら色んな仕事をしてもらっております。それに彼には非常に素晴らしい推理力が兼ね備わっておりましてね。事件の手伝いをしてもらっているのです」
「ええ、ですからこの事件も、“必ず”解決してみせますよ」
志波はにっこりと笑った。
*疑惑*
病院からの帰り道、夕焼けに染まった風に揺られながら、志波と羽鳥は歩いていた。
「志波君、ああいう無責任な言動は、少しは控えてくれないか」
「いいじゃあないですか。本当に解決する予定なんですから。明日、行ってみたいところがあるんですよ」
「行ってみたいところ?」
志波は、いつどこから持ってきたのか、『サイエンス』という雑誌を手にしていた。ページを開いて、羽鳥に見せる。
「此処です」
志波は華奢な指をページに沿ってなぞる。其処には、『津田薬学研究所』と書かれていた。
「津田?津田って……」
「今回の被害者、津田圭の名字と同じですね」
「津田なんて名字、この辺では珍しい」
「そうです。しかも、薬学研究所なんて、薬品触り放題の所、この辺りでは『津田薬学研究所』くらいしかありません」
次のページに、見覚えのある顔が掲載されていた。津田美樹である。どうやら施設の代表は彼女であるらしい。
「なんで彼女は、そのことを先程私たちに言わなかったんだ」
「聞かなかったからでしょう。若しくは」
志波はにやりとした・
「……君は、何を言いたいんだね?」
ひゅるるるる、と風が吹いて、二人の髪が靡いた。猫背の志波は、肩掛けの安物バッグに雑誌をしまいながら言った。
「明日、『津田薬学研究所』に行ってみましょう。事件解決の手掛かりになるかもしれない」




