第6話 青髪の少年
セレスティア王国の南東端に位置するグラヴェール公爵領。
広大な森が広がり、複数の河川が合流するこの地は、かつて対魔戦争の舞台となったと伝えられている。
その中心に築かれた公都・グラディアスは、石畳の通りと白亜の建物が特徴的な、舟運の盛んな交易都市である。
その都市の南側に公爵家居城があり、その居城こそ「学園」である。
学園の入学式の日。春の陽光が石畳の広場を照らし、新入生たちのざわめきが空に響いていた。魔術科と騎士科、そして工魔科。
袖口を翻しながら歩く者、ぎこちなく胸元の紋章を気にする者。それぞれの制服に身を包んだ少年少女たちが、期待と不安を胸に門をくぐった。
周りの生徒たちより小柄で、魔術科の制服である黒いローブを身に纏った青髪の少年、ルカ・フェルウィンもその一人だ。
◇
ルカは制服の着こなしがうまくいかず、何度も袖を直していた。やがて、静かに息を吐いた。
彼はローブの裾をギュッと握り、門の中に入っていった。入学式が行われる講堂に向かって歩く途中で、近くの生徒が話しているのが聞こえてきた。
「なあ、入学試験で、魔力計が振り切れた奴がいたらしいぜ」
「え、マジで? さすがにガセだろ」
「いや、ホントらしい。幼年学校の友達が、そいつの隣で受けたから、そいつも言ってた」
「名前、なんていうの?」
「カイル・クロウフェル、だってよ」
ルカは思わず足を止め、肩越しにそっと視線を向けた。
カイル・クロウフェル?
魔力計が振り切れるなんて——どれだけの魔力なんだろう。
ルカは自分の試験のことを思い出した。
「はい、次。えーと、ルカ・フェルウィン君ね。出身の幼年学校は……空欄? 書き忘れてるわよ?」
試験官の女性が怪訝そうに言った。
「あの……僕、幼年学校には通ってなくて……」
「え? 幼年学校に通ってなければ、受験資格はないわよ。——あら。ストームウィンド先生」
「どうしました?」
「この子がね、幼年学校に行ってないって言うんです。受験資格、ありませんよね?」
「ふむ……」
ストームウィンドと呼ばれた目つきの鋭い男が、受験要項の書かれた書類に目を通した。
「受験資格欄には、幼年学校を卒業していること……とは書かれていないな。
当然すぎて省かれたのかもしれん。だが、明文化されていない以上、拒む理由にもならん」
ストームウィンドは、ふぅ、と短く息を漏らした。
「試験を受けさせてやってください。来年度以降は、しっかりと書いておかねばな」
カツカツと靴音を立て、彼は去っていった。
「もう……。はい、じゃあ君。ここに手をのせて。魔力量を測定します」
ルカはこくりと頷き、緊張で冷たくなった手のひらを装置に置いた。
ルカの入学試験の結果は、どうにか合格ラインに引っかかったものの、ぎりぎりの成績だった。魔力量試験では合格者の中でも平均以上だった。教養科目はそこそこできたものの、魔術理論では初見の用語が多く、かなり苦戦を強いられた。その結果、一〇六人中一〇二位という順位だった。
「噂じゃ、詠唱なしで魔術を使えるらしいぜ」
「それはさすがに嘘だろ。まだ習ってもないのに、ありえねぇよ」
周囲のざわめきが、まるで遠くで鳴る鐘のように聞こえた。
——詠唱なし。無詠唱だって?
ルカは心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
(そんなの、可能なのかな……)
立ち尽くしていると、突然背後から嫌味な声が飛んできた。
「おい、お前、道を塞ぐなよ」
振り返ると、金髪をオールバックに撫でつけ、制服の裾すら乱さず着こなした少年が、鋭い目付きで睨みつけていた。
その後ろには、ニヤニヤしながらこちらを見ている少年が二人。三人とも魔術科の黒いローブを羽織っている。
「ご、ごめん」
ルカは慌てて頭を下げ、そそくさと道を譲った。
「ふん。下賎な平民め」
金髪の少年が、氷のように冷たい声で呟いた。
後ろの二人が捲し立てる。
「礼儀も知らぬ田舎者が、よくもまあ来たものだな」
「まさか、レイナード様と同じ魔術科で学ぶつもりじゃないだろうな?」
「品位が落ちるぞ。俺たちと同じ制服を着るなんて」
ルカは顔が熱くなり、恥ずかしさと悔しさで拳を強く握った。
うつむいた視界に、石畳がゆがんで見える。
——言い返したかった。でも、喉の奥で言葉が凍りついたままだった。
「お前らが一番品位ねえよ」
突然、鋭くも落ち着いた声が響いた。
ルカは顔を上げる。そこには、自分より頭一つ分は高い少年が立っていた、
黒いローブに身を包み、均整の取れた体。少し乱れた赤髪。そして、透き通ったルビー色の瞳が、春の陽光を反射するように煌めいていた。
「何者だ、貴様!」
金髪の少年の取り巻きの一人、やや太った少年が言い放つ。
「俺か? 俺はカイル・クロウフェルって言うんだ。よろしくな」
その軽やかな口調に、場の空気が少しだけ揺れた。
噂の、カイル・クロウフェル——
ルカは思わず息を呑んだ。
魔力量が計測器を振り切り、詠唱なしで魔術を使うという、あの……!
「お前がカイル・クロウフェルか。話には聞いているぞ。試験ではどんな不正を働いたんだ? この平民上がり風情が」
金髪の少年、レイナードが敵意を剥き出しにしているのが、ルカにもはっきりとわかった。
「そう言う君は……レイナード・シリウス・ド・ヴァルティス君、だったかな?
……二位の」
不意に空気が張り詰める。ルカには、肌に針を刺すような殺気が突き刺さってくるのを感じた。
レイナードの髪が、静電気でも帯びたように逆立っているように見える。
「貴様。死にたいのか」
「一位の実力、試してみるかい? 今、ここで?」
その時だった。
ピンと張った空気を断ち切るように、荒々しい足音が近づいてきた。
「何をやっている! 早く講堂に入れ!」
教師らしき、三十代半ばの男がツカツカと歩いてくる。
「……命拾いしたな」
レイナードは吐き捨てるように言い、取り巻きを引き連れて歩き出した。
「お前たちも早く行け!」
教師はその一言を残し、背を向けて去っていった。
ルカは一瞬だけ迷ったが、意を決して口を開いた。
「あ、あの……ありがとう。僕、ルカ・フェルウィンです。よろしく……」
思わず声が小さくなってしまって、恥ずかしさから目を逸らした。
カイルはその言葉を聞いて、ルカをじっと見た。やがて軽く笑って、少し肩の力を抜いたように言った。
「おう、ルカか。よろしくな。俺はカイル。カイル・クロウフェルだ。……面白い奴らに出会えたし、悪くない入学日だな」
その気さくな態度に、ルカは少しだけ緊張が解けた。
胸の奥が、ほんのわずかに温かくなるのを感じた。
そこでルカがハッと気付く。
「あ、いけない! 急がないと!」
二人は顔を見合わせ、講堂へと駆けて行った。
なぜだか二人とも笑いをこらえながら。




