第14話 勝敗
しかし、現実は違った。
木剣がカイルの右腕に触れ、ぶつかり合った。まさにその瞬間。
セリスの右腹に、鋭い風が突き刺さった。
突風が彼女の体を弾き飛ばす。
二重の魔術——障壁と風。同時に発動されたとしか思えなかった。
セリスは地面を転がり、勢いを殺しきれずに肩で土を抉った。
だが、即座に動く。体勢を立て直し、片膝をついて立ち上がろうとした。
「おおっ……!」
一瞬、生徒たちからどよめきが広がった。
セリスは土の上で息を整え、カイルは右腕を押さえてじっと立っている。互いに一歩も引かぬ攻防だった。
「それまで!」
試合場に、ガレン・ストームウィンドの声が響く。
「引き分け、と言いたいところだが……今回はクロウフェルの優勢勝ちとする。実戦なら、クロウフェルの右腕は斬られていたかもしれんが……アストレイアの腹には、穴が空いていたな」
淡々とした判定。それは冷静であると同時に、どこか満足げでもあった。
その瞬間、校舎の塔から鐘の音が鳴り響く。
「これにて、合同訓練は終了だ。解散! 次の授業に遅れるな!」
ガレンはそう言い残して試合場を後にした。
「いてて……。あんた、強いな……」
右腕をさすりながら、カイルが笑ってセリスに声をかけた。
セリスが何か返そうと口を開きかけた、その瞬間——
「カイル、すごいな!」
「一体何をやったんだか全然わからなかったよ! 説明してくれ!」
魔術科の生徒たちが一斉に駆け寄り、カイルを取り囲んだ。質問が次々と飛び交い、まるでヒーローを取り囲む観客のようだった。
レイナードはカイルを睨みつけ、歯を噛み締める音を立てて、そのまま演習場から立ち去った。
騎士科の生徒たちも、無言のまま引き上げていく。セリスが負けた——その事実が、彼らの中にかすかに残っていた希望を打ち砕いたのだ。
「やっぱり、俺らは用無しか……」
そう呟いたひとりが、拳を握ったまま地面を蹴りつけた。うつむく者、肩を落とす者。敗北の空気は、重く、乾いた風のように彼らの背を押していく。
セリスは、ただ黙ってそれを見ていた。
だが、ふと視線を上げると、数人の騎士科の生徒たちがじっとこちらを見ていた。まだ若い顔に、悔しさと——それに混じった、かすかな決意の光が宿っている。
——今日、自分の剣は届かなかったけれど、誰かの心には触れられたかもしれない。
セリスは、自分が敗れたことに少なからずショックを受けていた。だがその胸の奥には、不思議と爽快感すらあった。
最後の一撃——あの瞬間。カイルが障壁を盾にしながら、風を放った。二つの魔術は、まるで一本の矢のように、同時に放たれた。
——魔術を、同時に?
そんなことが本当に可能なのか。魔術の発動には集中と制御が必要なはずだ。無詠唱だからと言って簡単にできるものではないだろう。
二つを一度に、それもあれほど滑らかに——。
セリスの背筋に、ぞわりとした感覚が走った。
——あの男は、まだ底を見せていない。
考えることをやめて、セリスが踵を返そうとしたその時、不意に声をかけられた。
「その……顔、土がついてますよ。よかったら、これ……」
振り向くと、青髪の魔術科の生徒がいた。彼はポケットから綺麗に畳まれたハンカチを取り出し、少し気恥ずかしそうに差し出してきた。
セリスは一瞬だけ目を瞬かせ、それからその手元を見て——
「あ、ありがと……う」
少しだけ上擦った声でそう言い、そっとハンカチを受け取った。
「僕、魔術科Cクラスのルカ・フェルウィンといいます。セリスさん、すごかったです! カイルの魔術がどこにあるのか、どこに来るのかわかっていたような動きでしたよね?」
突然の熱量に、セリスはほんの少し目を見開いた。が、すぐに緊張が解けるように表情が和らぎ、手にしたハンカチを口元に当てながら、クスッと笑った。
それからセリスが返事をしようとした、その時だった。
「おーい! 次の授業が始まっちまうぞー!」
遠くからカイルの声が飛んできた。ルカが「いけない!」と声を上げ、小走りで駆け出しかけたその瞬間——
「あ、待って」
セリスが小さく、けれどはっきりと呼び止めた。
「カイル・クロウフェル君に、伝えてくれる?」
ルカが足を止めて振り返ると、セリスはまっすぐ彼を見つめていた。
「——次は、負けないって」
一拍おいて、ルカは笑顔で頷いた。
「はい、必ず伝えます!」
そして背を向けて、駆けていった。
「魔術科にも、あんな人たちがいるんだ」
セリスはそう思うと、張り詰めていた心がほんの少しだけ緩んだ気がした。
歩き出そうとしたその時、手に残る柔らかな布の感触に気付き、はっとする。
「あの子……ルカ・フェルウィンって言ってたよね」
視線を落とせば、まだ返していないハンカチが握られていた。
「……後で、洗って返せばいいか」
そう小さく呟いて、セリスは背筋を伸ばし、演習場を後にした。足取りは、ほんの少しだけ軽かった。




