第13話 刹那の攻防
「始め!」
合図と同時に、セリスは一気に距離を詰めるつもりだった。
だが——、一歩目を踏み出す寸前、脳裏に警鐘のような感覚が走る。
無意識に、その場で動きを止めていた。
観客の目には、ただ互いに動かず睨み合っているようにしか見えない。
その一瞬に、もう攻防が始まっていた。
(踏み込んでいれば、負けていた)
セリスは呼吸を整えつつ、目の前の少年を見据えた。微動だにしない彼からは、しかし静かな圧が伝わってくる。こちらの動きを待ち構えている——そう、確信できた。
セリスは焦らず、じりじりと間合いを詰めていく。動き出すその一瞬を逃さぬように。
◇
(へぇ……気付いたのか……!)
カイルは思わず舌を巻いた。
セリスはすぐに踏み込んでくる。そう読んだカイルは、魔力を練り、膝下の高さに薄い膜状の障壁を展開しようとしていた。入学式の後にエドウィンを転ばせた、あの手だ。
この障壁は、物理的な実体を持ちながらも、ごく薄く、透明。光の歪みすら見えず、まるで空気そのもののように空間に溶け込む。普通なら、まず気づかれない。
だが、セリスは“形成される前”に、止まった。
他人の魔力の動きを感知できるルカならこの手は通じないだろう。だがセリスに感知ができるとは思えない。
魔力を見たわけではなく、ただ“危険”として本能的に察した。それが今、セリスが見せた反応だったのだろう。
カイルは、面白くなってきたと感じていた。
学園生活は楽しみでもあったが、同時に退屈かもしれないという予感もあった。学ぶことなど、何もないのではないか、と。
だがルカに出会い、そして今はセリスだ。
「学園はなかなか楽しいところじゃないか……」
カイルは手を軽く握り締めた。
◇
一呼吸、また一呼吸。
セリスの耳に自らの鼓動が響き、剣を握る掌には汗が滲んでいた。時間の感覚は遠のき、数十秒か、それとも一瞬か――それすら曖昧だった。
彼女の意識は、ただ一つ。
カイルのわずかな動きに集中し、飛び込む隙を。ただ、それだけを狙っていた。
静かに目を細め、セリスは彼を見据える。
高鳴る鼓動は規則を刻みながらも、その奥には確かにあった。
抑えきれないほどの、高揚感が。
距離はまだ——八メートル。七メートル。
ジリジリと詰め寄るその足取りは、まるで獲物を狙う獣のようだった。鋭く細めた眼差しが、カイルの僅かな動きも見逃さない。
——六メートル。
一気に踏み込んだ。土埃が足元で小さく舞い上がり、乾いた地面がきしむ音がかすかに響く。
——何かがそこに、”ある“!
次の瞬間、彼女は空中を蹴った。
カイルが生み出した透明な魔術障壁を、まるでそこにあると見えていたかのように——踏み台にしたのだ。
足裏に伝わる、確かな反発——“あった”。直感の正しさが、鋭く全身に伝わる。
黒髪が風を裂き、鋭い呼気が唇から漏れる。
落下とともに、木剣が空気を唸らせ、カイルの背へと一直線に振り下ろされた。
——最初の試合で彼が見せた魔術。おそらく魔力で空気を操作して相手の木剣を察知していたのだろう。だが、この一撃をかわせるものか?
(さぁ、どうする?)
カイルは振り向かない。
そのまま素早く前屈みになり、地を蹴って一歩踏み出す。
彼の背中に沿って張られた魔術障壁が、陽炎のように揺らめき、振り下ろされた木剣を受け流した。
「ゴッ」と鈍い衝撃音。
木剣が障壁に触れた瞬間、セリスの手首にビリリと痺れが走る。
土埃が舞い上がり、二人の周囲にうっすらと煙のように広がった。
観客席から声が上がる。
「障壁か!?」
「今の、見えたか……?」
カイルは振り向きざま、右手をセリスの顔へと向ける。だが魔力を込めた空気弾は、右手から発射されることはなかった。
それはフェイントだった。
カイルの腰のあたりから放たれた、見えざる一撃が、セリスの腹部を狙っていた。
だが——セリスは顔を守ろうとはしなかった。
木剣を素早く返し、腹部へ向かって飛来した空気弾を弾き飛ばす。鈍い音と共に衝撃波が土を巻き上げた。
そのまま踏み込み、セリスは木剣を左から右へ、真横に払うように振り抜く。流れるような剣筋だった。
カイルは突き出した右腕に瞬時に障壁を展開し、肘を畳んで腹部を庇う。
次の瞬間、木剣に鈍い感触が手に伝わる。
それは明らかに、ただの障壁だけを打ったものではない。
カイルの身体に、確かに届いた——そう、セリスは確信した。
——ここだ!
障壁が木剣を弾いた反発力を利用して体の軸と共にしなるように旋回し、今度はカイルの左肩から斜めに振り下ろす。
右腕に障壁を張っている今なら……。
——この一撃で、終わる!




