第92話 淡青の来訪者
馬車がゆっくりと止まった。
前方には、石造りの頑丈な門。要塞のような造りの関所に、鉄の装飾が施された柵が左右に広がっている。
門番の数は六人ほど。皆、槍を手にした官吏で、その視線は鋭く、通行人に対して容赦のない監視を行っていた。
私はこっそりと、幌のすき間から外の様子をうかがった。
(……やっぱり、緊張するな。これをあと二回も通過しなきゃいけないなんて)
彼らの視線は、一瞬で人を値踏みするような冷たさがあった。
ハルカである私が、召使の少年という身分でいても、ほんの少しでも不審な点があればすぐに見抜かれそうな、そんな鋭さ。
今回の旅では、通過用に偽の身分証と配役がそれぞれ割り振られている。
レオニスは、男爵家の令息「ジル=フローレン」。
私は、その召使いの少年「ユト」。
そして、ヴィスは病床の家臣、残りの兵士たちも家臣たちという設定だった。
もちろん全て偽装だが、あらかじめ二つ目の関所までは協力者によって手回しが済んでいる。
それでも——油断は禁物。
門番が書類を確認しながら、馬車をちらと覗き込む。
少し訝しげな視線をレオニスに向けながら口を開いた。
「……こちらのご一行、男爵家ご一同とありますが……どちらのご家紋で?」
ジル=フローレンが、わざとらしくため息をついた。
「……父上の名を知らないのかい? フローレン男爵だよ」
ゆったりと腰を下ろしたまま、手袋を外す仕草で視線を誘導しつつ、口元に余裕を漂わせる。
「最近の門番は、貴族の名も覚えていないのか……いやはや、困ったものだね」
門番の顔がわずかに引きつる。
周囲にいた兵士たちも、ちらちらと目配せし始めた。
「も、申し訳ありません、ジル=フローレン様。書類に不備はございません……どうぞ、お通りください!」
門が開かれると同時に、村の娘たちが物陰からこっそりジルを見てざわめく。
「ねえ、あの人……貴族様だよね?」「すごく綺麗……!」
ジルは何食わぬ顔で彼女たちにウィンクを一発。
嬌声が上がり、門番たちが困ったように咳払いをした。
「さて、行こうか。僕の可愛い召使たち」
(……なんなの、この令息)
ハルカは心の中でだけ、思いきりツッコミを入れた。
馬車が再びゆっくりと動き出すと、兵士たちが小さく息をついた。硬くなっていた肩が、わずかに緩む。
「……通ったな」
誰ともなく呟いたその声に、ハルカもようやく胸の奥で張り詰めていたものがほどけるのを感じた。
ヴィスは、依然としてぐったりとしたまま横たわっている。意識はまだ戻っていないが、額にはうっすらと汗が浮かび、呼吸は浅いながらも規則的だ。
「……心配しないで。先は長いけど、私たちがついてる」
ハルカは小さく囁きながら、清潔な布で彼の額をぬぐい、少しずつ水を口元へ運ぶ。
冷えた水が喉を通ったのか、ヴィスの喉がかすかに動いた。
「……よかった」
そのささやかな反応だけでも、希望に思えた。
馬車の内部には、再び静寂が戻っていた。
緊張の余韻がまだ空気の中に残る。その中で、誰もがそれぞれの役目を静かに果たしている。
――この旅は、命をつなぐための旅。
目的地は、聖都セラフィム。
馬車の車輪が、土の道をしっかりと踏みしめていく。
その音に乗せて、静かな使命感が、確かにそこに漂っていた。
* * * * * *
──その日、隠れ里に、一人の来訪者があった。
長身で、細身。
歩みは静かだが、その佇まいにはどこか揺るがぬ芯があった。
風に揺れる髪は、淡い青緑のような、不思議な光を帯びている。
精巧な仕立ての制服に身を包み、表情は冷静そのもの。
ただ、その双眸だけが鋭く、周囲を余さず見据えていた。
彼の名は、ノア=アルフェリア。
王立魔導研究院に所属する主任研究員にして、“青の魔導士”と称される才腕の持ち主——
(……これが、あの隠れ里?)
視線の先にあるのは、石造のはずの門が、まるで砦のように姿を変えた姿だった。
ノアは無言で懐から身分証を取り出し、門番に掲げる。
それを受け取った男が証を確認した瞬間、わずかにその場の空気がざわついた。
「……青の魔導士が来たぞ」
低くつぶやかれた声に、もう一人の門番が顔を上げる。
「また王都からの視察か? いや、あの時の——」
警戒と混乱が交錯する気配。何人かが目配せを交わす。
その中で、ノアは静かに言った。
「誤解しないでほしい。今回も、僕個人の判断だ」
以前と変わらぬ凛とした声。
けれどその声音には、かすかに焦りと躊躇いがにじんでいた。
門番たちは一瞬だけ沈黙し、やがて一人が小さく息を吐いた。
「……了解しました。中へどうぞ。ハルカ殿をお探しなら——」
「案内は要らない。自分で探す」
それだけを言い残し、ノアは門をくぐった。
踏みしめる土の感触すら、以前とは違う。
彼が立ち止まったのは、かつて石造りの粗末なだった門の前。今やそこには、見違えるほどに補強された木造の防壁が築かれていた。
「……これは、まるで軍拠点だね。革命軍の動きが、想像以上に本格化している……」
その先に広がるのは、活気に満ちた建築現場。
乱雑ながら実用的に並べられた仮住居や、増設された馬小屋。
数か月前とはまるで様相が違っていた。
以前訪れたときは、まだ五十名にも満たなかったはずだ。
今は、見張り台や補給所まで備え、百を超える人の営みがここにある。
木材を運ぶ男たちの間を、リーダー格と思しき人物が矢継ぎ早に指示を飛ばす。
彼の周囲には緊張感がありながらも、秩序だった動きが生まれていた。
「……王妃軍との交戦があったと聞いていたけど、この復興の早さは……」
彼らが築いた防衛線。効率よく設計された補給の動線。
廃村寸前だった隠れ里は、今や確かに拠点として息づいていた。
ノアはゆっくりと目を細める。
「……いい仲間に、恵まれたようだね。君は、ちゃんと……守られている」
その呟きにこめられたのは、ほんの少しの安堵——
けれどそれでも、目当ての姿が見えないことに、不安はぬぐえないままだった。




