第89話 救済の光を求めて
倒れてから数日。ヴィスは里の一角に設けられた仮設の療養室で、簡素な寝台に身を横たえていた。
右腕には布が巻かれていたが、そこからは時おり、淡く揺らぐ光が透けて見える。
ある日の昼下がり。戸口のそばで、ちいさく「おじちゃん……」と呼ぶ声がした。
振り向くと、リゼが両手に花を抱えて立っていた。
「きょう、ひろばのすみっこで見つけたの。……あげるね」
小さな手からそっと差し出されたのは、色とりどりの野の花。束ねた跡が不器用で、ところどころ茎が折れている。
「……ありがとうな」
ヴィスは、わずかに笑みを浮かべてそれを受け取った。
「これで……いたいの、なくなる?」
リゼが不安そうに尋ねる。
ヴィスはふっと息を漏らし、天井を見上げた。
「……おまえの花なら、効くかもしれねぇな」
「ほんと?」
「……たぶんな」
それを聞いて、リゼはほんのすこしだけ、安心したように頷いた。
* * * * * *
少し遅れて入ってきたのは、姉のティナと、母リュミナだった。
「……あの、これ。おかあさんといっしょにつくった、にがいおくすり。ちゃんと飲んだら、元気になるって……」
ティナは両手で木盆を差し出した。そこには、少し冷ました薬湯が小さな陶器の器に注がれている。
「……ありがとうな」
ヴィスが静かに受け取ると、ティナは少し恥ずかしそうに視線を逸らす。
その横で、リュミナは絞ったタオルを手に、そっと額に当てた。
「ほんの少し……熱が、引いたような気がします」
彼女の声は震えていた。けれど、その手のひらは、驚くほどやさしくてあたたかかった。
「……迷惑かけたな」
「……いいえ。こちらこそ……リゼを、守ってくださって、ありがとうございます」
絞り出すようなその一言に、ヴィスはなにも言わず、そっと目を閉じた。
* * * * * *
その翌日、ハルカとエレナが見舞いに訪れた。
「ねえ、本当に平気なの?」
エレナがじっと顔を覗き込む。
ヴィスは片方の眉をわずかに上げて、そっけなく答えた。
「平気だっつってんだろ。……これくらい、よくある」
「いや、よくはないでしょ。腕、光ってるよ?」
ハルカがそっと包帯の端に触れかけると、ヴィスは「やめとけ」と小さく制した。
「いま無理に触ると、またひどくなる。……それだけだ」
「……」
ハルカは口を噤んだが、その表情には明らかに不安がにじんでいた。
* * * * * *
その夜のことだった。
療養室の奥から、小さなうめき声が漏れた。
「……くっ……は、あ……」
声を聞いて駆け寄ったハルカは、寝台の脇で、ヴィスが苦しげに布団を握りしめているのを見た。
「ヴィスさん……!」
彼の額にはびっしりと汗がにじみ、腕は熱を帯びて赤黒く脈打っていた。
「……限界じゃないですか、これ……!」
その声に、ヴィスはしばらく黙っていたが──やがてぽつりと呟いた。
「……ああ。そうかもな」
その言葉を聞いた瞬間、ハルカは立ち上がっていた。
「フィリオさん呼んできます。今すぐ」
「おい、待て……」
止める声も聞かず、ハルカは駆け出した。
* * * * * *
ほどなくして、フィリオが慌ただしく駆けつけた。
「失礼します。……これは、想像以上ですね」
結界術と魔力測定器を使って、右腕に刻まれた痕の魔力構造を解析する。
「……やはり。構造が異常です」
診断を終えたフィリオは、いつになく険しい顔で告げた。
「これは……聖痕の呪いに極めて近い構造をしています」
「呪い……?」
「聖教会の術式、それも高位階級の結界術に類するものです。通常の治癒魔術では対処できません」
淡々とした口調の中に、確かな危機感が混ざっていた。
「このままでは、魔力の流路が破壊される危険があります。……命にも関わるかもしれません」
室内がしんと静まり返る。
その重い言葉が、ヴィスの苦悶よりも深く、胸に突き刺さった。
* * * * * *
すぐにハルカはレオニスのもとを訪れた。
彼は仮の作戦室にて、地図を前に小規模な防衛計画を練っていたが、ハルカの顔を見るとすぐに手を止めた。
「……何かあった?」
「ヴィスさんのことです。フィリオさんが診断を出しました。
聖痕の呪いに近い構造で……治癒魔術が効かないって……」
ハルカの声は途中で震えた。だが、レオニスは黙って聞いていた。
「このままじゃ、命にも関わるかもしれないって……。
普通の魔導師じゃ、どうにもならないって……」
ハルカが拳を握る。その手のひらには、さっきリゼから預かった花の花びらが、まだ一枚だけ残っていた。
しばらく沈黙が落ちたのち──
「……聖教会の本拠地、聖都セラフィムへ向かう」
低く、はっきりとしたレオニスの声が響いた。
「“痕”を解く術が、あそこにはまだ残っている可能性がある」
「でも……聖教会って、王妃派と繋がってたりしないんですか?」
そう問いながらも、ハルカ自身は答えを知っていた。
──乙女ゲーム『薔薇と鏡の王国』において、聖教会は王政にも貴族にも属さない、神の教えを掲げる独立した教団組織。
その本部が置かれているのが、聖都セラフィムだった。
……少なくとも、マリエルのルートでは。
マリエル──『薔薇と鏡の王国』という世界の、正規のヒロイン。
そして、ハルカがかつて操作していた側の、物語の中心にいた少女。
神に仕える身として聖教会で育ち、ある日「聖女候補」として王城に呼ばれる──
それがこのロズミラの物語の始まりだった。
彼女を中心に、すべての攻略キャラが動き出す。惹かれ、導かれ、変わっていく。
だからこそ、怖かった。
もし、あのマリエルがこの世界にも実在していたら。
もし、自分がそこに足を踏み入れたとき、彼女と出会ってしまったら。
──そのとき、自分は何を見せつけられるんだろう。
「聖教会は王政や貴族に属さない中立勢力だ。
古い聖職者たちの中には、聖痕に対処できる術者がいると聞いたことがある。セラフィムに向かうしかない」
レオニスの言葉が、現実を引き戻す。
そうだ。今の自分は、彼女じゃない。
けれど、助けたい人がいる。守りたい仲間がいる。
なら、行くしかない。
たとえ、本物のヒロインがそこにいたとしても──
ハルカは小さく頷き、胸の奥で静かに決意を固めた。
──ヴィスを、必ず助ける。そのためなら、どこへでも行く。




