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薔薇と鏡の王国《rewrite》—— “モブ”が書き換える、愛と死と回帰の物語。  作者: 舞見ぽこ
第5章 聖光の顕現、揺らぐ運命の座標

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第88話 守るべきもの

 空気が一変した。湿り気を含んだ冷気が、肌の上をなぞるように流れてくる。薄暗がりの中、魔導灯の明かりが壁の紋様を浮かび上がらせた。


 「記録と一致しますね……古代期、前半の建築様式です」


 フィリオが低く呟き、壁面の彫刻を指でなぞる。その動作に続くように、レオニスが数歩、前へ出た。


 「足元、気をつけろ。崩落跡がある」


 レオニスの声に、ハルカは思わず息を呑む。足元には苔むした石畳が続いていたが、その一部は抜け落ち、深い闇が口を開けていた。


 カイネルは黙って周囲を見渡しながら、短く指示を飛ばす。


 「警戒を緩めるな。ヴィス、魔力探知を続けろ。フィリオ、結界反応の判定を」


 「了解」


 「……任せとけ」


 それぞれが淡々と動き出す中、ハルカは扉の前で一瞬、足を止めた。


 ——鼓動が、速い。


 視線の先、うっすらと白い光が、地下の闇に浮かんでいる。まるで誰かが、そこに立っているかのような。


 「……レオニス。あそこ、誰か……」


 言いかけたそのときだった。


 「っ、魔力反応!微弱だが、確かにある!」


 ヴィスの叫びに、空気が引き締まる。カイネルが剣の柄に手をかけ、即座に前方へと視線を向けた。


 だがその“光”は、ひときわ淡く揺らめいたあと、霧のように消えていった。


 「……残滓か、幻影か。それとも……」


 誰かの言葉が、地下の静寂に溶けていった。


 

 * * * * * * 


 

 通路の先に広がるのは、まだ深く、影に包まれた空間だった。

 視界の届く範囲は限られ、魔導灯の灯りが届く先にも、奥行きは続いていた。


 「……あそこ。何か、ある?」


 ハルカが指差した先、半ば崩れかけたアーチの向こうに、かすかに隆起した構造物の影があった。

 高さと形状から、誰かが「祭壇……かもしれない」と呟く。


 だが、その先へ進む前に──


 「魔導灯の出力が下がってきてる。……そろそろ限界だな」


 ヴィスがぼそりと呟き、誰かが深く息を吐いた。


 「無理に進むのは危険だ。夜も深い、ここで一度引き上げるぞ」


 レオニスの判断に、異論はなかった。

 空気は冷え、神殿の奥からはかすかな風音が響く。


 引き返す足音だけが、やけに大きく感じられた。


 

 * * * * * *


 


 翌朝、薄曇りの空の下、再び地下神殿の前に集まったのは四人だった。


 レオニスは先頭に立ち、昨夜の探索ルートをなぞるように足を進める。

 ハルカの背には、簡易の記録端末。フィリオは静かに魔導測定器を手に持ち、歩を進めていた。

 そして、無言で先行するヴィスの背は、昨夜よりも少しだけ張り詰めて見えた。


 「魔力濃度……やはり一定じゃないな。場所によって波がある」


 フィリオが測定器を覗き込んだまま言う。

 ハルカは壁際の彫刻に目をやりながら、魔導灯をかざした。


 「昨日、奥に見えた“あれ”……まだあるかな」


 「ある。今朝は、確認するために来たんだろ」


 ヴィスの短い返答にうなずき、ハルカはその背を追った。


 やがて、通路の先にぽっかりと開けた空間が現れた。

 円形の広間。崩れかけた石柱が並び、その中央には──


 「……あれが、祭壇……」


 自然と誰かの声が漏れた。

 石造りの台座。周囲より一段高くなっており、古代の文字と見られる文様が刻まれている。


 「生活痕……?」


 広間の片隅には、壊れた寝具や陶器の破片、風化した衣類のようなものもあった。

 どれも時間に晒され、もはや輪郭も定かではないが、かつて“誰かがここで暮らしていた”痕跡が確かにあった。


 「祭壇と生活空間……これは、祈りの場と、封印の番人……?」


 誰ともなく呟かれたその仮説を、誰も否定しなかった。


 ──そのときだった。


 「……ヴィス? 後ろに、誰か……」


 ハルカの声に、彼が振り返る。


 そこに立っていたのは、小さな人影だった。


 「……リゼ?」


 「っ、なんでここに……!」


 ヴィスの顔色が変わる。

 リゼは手の中に、小さなきらきらと光る石を握っていた。それは、祭壇の装飾の一部に使われていたものと酷似していた。


 「これ……きれいだったから……」


 幼い声とともに、リゼがふらりと台座に近づいた──その瞬間だった。


 ──パアアアアアッ──


 閃光が走った。


 石が反応し、台座が発光する。リゼの足元に魔法陣のような光が浮かび上がり、空気が震えた。


 「下がれッ!」


 ヴィスが咄嗟に身を投げ出し、リゼを庇った。


 その勢いのまま、彼の右腕が台座の縁に強く打ちつけられる。

 硬質な石にぶつかった音が響き、同時に——


 光が奔った。


 打ちつけた部分から、まるで焼きごてを押しつけられたように、淡い光の“紋章”が浮かび上がる。


 「……っ!」


 ヴィスが息を詰め、苦悶に顔をしかめる。

 その腕には、装飾のように精緻な線が複雑に絡み合う、“刻まれた痕”が、うっすらと浮かび始めていた。


 そして彼は、静かにその場に崩れ落ちた。


 「ヴィス!!」


 ハルカの叫びが、冷たい石の空間に響き渡った。


 ヴィスは動かない。

 腕には淡い痕──聖痕と思われる魔力の痕跡が、静かに淡く輝いていた。


 「ヴィス、しっかりして!」


 駆け寄ったハルカが肩を揺さぶるが、彼は応じない。

 皮膚は冷たく、意識は深く沈んでいるようだった。


 「……呼吸と脈はあります。ただし、深刻な魔力干渉が発生した可能性が高い」


 傍らで脈を測ったフィリオが、静かに状況を説明する。

 その声は落ち着いていたが、その分だけ緊張感を帯びていた。


 「移送を優先しましょう。ここでの応急処置は……適しません」


 「わかった。すぐに運ぶ」


 レオニスが短く頷き、ハルカに軽く視線を送る。

 「君はリゼを。あの子も、動揺してる」


 ハルカが振り返ると、リゼはその場に座り込んでいた。

 小さな両手で石をぎゅっと握りしめ、震える瞳でヴィスを見つめている。


 「……大丈夫だから、ね。いっしょに帰ろう」


 ハルカがそっと声をかけると、リゼはゆっくり頷いた。


 * * * * * *


 里へ戻った一行を、仲間たちが迎えた。


 「ヴィスが倒れた!?」「魔力障害だと!?」


 報せを受けた者たちが騒然とする中、フィリオが治療班に手短に状況を伝え、魔導測定器を渡す。

 ハルカはリゼの手を握ったまま、レオニスと目を合わせた。


 その視線には、言葉にできない不安と、怒りが混じっていた。


 「……神殿は、封鎖する」


 レオニスが静かに宣言する。


 「明日から内部への立ち入りは禁止だ。研究班だけを残し、調査と封印の仕組みを二段構えで進める」


 その声音は、いつになく鋭く、厳しかった。


 「わずかな魔力接触でこの状態……。本格的な反応が起きれば、命に関わる」


 「まさか、あの子が……」


 誰かが呟いた言葉に、エレナが眉をひそめた。


 「どうやら、ヴィスのあとをこっそりついてきていたらしい。……あの子、ヴィスにすごく懐いてたから」


 「……っ」


 その一言に、ハルカの胸がきゅっと締めつけられる。


 ──優しい声も、無造作に頭を撫でる手も。

 リゼにとって、ヴィスは「安心できる場所」だった。


 だからこそ、あの子は――。


 「……だから、守ったんだね」


 ハルカはそっと呟いた。



 リゼを抱きかかえていたハルカの元へ、息を切らした女性が駆け寄ってきた。


 「リゼっ……!」


 その声に振り返ると、髪を乱し、頬をこわばらせた女性が駆け寄ってくる。

 リュミナ──リゼの母親だった。


 彼女はしゃがみ込んで娘を腕に引き寄せ、何度も「大丈夫、大丈夫」と繰り返しながら、その背を撫で続けた。


 やっとのことで落ち着いてきたリゼを抱いたまま、リュミナの視線がふと傍らに運ばれて来た横たわる男へと向けられる。


 その姿を見た瞬間、彼女の息が詰まった。


 「……ヴィスさん……」


 小さく名前を呼んだだけで、あとは言葉にならなかった。


 彼の腕に浮かぶ異様な痕跡に目を留めたまま、リュミナはそっと顔を伏せ、肩をすくめる。


 「……私……何をやってたんだろう……」


 震える声が、誰に向けたものでもなく零れた。


 声はかすれ、目に涙が浮かぶ。


 そんな中で、ぽつりと誰かが呟いた。


 「……幼い子から、目を離すから……」


 空気が一瞬、凍りつく。


 「はァ!? 今なんつったのよ!」


 エレナの怒気をはらんだ声が空気を切り裂いた。


 「リュミナさんはね、この里のために、どれだけ無理して働いてると思ってんのよ! 子ども抱えて、睡眠削って、ずっとずっと!」


 鋭い視線が辺りを一掃する。


 「そんな人に向かって、よくもまあ、のうのうと……!」


 リュミナは「やめて……」と小さく制するように首を振ったが、エレナは引かなかった。


 「責める相手、間違ってんじゃない? 悪いのは、こんな危険なものが“地下に放置されてた”ことじゃないの?」


 その言葉に、誰も反論できなかった。


 ハルカはそっとリュミナの肩に手を添える。


 「リゼちゃん……本当に、無事でよかったです」


 その声に、リュミナは耐えきれず、ぽろぽろと涙をこぼした。

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