第86話 白き羽と、燃ゆる誓い
夕暮れ時。
騒がしかった現場が少し落ち着いたころ、ハルカはスフレを連れて、森の縁へと足を伸ばしていた。
草木の香りが心をほぐす。柔らかな風に乗って、小さな羽音が聞こえた。
(……ん?)
ふと足元の草むらに目をやると、そこに一羽の小鳥がうずくまっていた。
淡い光沢を帯びた白銀の羽。
どこか幻想的な──まるで絵本から抜け出してきたような美しさを持っていた。
「……大丈夫? 怪我、してるの?」
ハルカはゆっくりとしゃがみ込み、優しく手を伸ばす。
小鳥は一度だけ羽をばたつかせたが、逃げようとはせず、そのまま彼女の手に身を預けた。
「……怖かったんだね」
スフレが「フスーッ」と小さく鳴いた。
ハルカは笑って、彼の頭をぽんと撫でる。
「大丈夫。仲良くしてあげて。しばらくこの子の面倒、見てあげたいんだ」
スフレが首をかしげるようにして、小鳥を見つめる。
けれど、ふと我に返ったように、ハルカは自分の腕の中を見下ろした。
「……どうしよう、この子……」
か細く鳴いて震える小鳥を胸に抱えながら、ハルカは途方に暮れていた。
翼はうっすらと光を帯びるように白く、美しい文様がうっすらと浮かんでいる。
どこか現実離れした気配を纏い、ただの野鳥とは思えなかった。
人の出入りの多い場所では落ち着かないだろうし、動物の匂いが強い部屋に連れて行くのも心配だ。
「静かな場所……どこか、ないかな」
その時、背後から聞こえた足音に振り返る。
そこにいたのは、レオニスだった。
手には、簡素な木の鍵が一つ。
「……ここ、使え。隣の部屋、片付けといた」
「え……?」
「物置だったけど、布団も入れといた。……鳥、静かな方がいいだろ」
差し出された鍵と、その声の柔らかさに、思わず言葉を失う。
「……本音を言えば、ほんとは一緒の部屋のままがよかったけどな。……まあ、しゃーないか」
その言葉に、ハルカは一瞬だけ目を見開き——それから、ふっと笑った。
「……ありがと」
小さく呟いて、そっと鳥を胸に抱き直す。
──やがて、数日が過ぎ。
手当てと静かな環境の中で、小鳥はゆっくりと力を取り戻していった。
羽を震わせ、か細く鳴いていたその姿はもうない。
そしてある朝、部屋の窓を開け放つと、鳥はふいに羽ばたいた。
光の中をまっすぐに翔ける、神秘的な白い軌跡。
その姿に、ハルカはただ、息を呑んで見上げた。
「……元気でね」
空の彼方に消える小さな影に、そっと手を振る。
──まだ知らなかった。
その鳥が、ただの迷い鳥ではなかったことを——。
* * * * * *
鳥が空へと飛び立っていったその頃、隠れ里ではまた一つ、大きな変化が起きていた。
──人が暮らす場が、本格的に形を成し始めていたのだ。
素材は、この地に自生する木材と、周辺から採取した石材のみ。
だが、ガロスはそれを宝の山と呼び、地形を読み、風を読み、最短かつ堅牢な構造で住環境を整えていった。
「この地に眠ってるモンで、いくらでも砦は建てられる」
親方のその言葉に、弟子たちはもちろん、新たに加わった作業班の面々も勢いづく。
仮設ながらも堅固な住居が、里の一角に次々と立ち並び始めた。
避難民として受け入れられた者たちは、気がつけば道具を手にしていた。
土を掘り、木を運び、壁を塗り、床を敷く。
最初は戸惑っていた者たちも、次第に笑みを浮かべながら、互いに声を掛け合い、手を貸し合うようになっていた。
──今、この隠れ里には、およそ二百名が暮らしている。
王都で暮らしていた平民たち。
そして、地方の町や村から流れ着いた者たち。
王妃派の圧政に反発し、密かにレオニスの呼びかけに応じて集まってきた人々だった。
かつては家族と静かに暮らしていた者。
商いを営んでいた者。
魔術や学問に携わっていた者もいる。
王都から逃れてきた者もいれば、
重い税や徴発に苦しむ地方から、命からがら辿り着いた者もいた。
皆、それぞれの理由で故郷を離れ、ここへ辿り着いた。
「……ここが、第二の人生になるかもしれませんね」
ふと、誰かが漏らしたその言葉に、誰も否定の声を上げなかった。
それは、かつての王都では口に出せなかった願いだった。
──そしてその夜、仮面の梟が、皆を一カ所に集める。
静かに語られたその言葉が、民の胸に灯をともした。
それは、運命を動かす革命の音なき前兆だった。
* * * * * *
「──この国は、今や王妃の私欲によって蝕まれている。
民は虐げられ、正義は踏みにじられた。
我々は、ただの避難者ではない。ここに集ったのは、かつての家族を、仲間を、居場所を、理不尽に奪われた者たちだ」
レオニスの演説が、夜の広場に響いていた。
「……ならば、我らの手で取り戻そう。奪われた暮らしを、信じた未来を。
ここに集うすべての者が、立ち上がる意思を持つならば──我らは革命軍だ」
その言葉に、篝火がゆらめく。
誰かが拳を握りしめ、誰かが唇を噛み締めた。
だが、それぞれの心に、確かなものが灯るのを感じていた。
新たに加わった五十人近い若者たちはもちろん、ガロスや弟子たちでさえも──この瞬間、心を揺さぶられていた。
「……やるしかねぇな」
ガロスがぽつりと呟く。
それに、弟子たちがうんうんと頷いた。
この日、里の人々はただ逃げてきた者たちから、立ち上がる者たちへと変わっていった。




