第85話 隠れ里、再生の音
煌聖騎士団本部。石造りの廊下を抜けた奥、団長室にはいつものように誇張されたマントの翻り音が、部屋に堂々と鳴り響く。
濃紺に金刺繍の礼装、過剰な装飾の肩章、やたら派手な扇子──
そのどれもが彼の存在を隠すどころか、全力で自己主張していた。
ギルゼノール=フレアクライト。王妃派の象徴にして、煌聖騎士団団長。
……だがその胸の奥には、未だ消えぬ“別の忠義”が燻っている。
「……どうか……どうか王妃様の目には触れないでください……! 殿下ァ〜〜〜〜〜〜!!」
机に叩きつけられた報告書を抱きしめながら、ギルゼノールは椅子ごと倒れ込んだ。
報告書の見出しには、こう記されていた。
《第一王子に酷似した男、北方山間にて複数目撃》
彼の額に玉の汗がにじむ。
「やばいやばいやばい……! このままだと、あのお方が……!」
その様子を見ていた副官が、どこか冷めた声でぼそりと呟く。
「団長。落ち着いてください」
バタン、とタイミングよく扉がノックされた。
「失礼。ゼフィル=アルネストです。入室を許可いただけますか?」
瞬間、空気が変わる。
副官が背筋を伸ばし、ギルゼノールも慌てて姿勢を整えた。
「お〜〜! ゼフィル殿ではありませんか〜! ど〜ぞど〜ぞ、こんな狭い部屋で恐縮ですがぁ〜〜!」
ゼフィルは赤い瞳にいつもの涼しげな笑みを浮かべたまま、静かに部屋へと歩みを進める。
「お噂は耳にしております。……最近、似たような影が複数目撃されているそうで?」
「いや〜、似た顔って案外多いものですよぉ? 五人くらいは見たことが──」
「殿下に似た顔が、五人も?」
ギルゼノールの扇子が、ピタリと止まった。
「……なにか、お疑いで?」
ゼフィルは、わずかに首をかしげる。
「いえ。ただ少し気になりまして」
そして、一歩前へ進む。
「殿下に酷似した人物は、すでに別人だったと結論づけられたはずですが……」
何か……隠しておられることでも?」
「ギクーーーーッ!!?」
ギルゼノールが勢いよく椅子ごと倒れ込み、扇子をバタバタと取り落とす。
副官が、まるで慣れた様子で散らかった書類を片付けながら呟いた。
「はい、伝説級のリアクション入りました」
仰向けのまま扇子を拾いながら、ギルゼノールは全力で手を振る。
「ちょちょちょ、なにをおっしゃいますかゼフィル殿〜!? そんな殿下がご存命だなんて、夢物語のような仮定をですねぇ〜!」
ゼフィルは変わらぬ微笑のまま、わずかにその目元の笑みを深くする。
「ええ。……夢物語なら、笑って流してくださればよいのですが」
ギルゼノールの笑顔が引きつったまま、ぴたりと止まった。
* * * * * *
午前のうちから、隠れ里の空気が一変していた。
木槌の音。鉄材を切る音。掛け声と足音と、舞い上がる土埃。
──現場は、まさに戦場だった。指揮を執るのは、親方ことガロス。
「ほれ、そこの土嚢、二段目までは積み直せ。奥の梁、これじゃ歪むから組み換えだ」
彼の指示のもと、弟子三人と新たに選抜された二十名ほどの作業班が一体となって動いていた。
威勢よく現場に声を飛ばすのは、快活な青年・ラウルだ。
「そっちの足場、あと一段増やせ! ダン兄、もう一本梁いきます! ノエル、その段取りでいけるな?」
「……はい、問題ありません」
そのノエルは普段の天然系とは打って変わって、キリリとした口調で指示を出している。
「その角度では、荷重に耐えきれません。三寸ずらして、継ぎ手はこっちに。……はい、もう一度」
その姿に、見ていた作業班のひとりが思わず呟いた。
「えっ……ノエルさんって、あんな喋り方できるの……?」
「普段とのギャップ、すご……」
ラウルはそれを見て吹き出しながらも、軽口を飛ばす。
「いやぁ、これぞ職人モードってやつでしょ! ね、みんな惚れるなよ〜?」
その後ろで、大男のダンは無言で巨大な梁を一人で担ぎ上げる。
彼の動きは静かで正確で、作業員の誰もが息を呑んだ。
ガロスはそんな三人の動きを睨みつつ、手を止めずに怒鳴る。
「ラウル! 確認飛ばすなって何度言やあ分かんだ、ボケ! 基本は堅実に、慎重に、だろうが!」
「了解、親方ァ!」
「ったく、浮かれたガキどもが。いいか……今日の仕事は遊びじゃねぇ。俺たちで砦を築くんだ。
見せてやれ、職人の底力ってやつをよォ!」
「オーーッ!!」
弟子たちを先頭に、作業班全体が声をそろえる。
その一体感は、すでに“職人”という枠を超えて、ひとつの“軍”にも見えた。
──その声が、山の空気を震わせるように響いた。
* * * * * *
結界中枢の調整炉――いわゆる沈黙の帳の展開拠点では、夕方になっても魔導技術班が交代で作業を続けていた。
ヴィスとフィリオは、展開炉に並ぶ端末の前で並んでいた。
青白く光る魔導グラフが、魔力の律動を断続的に描き出している。
「……この揺れ。やっぱり渦だな」
ヴィスが低く唸るように言った。
「結界内の魔力が、中心に偏って滞留してやがる」
「物理的な偏りですか?」
フィリオがすぐに問い返す。
「いや、流れだ。遮断結界なら均一になるはずなんだが……こいつは変に密閉しすぎてる」
「……密閉」
フィリオの目が細くなる。
そのまま、彼は端末に切り替わって操作を始めた。
ヴィスが一度伸びをし、後ろを振り返った。
「嬢ちゃん、交代要員来てたら呼んでくれ。ちょいと詰所に寄る」
「あ、はい。……わかりました」
ヴィスが立ち去ると、フィリオはそのまま端末の前に腰を下ろし、じっと魔力の波を眺め続けた。
「……ふむ」
淡い光を帯びた円形の結界図。その内側に流れる魔力の波が、一定の周期でわずかに乱れる。
それは帳を再展開したヴィスが記録していた現象で、再現できないわけではないが、制御も困難だった。
「……これは、遮断ではなく、密閉に近いのでは……?」
フィリオは何度かデータを拡大しながら、顎に手を添えてつぶやいた。
そこへ、ハルカが後方から小さく声をかける。
「ヴィスさん、交代要員来ましたって」
ヴィスが伸びをしながら振り返り、魔力炉の安定状態を確認してから現場を離れる。
その背を見送りつつ、フィリオがぽつりと漏らした。
「この結界……内と外を隔てるだけなら、もっと簡潔な構造でいいはずなんです」
「え?」
ハルカが首をかしげると、フィリオはまるで独り言のように言葉を継いだ。
「内側の魔力が均一化せず、渦のように滞留する。……つまり、これは閉じ込める性質が強い」
「閉じ込める……?」
ハルカは専門的なことはよくわからないながらも、以前ヴィスが「排出口がない」と言っていたのを思い出す。
「でも……誰かに見つかるのを防ぐためのものなんですよね?」
フィリオが頷いた。
「はい。ですが、この構造……応用できれば、都市単位での干渉遮断や、逆探知の防止にも使えるはずです」
その目は、好奇心で静かに燃えていた。
「研究対象としては非常に……魅力的です」
(……また厄介な人が、帳に食いついたかも)




