第48話 鏡の奥に映るもの
雑貨屋の店先から、レオンさんがひょっこり顔を出す。
「お嬢さん、ちょうどいいとこに。ちょっと手ぇ貸してくんない?」
研究所からの使いで近くを通りかかっただけだったのに、いつの間にか店の奥に引きずり込まれていた。
木箱が積まれた半地下の倉庫。棚の上には色とりどりの瓶や、見たことのない魔術道具が所狭しと並んでいる。あの陽気な店先からは想像もつかない、ごちゃ混ぜなカオス空間だった。
「これ、魔道具の試作品でさ。動作不安定なんだけど、見た目が面白いからって卸から買わされちゃって。ちょっと暴れ気味でね?」
「暴れ気味、って……?」
レオンが苦笑しながら、金属の輪っかのような道具を指差す。その中央にある宝石が、びりびりと淡く震えていた。
——やな感じ。
直感が警告を鳴らす。魔力素の揺らぎ。これは、暴発する寸前の状態——。
「危ない、それ……っ!」
私が言いかけたその時、宝石が眩く発光した。
レオンが反射的に身を乗り出し、それを素手で押さえ込む。
「く……っ、ちょいと……やばい、かも……!」
金属音と光の火花。細かい破片が宙に舞う。
あと数秒も持たない。暴発すれば、ここにいる二人とも無事じゃ済まない。
そして、私の口が——咄嗟に叫んでいた。
「レオニス!!」
時が止まった。
彼の動きがぴたりと止まり、空気が凍る。
だが——その直後。
「っち、仕方ねぇな」
彼の目が鋭くなった。
まるでスイッチが入ったかのように、迷いのない動きで彼は魔道具の基部をひねり、緊急封印装置を展開。
即席で結界のような術式を構築し、暴走の核を収束させる。
眩い光が、すうっと吸い込まれるように消えていった。
静寂。破片が床に落ちる音だけが響いた。
私は、ほっと息を吐いた。
——けれどその安堵は、すぐに凍りつくことになる。
レオンは、ゆっくりとこちらを振り返った。
帽子がはらりと床に落ちる。
揺れる茶髪の奥から、覗いたのは——隠していたプラチナブロンドの髪。
「……その名を、どうして知ってる?」
彼の声は、さっきまでの軽口とはまるで別人だった。
次の瞬間。私は壁に押しつけられていた。
ガン、と木の棚が背中に当たる。
顔が、近い。息がかかるほどの距離。
レオン……いや、彼は私の口元をそっと押さえた。
「……声を出すな。誰にも、聞かれたくないだろう?」
その顔は、もう“レオン”ではなかった。
眼鏡を外し、帽子を脱いだ彼の横顔は、まるでディアル様の鏡写しのような美貌。
けれどその瞳は、ディアル様とも違う。冷静で、計算された光を宿していた。
「初めまして。俺は“仮面の梟”——レオニス=デ=フィレント=エルヴィオン、だ」
(知ってる、知ってた。だけど……)
心臓が、跳ね上がる。
この至近距離で、こんな美しさで、あんな声で、名前を告げられて。
怖いのに、綺麗すぎて、目が離せない。
ドクン、ドクンと脈が全身に波打つ。
私は、ただ呆然と、彼を見上げるしかなかった——。
* * * * * *
がらんとした倉庫の奥。
木箱に囲まれた狭い空間に、静かな空気が満ちていた。
レオン——いや、レオニスは、壁に背を預けたまま、じっとこちらを見ていた。
もはや陽気な雑貨屋の笑みは消えている。そこにいるのは、仮面の梟。
軽さの欠片もない鋭い眼差しが、逃げ場を塞いでいた。
「さて、ひとつ確認させてもらおうか」
静かな声だった。
けれどその一語一語が、まるで刃のように心をなぞっていく。
「君はさっき……俺のことを“レオニス”と呼んだ。どうしてその名を知っている?」
(やばい、やばいやばい!)
喉がからからだ。唇がうまく動かない。
(嘘をつかなきゃ。でも、もしバレたら……)
ノアみたいに器用に誤魔化すなんて、絶対に無理だ。
それでも、このままじゃ帰れない。下手をすれば、帰してもらえない。
「……前に、聞いたんです」
「誰から?」
言葉に詰まる。頭が真っ白になる。
(誰って……いつって……そんなの、ゲームの設定で——)
——でも。
この世界の“今の私”が知っていてもおかしくない時期は?
(……ディアル様の失踪前。
そう、一年前なら……ギリギリ、辻褄は合う)
「……一年前、くらいだったと思います」
「誰から聞いた?」
「……ディアル様から」
嘘だ。
でも、今のところ、それ以外に手はない。
レオニスの目が細められる。
静かに歩み寄ってきた。
その一歩ごとに、鼓動が跳ねる。
「兄上から……?」
「“弟は生きてる”って。それだけ、です」
「それだけで、俺の正体に気づいたと?」
「……レオンさんの雰囲気が、どこかディアル様に似ていて……
もしかして、って」
頬が熱い。ごまかそうとするほど、言い訳じみていくのがわかる。
レオニスは近くの木箱に腰を下ろした。
そして、ゆっくりと呼吸を吐いた。
「……まあ、ありえなくもない話だ」
沈黙。
その沈黙が、苦しかった。
「君の目は……嘘をつけない目をしてる」
「っ……」
「でも、それでも、俺の正体を知っていた」
視線が合う。
逃げようとすれば、即座に腕を掴まれそうな距離。
どこまでも見透かされているような——
「ハルカ。君は何者だ?」
名を呼ばれた。
名前を、きちんと。
陽気なお兄さんでも、革命軍のリーダーでもない、
一人の人間として、彼の声が届いた気がした。
(……やばい。こんなの、ずるい)
そう思うくらい、彼の声には、真実を引き出す力があった。
「……その“ディアル”とは、どういう関係だ?」
低く、抑えた声だった。けれどその声音に、逃げ道はないと悟る。
「君のような……一般人が、王族とどう繋がる?」
私は喉がひりつくほどに唾を飲み込んだ。
視線を逸らせば嘘だとバレる気がして、でも正面から彼の目を見返す勇気もなくて。
「……私は、その……魔力異常の調査対象として、以前、城に……」
言葉が途切れる。苦しい。
「王立魔導研究所より前に、王城で一時的に保護されてたことがあって……それで、偶然……」
自分でも、何を言っているのか分からなくなる。
でも言わなきゃ。もっともらしい理由を、今、ここで。
「そのとき、たまたま、ディアル様と……ほんの少し話しただけです。弟は生きてるって、それだけ……」
しどろもどろになった私の説明を、彼はずっと黙って聞いていた。
やがて、静かに、たった一歩、私との距離を詰める。
その金色の瞳が、まっすぐに私を射抜いた。
「……嘘をついているようには、見えないな」
私は少しだけ息を吐く。――でもそれは、安心ではなかった。
「けれど、何かを“隠している”。そうだろ?」
肩が、びくりと震えた。
「……まあいい。真実を語るまで、君はここを出られない」
淡々と告げられた言葉が、私の胸の奥で重く響く。
(……拘束、された……?)
ぐらりと、足元が揺れるような感覚。
息が詰まりそうだった。
逃げられない。この人の目からは、きっと何も隠せない。
なのに、私は本当のことなんて、絶対に言えない。
(ノア……、助けて……)




