第47話 革命の影、その手に
王都に戻ってから、数日が経った。
あの日の騒動——東の森での魔力異常調査と、現地で発生した混乱については、一通り報告を終えた。
もちろん、“アスランの正体”や“ディアル様の姿”については伏せている。
あれは、まだ私の胸の中にしまっておくべきことだから。
とにもかくにも、ようやく一段落ついた私は、再び王立魔導研究所の庇護下に戻ることになった。
——不思議なことに、会話はなんなく出来るのに、文字はやっぱりまだ苦手だ。
それでも、前よりはずっと読めるようになってきた。
知らない単語も、文脈からなんとなく意味がわかる時がある。
書く方も、見よう見まねではあるけれど、短いメモなら少しずつ形になってきた。
まるで、異世界だったこの場所が、“少しずつ自分の居場所”に変わっていくみたいで。
そんなささやかな変化が、ちょっとだけ嬉しい。
そして、もうひとつ——。
あの日、ディアル様……アスランが託してくれた子犬。
白っぽい毛並みの、小さな命。私は“スフレ”と名付けた。
研究所では、私の部屋の片隅にスフレ用の寝床を置き、日中はなるべく一緒に過ごせるようにしていた。
時々書類をかじられて焦ることもあるけれど、彼のあたたかさが、心を落ち着かせてくれる。
まるで、あの日の記憶が形を持ってそばにいてくれるようで——。
私は、彼の存在に、何度も救われていた。
もともと連れてくるつもりはなかったけれど、復帰初日、どうしても離れたがらずに後をついてきてしまって——
見つかったら怒られるかもと冷や汗をかいていたら、案の定、職員の一人に見つかってしまった。
……でも、意外なことに、スフレはあっという間に研究所の人気者になっていた。
「なんて賢い子犬なの!」「癒しの天使!」
すっかり“研究所のアイドル”の座を獲得して、今では餌や水の心配も要らないほど、職員たちが自主的に世話をしてくれている。
彼が誰かの机の下で丸くなっている光景は、すっかり日常になっていた。
* * * * * *
午前の仕事を終え、資料を元の棚へ戻していたときだった。
「おや、働き者だね。……僕がいない間に、随分と馴染んだみたいだ」
ふいに耳元に落ちた声に、私はびくっと肩を揺らす。
振り返れば、そこには淡い青緑の髪と銀灰色の瞳を持つ、端正な青年——ノアが立っていた。
「ノア……っ!」
思わず声が弾んだ。心が跳ねた。
懐かしさと嬉しさが一気に押し寄せる。
気づけば、私は小走りで彼に近づいていた。
あの夜、絶望の淵で現れてくれたヒーローのような姿が、今でも瞼の裏に焼きついている。
「……あの時は、ありがとう。ほんとに……助けてくれて」
目を合わせると、彼はふっと微笑み、静かに顔を寄せてきた。
「……ずいぶん、甘えるのが上手くなったね。ハルカ」
耳元で囁かれた声に、体がピクリと震える。
「っ……!」
まるで心の奥を撫でられるような声音に、私は思わず言葉を失った。
ノアはくすりと笑い、少しだけ距離を取る。
そのときだった。
スフレが、ひょこっと私の足元から顔を出す。
ノアの姿を見つけた瞬間、耳をぴんと立て、警戒と興味が入り混じったような動きで近づいていった。
「……ん?」
すん、と鼻先をノアの足元に押しつけてきたスフレに、ノアはわずかに目を見開いた。
「……これは、初めて見る顔だね。君の飼い犬?」
「うん。森で出会って、アス……その、ある人から預かったの」
「ふうん……」
ノアはスフレを一瞥しつつ、慎重にしゃがみこむ。
スフレは一瞬、距離をとってから——そろりと前足を踏み出し、彼の差し出した指先に鼻を寄せた。
「……人見知りしないんだね」
「そうみたい。私にもすぐ懐いたから」
ノアは少しだけ苦笑した。
「……あまり得意ではないんだけどな、こういうの。予測不能で、感情の反応もバラバラで……」
「え、ノアでも苦手なものあるんだ」
「あるとも。特に子どもと動物はね。秩序を無視するものは、苦手だ」
でも、と続けるようにノアは目線を落とし、伏せたスフレの頭に、ぎこちなく手を乗せた。
「……まあ、君が選んだ相手なら、悪い気はしない」
その言葉に、私は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
スフレは満足げにノアの足元で丸くなり、すっかり安心しきった様子を見せている。
ノアはその姿を一瞥しながら、ふっと息をついた。
「……君の周りは、いつも何かしら騒がしいね。だから余計に、君の“声”が聞こえるとほっとする」
唐突に落ちたその言葉に、私は思わず顔を上げた。
「——君の声が、またこうして聞けてよかったよ。
あの夜から、ちゃんと眠れてる?」
心配するような口調に、胸がきゅっとなる。
「うん。おかげさまで、ちゃんと……」
「そう。なら、いい」
彼は、視線をすっと外しながら続けた。
「アスランの件については、報告に目を通したよ。
……随分とぼやかした書き方だったけど、君らしいね」
「っ……やっぱり、わかるんだ」
「君が書くときだけ、文の結びが妙にあいまいになる。
それに——端々の書式も独特でね。正式な文型よりも、日常言語に近い表現が多い。
読み慣れていると、すぐに気づくよ」
「うぅ……だって、まだ研究所の文字体系も、ちゃんと覚えきれてないし……」
「それでも、君なりに一生懸命伝えようとしていたのは伝わってきたよ。
……だから、読めた」
その目には、わずかに柔らかな光が宿っていた。
それはきっと、心配と、安堵と——他の誰にも見せない、彼だけの優しさ。
私はただ、頷くことしかできなかった。
* * * * * *
その日の午後、研究所の上層部で、ひとつの名前が慎重に口にされた。
かつての王子、ディアルの弟。
王妃に疎まれ、四年前に姿を消した“もう一人の王族”。
ゲーム本編には登場しなかった、隠しルートの攻略対象。
——レオニス。
その名が、再び王都の空気に囁かれ始めていた。
* * * * * *
王都の朝は、いつだって騒がしい。
道を行き交う人々の声、荷車を引く音、遠くから聞こえる鍛冶屋の打撃音。
けれどその喧騒の中に、妙な緊張感が混ざっているのは、気のせいじゃない。
「——また焚火があったらしいよ。東区の裏通り」
「ほら、あれが合図って噂の……革命派の動き、また始まったのかねぇ」
買い物帰りの主婦らしき二人の話が耳に入った。
私は立ち止まりこそしなかったけれど、意識だけがその会話に引き寄せられていく。
革命軍——
その言葉を聞くだけで、胸の奥がざわついた。
* * * * * *
研究所から頼まれた備品の回収で、私はいつもより東寄りの通りへと足を伸ばしていた。
石畳の隙間に小さな花が咲いていて、王都の喧騒から少し離れたこの界隈は、どこか懐かしい空気が漂っている。
そして——その空気の中心に、彼の店があった。
木製の看板に『レオン雑貨店』と手描きの文字。
店先にはハーブの鉢植えがいくつも並べられ、色とりどりの小物が吊るされている。
カラカラ、とドアの鈴が鳴った瞬間、耳に飛び込んできたのは、陽気な声だった。
「いらっしゃーい、お嬢さん! お目が高いねえ!」
ひときわ目立つ瓶底メガネ。
くせ毛気味の茶髪に、妙に“お洒落”を主張してくるつば広ハット。
軽快な口調と人懐っこい笑みを浮かべた雑貨屋の店主——レオン。
(雑貨屋のレオンさん。王都の片隅で雑貨屋を営む男。瓶底メガネに陽気な笑顔、どこにでもいそうな軽い兄ちゃん——
でもその正体は、ディアル様の腹違いの弟、レオニスで革命軍のリーダー。“仮面の梟”。
王家の血を引きながら、王妃に疎まれ、追われる身となった男。
軽く笑って、誰より重い覚悟を背負ってる。……わたしは、もう知ってる)
「お嬢さん、見るだけでも大歓迎だよ〜。あ、でも見ると欲しくなるって評判だからね? 責任は取れませんよっと」
「……いえ、研究所の使いで。指定された備品を受け取りに来たんですけど」
「おっ、例のアレか!任せて、ちゃんと準備してあるよ。あんたが来るって聞いてたしね」
さらりとした物言い。でも、その語尾に含まれたニュアンスに私は気づく。
(……やっぱり、わかっててやってる)
フルコン勢の直感。
この男が、ただの雑貨屋なはずがない。
「代金は後払いって話だったよね? ……じゃあ今日はツケでいいや。あんたがまた来るって信じてるから」
「……それって、営業トークですか?」
「もちろん! でもちょっとだけ、ホンネも混ざってるかも?」
そう言って、レオンは小さくウィンクしてみせた。
その表情の裏にあるものを、私はまだ完全には読み取れない。
けれど確かに、この人は、あの“レオニス”だった。
表の顔は陽気な商人、裏の顔は——
『鏡』として、王国の“本当の姿”を映し出す者。




