第5話 そばにいる理由
それから数日後の深夜。いつものように焔空を寝かしつけたセレストが厨房へ向かうと、扉の前で誰かが待っているのが見えた。
「あ、セレストさん!」
芽依だった。手には何やら布に包んだものを抱えている。
「…こんばんは。」
「こんばんは!あの、今日はこれ、持ってきたんです。」
差し出されたのは、綺麗な形のパンだった。
「このお屋敷にも慣れてきて厨房も好きに使っていいと言われたので、焼いてみたんです。食べてもらえたら嬉しいなって…。あ、もちろん焔空様の分もどうかなと思って、多めに焼いてきました!」
セレストはしばらくそのパンが入った包みを見つめていたが、やがて小さくうなずいた。
「…ありがとうございます。」
「い、いいんですか!?」
「はい。いただきます。」
意外な返答に、芽依はぱっと表情を明るくした。
「良かった…!この間、手伝えなかったから、何か力になれないかなってずっと考えてて。」
「お気持ちだけで十分です。」
「そう、ですよね。分かってます。でも、」
芽依は少し声のトーンを落とした。
「焔空様のこと、深山さんから聞いてから、ずっと気になってて。誰にも会えないなんて、寂しいだろうなって。」
その言葉に、セレストは僅かに視線を動かした。
「…焔空様は、寂しいとは仰いません。」
「そう、なんですか?」
「はい。いつも、笑っておられます。」
淡々と、けれど確かな響きでそう言うセレストに、芽依は少し驚いたような顔をした。
「…セレストさんは、焔空様のこと、大切に思っていらっしゃるんですね。」
「私は従者ですので。」
「それだけじゃない気がします。」
芽依がそう言うと、セレストは一瞬、目を伏せた。だがすぐにいつもの無表情に戻り、包みを受け取って一礼する。
「…パン、いただきます。ありがとうございました。」
「あ、はい!また持ってきますね!」
そう言って手を振る芽依に、セレストは小さく頷いてから、厨房の奥へと戻っていった。その背中を見送りながら、芽依はぽつりと呟く。
「…少しは、仲良くなれたかな。」
まだ何も知らない芽依にとって、焔空という存在は、ただ「気の毒な人」という漠然としたものでしかなかった。だがこうして少しずつセレストとの距離を縮めながら、芽依はまだ、自分がこの家の一員になりつつあることに気づいていなかった。
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「ん…おはよう、セレスト。」
「おはようございます。」
いつものように目を覚ました焔空に、セレストが食事を乗せた盆を差し出す。
「今日も…あれ?」
盆の上を見て、焔空は目を丸くした。いつものおにぎりに加えて、見慣れないパンが添えられている。
「これ、パン?」
「はい。頂き物です。」
「頂き物?珍しいね。」
不思議そうにパンを手に取り、一口かじる。ふわりとした食感と、優しい甘みが口の中に広がった。
「あ、美味しい…!」
「そうですか。」
「うん!セレストのおにぎりも美味しいけど、これも全然違う美味しさがあるね。」
素直な感想に、セレストは小さくうなずいた。
「誰から貰ったの?」
「新しく入られたメイドの方です。森道さん、と仰る方です。」
その名前に、焔空は少し記憶を辿るような表情をした。
「森道さん?どこかで聞いたような。…あ、確か流舞たちが言ってた転校生の子か。あれ?じゃあ学園に通いながら働いてる?」
「彼女は烈華様の紹介で来たと話していました。」
「そうなんだ。…同じ人なのか今度二人に聞いてみよ。」
おにぎりとパンを堪能した焔空。
「ごちそうさまでした。…そういえばその人、セレストのこと変な目で見たりしなかった?」
急に心配そうな声色になる焔空に、セレストは真っ直ぐ焔空を見つめた。
「変な目、とは。」
「その、俺の従者だからって、避けたりとか、気味悪がったりとか…。」
「…分かりかねます。」
「え?」
「表情の違いを見分けるのは、私には難しいので。」
淡々とそう答えるセレストに、焔空は思わず苦笑いする。
「あはは、そっか。まあ、ないならいいんだけど。」
「特に問題は無かったかと思います。パンを渡してくれただけですので。」
「そう。ならいいや。」
安心したようにそう言い、ふうっと一息つく。
「今日も放出しなきゃ。」
ベッドに横になり、体をリラックスさせる焔空。
(毎日のこととはいえ、いつもの痛みからもっと痛くなる放出の時間は気が重くなるなぁ。)
『ふん、相変わらずめんどくさいわね。朝起きたらすぐにそれするからほぼ動けないじゃない。』
「習慣だからね。それに最初のころと比べて放出もだいぶ早くなったんだよ?…その分、痛みも凄いけど。」
『はっ。どっちがいいんだか。でもあんたって戦う時は痛そうにしてないわよね?』
「うん。戦う時は集中して魔力放出を抑えてるんだ。昼間はいつも魔力が放出されてて何もしなくても体が痛いけど、夜に戦ってる時はそれを無理矢理止めてるんだ。」
『じゃあ、常時魔力を抑えておけば昼間でも動けるじゃない。』
「そうはいかないよ。俺は魔力がものすごく早く溜まっちゃう病気も持ってるんだ。いつも魔力を抑えてたらいつか限界が来て爆発するみたいに放出されちゃうよ。それでなくても放出を抑えた後はいつもより多くの魔力が出て体が痛むんだから。もし爆発するみたいに放出されたらどうなるか。」
『その痛みの中で寝れるなんて頭おかしいわね…。ってことは昼間の魔力放出は夜に動くため?夜に動こうと思わなければ放出しなくていいの?』
「ううん。戦おうとしなくても放出は必要だよ…。たくさん放出しないと爆発しちゃうからね。僕は夜に戦うために、昼間は最大出力で魔力を放出してるから放出中は凄く痛むんだ。」
自分の手を開いたり閉じたりして体の調子を確かめる焔空。
『ふーーん。そういえばあんたの従者って、いつもこうやってあんたが寝てる間に食事を持ってきてくれてるわよね。これって前からそうなの?』
「え、どうだろ。どうなの?」
セレストに聞いてみる焔空だったが、頭の中の会話が聞こえていないので不思議そうな顔を向けるセレスト。
「何がでしょうか。」
「あっ、ごめん。この食事を作ってくれるのって、前から僕が寝てる間に作ってくれてたっけ?」
「いえ、以前は違いました。」
「そうなの?」
「はい。以前は焔空様が放出をしている間や、鍛錬の最中に食事を作り置きしておりました。」
「あ、そうだったんだ。確かに鍛錬の時にいなくなってることがあったね。放出中にいなくなってることには全然気が付かなかったけど。」
「放出の痛みからか気絶されることが多いですので。」
「…放出中の記憶がないときがあるのは気絶してたからなのか。でも、いつから今みたいに?」
「最近です。」
短くそう答えると、セレストは少しだけ言葉を続けた。
「以前は、焔空様がお休みになっている間、なるべく離れないようにしておりました。」
「うん。」
「ですが、今はランがおそばにいますので。離れてもいいと考え、寝ている間に作るようにしております。」
「あ…。」
その言葉に、焔空は少し驚いたような、それでいてくすぐったいような表情を浮かべた。
「そっか。ランがいるから、安心して離れられるようになったんだ。」
「はい。」
「…なんか、セレストがそんな風に考えてくれてたなんて、知らなかった。」
『別に、私がいるからってだけじゃないでしょ。』
ランが吐き捨てる。
『あんたの従者、あんたのことを夜はずっと見張ってたのよ。私が来て、少しは肩の荷が下りたって言った方があってるわよ。』
「…。」
ランの言葉を聞き改めてセレストの目を見る焔空。
「ありがとう、セレスト。いつも、俺のこと考えてくれて。」
「いえ。」
そっけない返答だったが、それに満足して放出を始めようとした時、一つの疑問が生まれた。
「…待って、前は昼間に厨房に行ってたってことだよね?」
「はい。」
「その時は誰にも何も言われなかったの?」
「はい。」
「…そうなんだ。」
少し驚いたような、不思議なような表情を浮かべた後、放出に向けて心を入れ替える焔空。だが心の奥には
(…僕がいない人扱いだから、セレストもそういう扱いなのかな?)
と考え、さらに
(ランが頭の中で話しかけてくるからセレストに変な目で見られちゃった…。)
とセレストからの目を思い出し、あまり集中できなかった。




