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勿怪の幸せ  作者: 小鳥遊 佑鷹


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6/10

第六話

翌朝。

朝食を終えた倫太郎は、向かいに座るそらへ言った。

「今日は帰ってもらうからな」

「……うん」

「ほんとに分かってる?」

「……分かってる」

昨日も似たような返事を聞いた気がする。

倫太郎は疑うようにそらを見た。

そらは何食わぬ顔で麦茶を飲んでいる。

「じゃあ、家まで送るから。ちゃんと案内して」

「はーい」

「今度こそだからな」

「はいはい」

「……なんか軽いなぁ」

倫太郎は深く息を吐いた。

昼前。

昨日と同じ自転車を引っ張り出し、そらを荷台へ乗せる。

「ちゃんと乗ってるな?」

「乗ってる」

「じゃあ行くぞ」

倫太郎はペダルを踏み込んだ。

海沿いの道をしばらく走る。

「次どっち?」

「右」

「右ね」

曲がる。

民家の並ぶ細い道を抜ける。

錆び付いたカーブミラーに自転車が写っては遠く消えていった。

しばらく進んだところで、また聞く。

「次は?」

「あ、左かな」

「かな?」

「左」

「今一瞬考えただろ」

「考えてない」

「いや、考えたって」

そらは答えない。

倫太郎は眉をひそめながらペダルを漕いだ。

さらに十分ほど走る。

「……なぁ」

「なに?」

「本当に家こっち?」

「こっちだよ」

「さっきから同じところ回ってない?」

「気のせいじゃない?」

「絶対帰る気ないだろ、お前」

「そんなことないよ」

声だけは妙に真面目だった。

なんか信用ならない。

それからも右へ左へと案内され、気づけば随分と時間が経っていた。

倫太郎が小さくため息をついた、そのときだった。

道の先に見覚えのある看板が見えた。

「……あれ」

自転車の速度を緩める。

色褪せた看板。

文字も所々剥がれ、店先には雑草が伸びている。

シャッターは下りきらず、端の方がわずかに浮いていた。

「ここ……」

子供の頃、何度も通った中古ショップだった。

新品のゲーム。

中古のゲーム。

攻略本。

釣り竿。

おもちゃ。

雑貨。

洋服。

店の奥には、古いゲーム筐体やちょっとした遊具まで置かれていた。

学校が終われば、友達と自転車でここまで来た。

財布の中に百円玉が何枚あるか、それだけで一日の予定が決まったような頃。

「ほんとに潰れたんだな」

相良から聞いてはいた。

けれど、実際に目の前にすると寂しかった。

倫太郎が店を眺めていると、背後から気配が消えた。

「……あれ?」

振り返る。

荷台にそらがいない。

「おい?」

見ると、そらは自転車から降り、店の前に立っていた。

半分開いたシャッターの隙間を覗き込んでいる。

「そら?」

返事はない。

そしてそのまま、身体を屈めて中へ入っていった。

「ちょ、おい!」

倫太郎は慌てて自転車を止める。

「勝手に入ったらマズイって!」

返事はなかった。

「なんなんだよ!あいつ!」

仕方なく倫太郎もシャッターをくぐった。

店の中は薄暗かった。

外から入る光が、埃の舞う空気を白く照らしている。

棚には何も置かれていない場所が多かったが、古い攻略本や空箱が所々に残されていた。

壁には色褪せたポスター。

値札のシールだけが残った棚。

奥には、動かなくなったゲーム筐体が何台も並んでいる。

「うわ……」

懐かしい匂いがした。

埃と、古い紙と、機械。

子供の頃、この店に入るといつもこんな匂いがした。

「そらー?」

声をかける。

返事はない。

「ったく、どこ行ったんだよ」

店の奥へ歩きながら、倫太郎は周囲を見回した。

そのとき。

ふと、昔の声が聞こえた気がした。


『おーい、倫太郎、そろそろ帰るぞー』

十二歳の倫太郎は、棚の前にしゃがみ込んでいた。

手には一本のゲームソフト。

パッケージを裏返し、そこに書かれた説明文をじっと読んでいる。

『そんなところで、なにしてるんだ?』

宗一郎が後ろから覗き込んだ。

『これ見てる』

『ゲームか』

『うん』

倫太郎はパッケージから目を離さない。

『そろそろ帰って夕飯にしよう』

『でも、これさ、友達がやっててさ、すごく面白いんだって』

宗一郎は腕を組み、しばらく息子の様子を眺めていた。

『今やってるゲームだってあるじゃないか』

倫太郎はようやく顔を上げる。

『……でも、欲しいんだもん』

『次はクリスマスまで待ちなさい』

『でも、もう少ししたらクリスマスだよ』

『……そうだな』

倫太郎は両手でソフトを抱えたまま、じっと父を見る。

宗一郎は困ったように眉を下げた。

横目で値札を見ながら、少し溜息をついた。

それから、仕方ないとでも言うように笑った。

『……一本だけだぞ』

『ほんと!?』

『一本だけだからな』

『え、本当に!?やった!』

帰り道。

倫太郎は買ってもらったゲームの入った袋を大事そうに抱えていた。

何度も中を覗いては、嬉しそうに笑う。

宗一郎がそんな息子を見下ろす。

『そんなに嬉しいか』

『うん!帰ったらすぐやる!』

『先に宿題して、お手伝いしたらだぞ』

『えー』

『えー、じゃない』

そう言いながら、宗一郎は微笑んだ。

そして、大きな手で倫太郎の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「そういえば」

倫太郎は足を止めた。

薄暗い店内。

あの頃とは何もかも違っている。

「ここでゲーム買ってもらったっけな」

誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。

少しだけ口元が緩む。


「……そら?」

思い出に浸っている場合ではない。

倫太郎は再び店の奥へ進んだ。

「おーい、そらー」

棚の向こうへ回る。

すると、奥の方にそらの姿が見えた。

古いゲーム筐体の前。

そらはしゃがみ込み、何かをじっと見つめていた。

「……いたいた」

倫太郎は近づく。

「おい、勝手に入るなって――」

その瞬間。

足元に転がっていた古いコードへ靴が引っかかった。

「うわっ」

身体が前へ傾く。

咄嗟に手を伸ばし、そらの肩へ手をついた。

「危な……」

そのときだった。

「……え?」

倫太郎は目を見開いた。

そらの目の前。

古いゲーム筐体の脇に、何かがいた。

小さな影。

輪郭はぼやけ、はっきりとは見えない。

けれど、確かにそこに何かがいる。

「……なんだ、これ?」

倫太郎が無意識にそらの肩から手を離した。

消えた。

「……え?」

目を凝らす。

何もいない。

なんとなく、もう一度、そらの肩へ手を置く。

現れた。

「……いる」

そらが倫太郎を横目で見た。

「……変態」

「いや、違う!」

思わず大声を上げる。

「今、見えたんだよ!」

「なにが?」

「お前が多分見てるやつ!」

倫太郎は肩から手を離す。

消える。

もう一度触る。

見える。

「ほら!やっぱり!」

「……やっぱり変態」

「だから話聞けって!」

そらは少しだけ呆れたような顔をした。

倫太郎はもう一度、ぼんやりと見える何かを見る。

「これ……昨日の風鈴のところにもいたのか?」

「うん、いたね」

「こんなのが?」

「見えるの?」

「お前に触ってると、ぼやっと」

そらは自分の肩に置かれた倫太郎の手を見る。

倫太郎は慌てて手を離した。

「あ、いや。変な意味じゃなくて」

「……ふーん」

そらがジト目で見ている。

「もうそれいいから」

そらの口元がほんの少し緩んだ。

倫太郎はため息をつく。

「……で、こいつ何て言ってるの?」

そらは再び小さな影を見る。

「……遊んでって」

「遊んで?」

「もう一回だけ」

そらの視線の先には、一台の古いゲーム筐体があった。

倫太郎もそれを見る。

「これ?」

「たぶん」

「こいつ、動くのかよ……」

筐体の画面は真っ暗だった。

側面を覗き込み、スイッチらしきものを探す。

「多分、これかな」

カチッ。

何も起こらない。

「まあ、そりゃそうだよな」

そう言った直後。

ブゥン――。

低い音が響いた。

倫太郎が目を丸くする。

画面に光が入る。

やがて、古びたスピーカーから電子音が流れ始めた。

「……マジかよ」

そらも画面を見つめている。

倫太郎は筐体の前に立つ。

レバー。

二つのボタン。

見覚えのある、昔ながらのゲームだった。

「なんか懐かしいな、こういうの」

倫太郎がレバーへ手を置く。

ゲームが始まる。

単純な横スクロールのアクションゲーム。

敵を避け、跳び、攻撃する。

「お、これ意外と難しいな」

そらが隣から画面を覗き込む。

「下手だね」

「久しぶりなんだから仕方ないだろ」

「また当たってる」

「分かってるよ!」

倫太郎は徐々に画面へ前のめりになっていった。

「よし、ここ……っ!」

敵を倒す。

「おっしゃ!」

思わず声が出た。

横を見ると、そらがこちらを見ていた。

「なに?」

「楽しそう」

「……まあな」

倫太郎は少しだけ照れたように画面へ目を戻した。

ほどなくして。

短い電子音とともに、画面に文字が表示された。

GAME OVER.

「……終わった」

倫太郎はレバーから手を離した。

そらを見る。

それから、少し迷った末に肩へ手を置く。

「……毎回いきなり触るのやめてくれない?」

「今はいいだろ」

ぼんやりと、小さな影が見える。

さっきまでとは違う。

小さく跳ねるようにして、どこか嬉しそうに見えた。

「……笑ってる?」

「うん」

そらが答える。

小さな影の輪郭が、ゆっくりと薄くなっていく。

そして。

消えた。

倫太郎は何もなくなった場所を見つめていた。

「……あ、消えた」

「うん」

昨日。

そらが同じことを言ったときは、何のことか分からなかった。

けれど今日は違う。

確かにそこには何かがいて。

確かに何かが消えた。

「……なんなんだろうな、あれ」

そらは答えなかった。

倫太郎も、それ以上は聞かなかった。


店を出る。

外へ出ると、日はほとんど落ちていた。

空にはわずかに青さが残っているものの、街灯にはすでに明かりが灯っている。

「え……もうこんな時間だったのかよ」

倫太郎はスマートフォンで時刻を確認した。

店の中にいる間、思っていた以上に時間が経っていたらしい。

自転車のところまで戻る。

そこで倫太郎は、そらを見る。

「……なぁ」

「なに?」

「今日、お前を家に帰すために出てきたんだけど」

「そういえば、そうだったね」

「そうだったね、じゃないよ」

そらは何も言わない。

倫太郎はしばらく睨むように見ていたが、やがて諦めた。

「……はぁ」

自転車を起こす。

「……帰るか」

「うん」

そらが荷台へ座った。

倫太郎はペダルへ足を乗せる。

「ちゃんと乗ってるな?」

「乗ってる」

「よし」

自転車がゆっくりと走り出す。

少しして、後ろからそらの声がした。

「……りんたろー」

「ん?」

「どこに帰るの?」

倫太郎は前を向いたまま答えた。

「……うちだよ、うち」

「そう」

「……お前の家じゃないからな」

そらが笑った気がした。

夜の海から吹く風を受けながら、古い自転車は潮見家へ向かって走っていった。

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