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勿怪の幸せ  作者: 小鳥遊 佑鷹


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第二話

「倫太郎」

背後から叔母に呼ばれ、倫太郎は振り返った。

「葬儀屋さんが来てるの。いろいろ決めないといけないから」

「……そうなんだ、分かった」

倫太郎はもう一度、母の位牌に軽く頭を下げて立ち上がった。

葬儀の日程。

通夜の時間。

寺への連絡。

誰に知らせるか。

祭壇をどうするか。

次から次へと話が進んでいく。

倫太郎は言われるがままに頷き、ときおり質問に答えた。

父親が死んだというのに、悲しむより先に決めなければならないことばかりだった。

母が亡くなったときも、きっと親父はこうしていたのだろう。

そう思ったが、口にはしなかった。

翌日の通夜から、その翌日の葬儀にかけて、潮見家には次々と人が訪れた。

「宗一郎さんには世話になったよ」

「親父さん本当に急だったなぁ」

「立派な人だったのにねぇ」

そのたび倫太郎は頭を下げた。

「生前は父がお世話になりました」

何度言ったのか、途中からもう分からなくなった。

皆の知る潮見宗一郎は、よく働き、面倒見がよく、島の人間から頼られていたらしい。

倫太郎は焼香に来る人々を眺めながら、少しだけ不思議な気分になった。

……立派な人、か。

自分の知っている父親は、頑固で、不器用で、すぐに怒鳴り散らかす男だった。

僧侶の読経が座敷に響く。

目を閉じると、なぜか高校時代の昼休みが浮かんだ。

弁当箱の蓋を開ける。

米の上に転がった卵焼き。

隅に押し潰された煮物。

形が崩れている鮭だったもの。

汁を吸って、妙な色になった白飯。

『なんだよ、これ』

帰宅してそう言った倫太郎に、宗一郎は眉をひそめた。

『弁当だ』

『それは見れば分かるよ』

『なら聞くな』

『いや、そうじゃなくてさ。もうちょっと綺麗に入れられるでしょ』

『持ってくのが雑なんだ、文句言うなら自分で作れ』

『そういうことじゃ、ないんだよ……』

あの頃は、ただ雑な親父だと思っていた。

毎朝、早く起きて作っていたことなど気にも留めなかった。

倫太郎は目を開けた。

読経はまだ続いている。

父の遺影は、ぶっきらぼうな顔で何も言わずこちらを見つめていた。


親族も帰り、葬儀屋との最後の確認も終わった頃には、外はすっかり暗くなっていた。

あれほど人のいた潮見家が、嘘のように静まり返る。

座敷にはまだ線香の匂いが残っていた。

倫太郎は二階へ上がり、昔使っていた部屋の戸を開けた。

「うわっ」

古い本棚。

色褪せた漫画。

押し入れの奥には、昔遊んでいたゲーム機まで残っている。

「まだあったのかよ」

思わず笑った。

そのとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。

画面には、今日の葬儀にも来ていた幼馴染――相良拓也の名前が表示されていた。

「もしもし」

『今日はお疲れ』

「ああ……来てくれてありがと」

『おう。……今は、家か?』

「いるよ」

『忙しいとは思うけどさ。少しだけ飲まねえか?別に、無理に今日じゃなくてもいいけどさ』

倫太郎は静かな部屋を見回した。

「……あぁ、そうだな、行くよ」


二人で入ったのは、港近くの小さな居酒屋だった。

昔話は、酒が進むほど次々と出てきた。

「ガキの頃、汗かきながらチャリで行ってたあの中古ショップ、潰れたの知ってるか?」

「あの港のとこ?」

「そう。確かもう十年近く前だな」

「マジかー」

「駄菓子屋も閉まったぞ」

「……え、あそこも?」

「あそこのばあちゃん亡くなったからなー息子は上京したってよ」

「そうだったか……」

倫太郎はグラスの中の氷を揺らした。

島を出た頃には、どれも当たり前にそこにあった。

なくなるなんて考えたこともなかった。

「そういえばさ、覚えてるか?あっこの山の神社」

「神社?」

「中学んとき肝試ししただろ。倫太郎、途中で半泣きになって逃げたやつ」

「いや、あれ逃げてねえよ」

「逃げたって」

「逃げてない」

「じゃあ今から行くか?」

「はぁ?」

「怖いの?」

「……誰が」

二人は顔を見合わせた。


酒の勢いとは恐ろしい。

三十五にもなって、男二人で夜の山道を歩いている。

「昔より暗くねえ?」

「お前がビビってるだけだろ」

「いや、マジで暗いって」

木々が風に揺れ、ざわざわと音を立てる。

その向こうから、低い波の音が聞こえていた。

やがて古びた鳥居が見えてくる。

「変わってねえな」

倫太郎が呟いた、そのときだった。

相良のスマートフォンが鳴った。

画面を見た相良の顔が引きつる。

「……ヤバイ、嫁だ」

倫太郎は吹き出した。

「早く出ろよ」

「おま、笑うなって」

電話に出た瞬間、静かな森に女の声が響いた。

『拓也、まだ飲んでんの!?』

「いや、もう帰る!今帰るから!」

『本当にもう、何時だと思ってんの!?』

「分かったって、ごめんって!」

相良が必死に謝っている横で、倫太郎は何気なく鳥居の先へ目を向けた。

「……」

誰かいる。

鳥居の向こう。

月明かりの差す石段のそばに、一人の若い女性が立っていた。

白に近い、淡い生成り色のワンピース。

亜麻色の長い髪が、夜風にわずかに揺れている。

月明かりの下でも分かるほど、色の白い女性だった。

そして、こちらを見つめる瞳だけが、澄んだ淡い緑色をしていた。

「悪い、倫太郎!」

相良の声に振り返る。

「俺帰る!また連絡するわ!」

「え、あ、ああ……」

相良は来た道を転げるような勢いで戻っていった。

再び静けさが戻る。

木々のざわめき。

遠くの波音。

倫太郎はもう一度、鳥居の向こうを見る。

その女性はまだそこにいた。

そして……。

二人の視線が重なった。

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