現実とつながる
午前二時十三分。
諏訪貴信は、パソコンの前から動けずにいた。
noteのトップページには、見慣れないランキングが表示されている。
妄執ランキング。
第一位、藤原時平。
第二位、菅原道真。
第三位、諏訪貴信。
その下には、四位、五位、六位と、名前の知らない人物が並んでいた。
だが、一つだけ共通点があった。
全員、すでに死んでいるはずの人物だった。
「なんなんだよ、これ……」
貴信が画面を閉じようとした瞬間、ランキングが更新された。
第三位の自分の名前が、赤く点滅する。
諏訪貴信の妄執度、78%。
その数字が、ゆっくりと上昇していく。
79%。
80%。
81%。
「やめろ!」
思わず叫んだ。
すると、画面にメッセージが現れた。
『あなたの妄執は、まだ未完成です。』
『対象となる人物を選択してください。』
その下に、三つの名前が表示された。
・自分を認めなかった者。
・自分を裏切った者。
・自分を忘れた者。
貴信は息をのんだ。
どれも、思い当たることがあった。
仕事で評価されなかったこと。
信じていた人との関係が変わってしまったこと。
自分が書いた文章が、誰にも読まれなかったこと。
小さな出来事だと思っていた。
いや、小さな出来事だと思い込もうとしていた。
心の奥には、まだ消えていない感情があった。
どうして自分では駄目なのか。
どうしてあの人は認められて、自分は認められないのか。
どうして、こちらの気持ちを分かってくれないのか。
そんな問いが、何度も頭の中を巡っていた。
「……ふざけるな」
貴信は画面から目をそらした。
「俺は、誰かを傷つけたいわけじゃない」
その瞬間、背後から声がした。
「本当にそうか?」
振り返る。
そこに立っていたのは、菅原道真だった。
しかし、以前とは様子が違っていた。
顔色は青白く、衣服には黒い染みのようなものが広がっている。
まるで、何かに侵食されているようだった。
「道真……!」
「時平の仕掛けたものが動き始めた」
「どうすれば止められる?」
道真は答えず、ランキングを見つめた。
「この仕組みは、人間の恨みを数値化している」
「妄執度ってやつか?」
「そうだ。人が恨みを抱き、その恨みを正当化し、さらに誰かに認めさせようとする。そのたびに数字が上がる」
「じゃあ、恨みを捨てればいいんだろ?」
道真は悲しそうに笑った。
「簡単に捨てられるなら、私は千年もここにいない」
貴信は言葉を失った。
「私は、時平を許せなかった。自分の正しさを証明したかった。死んだあとでさえ、私の怒りを誰かに分かってほしかった」
道真は自分の手を見た。
「その願いが、私を怨霊にしたのかもしれない」
「じゃあ、今からでも許せばいい」
「許すとは、何だ?」
道真が顔を上げた。
「受けた仕打ちをなかったことにするのか。相手の行いを正しいと認めるのか。それとも、もう相手のために自分の人生を使わないと決めることなのか」
貴信は答えられなかった。
道真は静かに続けた。
「私は、まだ分からない」
そのとき、パソコンから通知音が鳴った。
新しい記事が公開されたのだ。
作者は、藤原時平。
タイトルは、
『菅原道真が隠していた真実』
貴信が記事を開くより早く、道真が叫んだ。
「読むな!」
しかし、画面にはすでに本文が表示されていた。
『菅原道真は、被害者だった。
だが、彼は一度も語らなかった。
自分が権力を握っていたとき、何をしたのかを。』
貴信の指が止まった。
記事には、道真が朝廷で権力を持っていた時期の出来事が記されていた。
自分の政策に反対した者たち。
意見を聞き入れてもらえなかった者たち。
道真を恐れ、地位を失うことを心配していた者たち。
それぞれの立場から見た、道真の姿が書かれていた。
もちろん、時平の主張がすべて真実だとは限らない。
都合よく編集された文章かもしれない。
それでも、貴信の心には疑問が生まれていた。
「道真……あんたは、本当に何も悪くなかったのか?」
沈黙。
道真は、目を閉じた。
「私は……」
長い沈黙のあと、彼は答えた。
「私にも、間違いはあった」
その瞬間だった。
画面の妄執度が急上昇した。
菅原道真の妄執度、99%。
道真の身体が大きく揺れた。
黒い染みが全身に広がり、部屋の照明が一斉に消える。
「道真!」
「時平は……私に、過去を思い出させようとしている……」
道真の声が、別人のように低くなった。
「私が何をしたのか。何を奪ったのか。何を許せなかったのか……」
闇の中で、道真の目だけが赤く光った。
「そして、私が再び、時平を殺したいと思うように」
パソコンの画面が真っ赤に染まった。
『菅原道真、最終選抜進出。』
『妄執度、100%。』
道真が叫んだ。
その声は、部屋の窓を震わせるほどだった。
「時平ァァァッ!」
雷鳴が響いた。
窓の外には、雲一つない夜空が広がっている。
それなのに、東京の街に雷が落ちた。
一つ。
二つ。
三つ。
遠くでサイレンが鳴り始める。
貴信は、ただ立ち尽くしていた。
千年前の怨霊が、現代に蘇った。
そして、その怒りは再び暴走しようとしている。
そのとき、スマートフォンが震えた。
時平からのメッセージだった。
『諏訪貴信さん。』
『あなたは、彼を救いたいのですか?』
貴信は、震える指で返信した。
『そうだ。』
すぐに返事が来た。
『ならば、あなたの妄執を証明してください。』
『あなたが最も許せない人物の名前を、記事に書いてください。』
『その人物の名前を公開したとき、菅原道真は救われます。』
貴信は画面を見つめた。
「……何を言ってるんだ」
さらにメッセージが届いた。
『ただし、あなたが名前を書けば、その人物の妄執も目覚めます。』
『誰かを救うために、別の誰かを復讐者にする。』
『それが、この選抜のルールです。』
貴信はスマートフォンを握りしめた。
道真は苦しんでいる。
救いたい。
しかし、そのために別の誰かを犠牲にしていいのか。
そもそも、時平の言葉を信じていいのか。
答えは出なかった。
ただ、画面の入力欄には、すでに記事のタイトルが表示されていた。
『私が、どうしても許せない人。』
その下に、カーソルが点滅している。
貴信は、キーボードに手を置いた。
そして、初めて気づいた。
自分が恐れているのは、誰かを憎んでいることではなかった。
自分の中にある憎しみを、正義だと言い切れなくなることだった。
その瞬間、闇の中から道真の声が聞こえた。
「貴信……書くな」
貴信は顔を上げた。
「でも、あんたを救うには……」
「私を救うために、誰かを呪うな」
道真の声は、今にも消えそうだった。
「それでは、時平の思いどおりだ」
画面に、最後の通知が現れた。
『残り時間、10分。』
『記事が公開されなければ、菅原道真は完全な怨霊となります。』
『記事が公開されれば、あなたの選んだ人物が次の復讐者となります。』
二つの選択肢。
誰かを犠牲にして、道真を救う。
あるいは、道真を見捨てて、誰も選ばない。
貴信は、キーボードを見つめた。
残り時間が減っていく。
9分。
8分。
7分。
そのとき、画面に見覚えのない名前が浮かび上がった。
藤原時平ではない。菅原道真でもない。
そこに表示された名前は――
諏訪貴信。
そして、時平から最後のメッセージが届いた。
『あなたは、まだ気づいていない。』
『このゲームを始めたのは、私ではありません。』
『最初に、妄執を文章にしたのは――』
画面が暗転した。
次に現れた文字を見て、貴信は息を止めた。
『諏訪貴信さん。あなた自身です。』
その瞬間、貴信の記憶の奥底で、忘れていたはずの一つの出来事が蘇った。
彼が最初にnoteを書いた日。
そして、誰にも見せなかった、最初の一文。
それは、こんな言葉だった。
「いつか、俺を認めなかった人間を、全員見返してやる。」
午前二時二十三分。
妄執ランキングが更新された。
第一位、諏訪貴信。
妄執度――100%。
そして、画面の向こうで、誰かが笑った。




