菅原道真、蘇る
午前零時。
東京のあるマンションで、一人の男がパソコンに向かっていた。
名前は、諏訪貴信。
彼はnoteに文章を書いていた。
テーマは、怨念。
人間はなぜ、許せない相手をいつまでも忘れられないのか。
なぜ、復讐を諦められないのか。
なぜ、死んだ後でさえ、恨み続ける者がいるのか。
貴信はキーボードを叩いた。
「千年以上前にも、そんな人間がいた。」
菅原道真。
平安時代の学者であり、政治家。
政争によって大宰府へ左遷され、失意のうちに亡くなった人物。
その死後、都では異変が相次いだ。
落雷。
疫病。
要人たちの死。
人々は噂した。
道真の怨霊が、都を襲っているのではないか。
やがて道真は天神として祀られ、天満宮の祭神となった。
貴信は文章を読み返した。
「もし、道真が本当に恨みを捨てていなかったら?」
そのときだった。
パソコンの画面が、一瞬だけ暗くなった。
次の瞬間、見覚えのない通知が表示された。
「あなたは、私のことを書いているのですか。」
貴信は手を止めた。
「……誰だ?」
通知の送り主は表示されていない。
いたずらだろう。
そう思って、画面を閉じようとした。
しかし、続けてメッセージが届いた。
「私の無念を、知っていますか。」
貴信は苦笑した。
「菅原道真のつもりか?」
冗談半分で入力する。
すると、返信はすぐに届いた。
「私を大宰府へ追いやった者たちの名を、あなたは知っていますか。」
貴信の笑みが消えた。
画面には、歴史の教科書で見た名前が並び始めた。
藤原時平。
醍醐天皇。
そして、朝廷の人々。
最後に、見覚えのない名前が一つ。
諏訪貴信。
「……は?」
自分の名前だった。
その瞬間、部屋の照明が消えた。
パソコンだけが、青白く光っている。
画面に、長い文章が浮かび上がった。
「千年が過ぎた。」
「人々は私を神と呼ぶ。」
「学問の神。」
「受験の神。」
「願いを叶える神。」
「だが、誰も私の恨みを聞こうとはしなかった。」
貴信は椅子から立ち上がった。
窓の外で、雷が鳴った。
雨は降っていない。
それなのに、東京の空に稲妻が走った。
画面に新しい文章が現れる。
「私は、許されたのではない。」
「忘れられただけだ。」
貴信の背筋に冷たいものが走った。
そのとき、部屋の隅から声がした。
「お前は、書く者なのだろう。」
振り返る。
そこに、男が立っていた。
古びた装束。
長い髪。
痩せた顔。
そして、燃えるような目。
男は静かに貴信を見つめていた。
「ならば、書け。」
「私が何を奪われたのか。」
「私が誰を恨んだのか。」
「そして――」
男の顔が、ゆっくりと歪んだ。
「なぜ、千年経っても許せないのか。」
貴信は声を出せなかった。
男は一歩近づいた。
「私は菅原道真。」
「お前の文章を読んだ。」
貴信は震える声で尋ねた。
「……あなたは、本当に怨霊なのですか?」
道真は答えなかった。
代わりに、窓の外を指さした。
東京の街。
高層ビル。
光る看板。
眠らない都市。
そのすべての明かりが、一斉に消えた。
暗闇の中で、道真の声だけが響く。
「怨霊とは、何だと思う?」
貴信は答えられない。
「死者が蘇ることか。」
「雷を落とすことか。」
「人間を呪い殺すことか。」
道真は首を振った。
「違う。」
そして、貴信のパソコンを指さした。
「本当の怨霊とは――」
画面に、一行が表示された。
「誰かの心の中で、何度でも殺され続ける者だ。」
貴信は息を呑んだ。
道真は続けた。
「人々は私を神にした。」
「だが、神にすることで、私を人間ではなくした。」
「私が何を思い、何に傷つき、何を失ったのか。」
「そんなことは、誰も考えなくなった。」
道真の声が震えた。
「私は、ただの人間だった。」
「それなのに――」
彼の目から、一筋の涙が落ちた。
「私は、死んでからも役割を与えられた。」
学問の神。
雷神。
怨霊。
貴信は初めて気づいた。
この男は、復讐を求めているだけではない。
自分の人生を、誰かに理解してほしいのだ。
しかし、その理解の奥には、千年分の憎悪が渦巻いていた。
道真は貴信の肩に手を置いた。
氷のように冷たい手だった。
「お前に頼みがある。」
「……何ですか。」
「私の物語を書け。」
「歴史に残っていることだけではなく、私が誰にも語れなかったことを。」
貴信は戸惑った。
「でも、僕にはあなたの本当の気持ちはわかりません。」
道真は、ゆっくり笑った。
「そうだ。」
「わからぬからこそ、書くのだ。」
そして、最後に告げた。
「ただし、一つだけ約束しろ。」
「何を?」
道真の目が、鋭く光った。
「私を、善人にするな。」
その瞬間、雷鳴が轟いた。
パソコンの画面に、noteの新規記事作成画面が開いた。
タイトル欄には、すでに文字が入力されていた。
『菅原道真は、なぜ許せなかったのか』
本文欄には、一行だけ。
「私は、あいつらを許さない。」
貴信はキーボードから手を離した。
「……これは、あなたが書いたんですか?」
道真は窓の外を見つめた。
「いや。」
そして、振り返る。
「お前の中に、私がいるのだ。」
貴信のスマートフォンが震えた。
noteからの通知だった。
「あなたの記事が公開されました。」
貴信は叫んだ。
「まだ公開していない!」
だが、画面には、すでに読者数が表示されていた。
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そして、コメントが一件。
投稿者名――
藤原時平。
コメントの内容は、たった一言だった。
「まだ生きていたのか。」
道真が、初めて笑った。
千年の沈黙を破るような、不気味な笑いだった。
「そうか。」
「お前も、読んでいるのだな。」
画面の中で、コメントが更新された。
「次は、お前の番だ。菅原道真。」
貴信は道真を見た。
道真の表情から、笑みが消えていた。
彼は、ゆっくりと貴信の耳元に顔を寄せた。
「……始まったな。」
「何がです?」
道真は答えた。
「千年越しの復讐だ。」
そして、東京の空に、再び雷が落ちた。
今度は、一度ではなかった。
三度。
四度。
五度。
まるで、誰かが天に向かって、怒りを叩きつけているかのように。
その夜、noteに一つの記事が投稿された。
作者名は、菅原道真。
タイトルは――
『私は、まだ許していない。』
そして、その記事には、誰も押した覚えのない「スキ」が一つだけ付いていた。
投稿者名。
藤原時平。
千年の時を超えて、
最初の復讐が始まった。




