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NOTE  作者: 諏訪貴信


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35/43

年齢

黒田は、


『最終章 私が90歳まで生きたくない本当の理由』


というタイトルを見つめていた。


「……真琴は、今何歳なんだ?」


老人は答えない。


ただ、震えていた。


「知っているんですね。」


黒田が言った。


老人はゆっくり顔を上げる。


「……知らないほうがいい。」


「なぜ?」


「知れば、もう戻れない。」


黒田は笑った。


「もう、とっくに戻れないだろ。」


そして、


記事を開いた。


最初に表示されたのは、


一枚の写真だった。


若い真琴。


十年前の写真。


黒田は眉をひそめた。


「また、この写真……」


だが、


今回は違った。


写真の右下に、


小さな数字があった。


1996


黒田は息を呑む。


「……生まれ年?」


計算する。


2026年。


真琴は――


30歳。


黒田は呟いた。


「真琴は、三十歳……?」


画面に文章が表示された。


「そうです。」


「私は今、三十歳です。」


黒田は固まった。


「……じゃあ、十年前は二十歳?」


「そう。」


「私が最初の記事を書いたとき、私は二十歳でした。」


黒田は思い出す。


あの記事。


「私は、誰かに見つけてほしい。」


たった一つの「スキ」に、


泣いた少女。


それが――


真琴だった。


文章が続く。


「私は、二十歳のときに世界を信じていました。」


「三十歳になった今、世界を信じていません。」


黒田は画面から目を離せなかった。


そして、


次の文章。


「でも、一番怖いのは世界ではありません。」


「自分が、九十歳になることです。」


黒田は眉をひそめる。


「……なぜ?」


画面がしばらく止まった。


そして、


ゆっくり文字が現れた。


「私は、母を見てきました。」


写真が切り替わった。


一人の女性。


真琴の母親。


穏やかな顔をしている。


その隣に、


幼い真琴。


文章が続く。


「母は、私が二十七歳のときに認知症になりました。」


黒田は息を呑む。


「最初は、忘れ物でした。」


「次に、人の名前を忘れました。」


「その次に、私の名前を忘れました。」


写真が、


一枚ずつ増えていく。


病院。


介護施設。


空っぽの部屋。


薬。


時計。


そして、


一つの椅子。


誰も座っていない椅子。


「母は八十二歳でした。」


「まだ生きていました。」


「でも、母の中から『母だった人』が少しずつ消えていきました。」


黒田は黙って読んでいた。


「私は思った。」


『長生きすることは、本当に幸せなのか?』


その問いが、


画面いっぱいに表示された。


「90歳まで生きたくない。」


黒田は、


老人を見る。


「……あなたも?」


老人は黙っている。


真琴の文章が続く。


「だから、私は彼と出会った。」


黒田の顔が強張った。


「彼は言った。」


『死ぬことより、忘れられることのほうが怖い。』


「私は答えた。」


『私は、忘れることのほうが怖い。』


黒田の背筋に、


冷たいものが走った。


老人が初めて口を開く。


「そうだ。」


「彼女は私と同じだった。」


「だから私は、彼女を利用した。」


黒田が睨む。


「利用した?」


老人は頷く。


「彼女の恐怖を。」


「母親を失う恐怖。」


「自分も同じ未来になる恐怖。」


「九十歳まで生きてしまう恐怖。」


老人は目を伏せた。


「私は、それを呪いに変えた。」


黒田は言った。


「最低だな。」


老人は、


静かに笑った。


「そうだ。」


「だから私は黒幕なんだ。」


しかし、


記事の文章が突然変わった。


「違います。」


老人が顔を上げる。


「彼は黒幕ではありません。」


黒田は画面を見つめる。


「彼もまた、私を利用した。」


「私は彼を利用した。」


「黒田さんは、私たちを利用した。」


「そして――」


一行空白。


「読者は、私たち全員を利用した。」


黒田は理解できなかった。


「読者が……利用した?」


画面に、


一つの数字が表示される。


30


そして、


その数字が変わる。


31


32


33


年齢が、


進んでいく。


34


35


36


黒田が叫ぶ。


「止めろ!」


止まらない。


40


50


60


70


80


そして――


89


黒田は息を呑んだ。


最後に、


90


が表示された。


だが、


真琴の声が聞こえた。


「私は九十歳になった。」


黒田が振り返る。


そこに、


真琴が立っていた。


三十歳ではない。


九十歳の真琴。


白髪。


深い皺。


杖。


だが、


目だけは若い頃のままだった。


「……真琴?」


彼女は微笑んだ。


「はい。」


「私は九十歳になりました。」


黒田は震える。


「どういうことだ……?」


真琴は答える。


「これは未来です。」


老人が叫ぶ。


「見るな!」


真琴は老人を見る。


「あなたは、未来を見せることを恐れている。」


「違う!」


「九十歳になった私を。」


「見たくないんでしょう?」


老人は後ずさる。


真琴が一歩近づく。


「あなたは、私が九十歳まで生きたくないと言った理由を知りたかった。」


「でも――」


真琴は笑った。


「本当の理由は、別にあります。」


黒田が息を止める。


「本当の理由……?」


真琴は、


黒田の目をまっすぐ見た。


「私は――」


「九十歳まで生きたくないんじゃない。」


一拍。


「九十歳になった自分を、誰かに読まれるのが怖かったんです。」


老人が崩れ落ちた。


その瞬間、


すべてのモニターが一斉に消える。


そして、


黒田のスマートフォンに、


最後の通知が届いた。


「最終章を読み終えました。」


その下に、


新しい選択肢が一つ。


「次の人生を読む」


黒田は、


そのボタンを見つめる。


真琴が言った。


「黒田さん。」


「今度は、呪いじゃありません。」


「これは――」


「選択です。」


黒田はゆっくり、


指を伸ばした。


しかし、


ボタンを押す直前。


画面に、


見たことのない名前が表示された。


水城真琴


その下に、


年齢――


91歳


黒田の手が止まった。


「……九十歳を超えた?」


真琴は笑った。


「そう。」


「呪いは、終わったんです。」


そして、


彼女は静かに言った。


「だから――」


「ここからが、本当の話です。」


画面が暗くなる。


最後に、


一行だけ。


『呪いが終わったあと、人間は何を恐れるのか。』

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