永遠呪続
「読む」
そのボタンだけが、画面の中央に残っていた。
黒田は動けなかった。
押してはいけない。
そう理解している。
これまで何度も、同じ言葉を他人に言ってきた。
「押すな」
「読むな」
「見るな」
だが――
今になって、黒田は気づいた。
それ自体が罠だった。
禁止されるほど、人は見たくなる。
押すなと言われるほど、押したくなる。
読むなと言われるほど――
読む。
黒田は画面から目を逸らした。
「俺は、読まない」
その瞬間。
背後から声がした。
「本当に?」
黒田は振り返った。
誰もいない。
「……真琴?」
返事はない。
しかし、机の上に置かれていた古いノートパソコンが勝手に開いた。
画面には、一つの文章。
『あなたはもう読んでいる。』
黒田は息を呑んだ。
「……画面を見ただけだ」
新しい文章が表示される。
『見ることと読むことの違いを説明してください。』
黒田は答えられなかった。
次の瞬間。
施設の照明が全部消えた。
完全な暗闇。
そして――
どこからともなく、
ページをめくる音が聞こえた。
一枚。
また一枚。
パラ……
パラ……
パラ……
黒田は耳を塞いだ。
「やめろ……」
ページをめくる音が止まった。
静寂。
そして、
耳元で声がした。
「黒田さん。」
真琴だった。
「私、ずっと読んでいました」
黒田は振り返った。
誰もいない。
「あなたが作ったコードも」
「あなたが消した記録も」
「あなたが隠した私の名前も」
「全部。」
黒田の足元に、一枚の紙が落ちた。
拾い上げる。
そこには、十年前の実験記録が書かれていた。
しかし、一番下に見覚えのない文章がある。
実験開始日:十年前
実験終了日:未定
そして、
実験者:黒田
その下に――
被験者:黒田
黒田は紙を落とした。
「……違う」
さらに文字が浮かぶ。
第一段階 真琴
第二段階 黒田
第三段階 読者
「第三段階……?」
その瞬間、
施設の壁に設置された巨大モニターが点灯した。
世界地図。
無数の点が光っている。
東京。
大阪。
札幌。
ソウル。
ニューヨーク。
ロンドン。
パリ。
そして、
山奥。
海上。
地下。
すべての場所に点がある。
画面の中央に表示された。
感染対象:読者
黒田は呟いた。
「感染……?」
真琴の声が聞こえた。
「違います。」
「これは感染じゃない。」
「あなたたちは、ずっと勘違いしていた。」
モニターの地図が消える。
代わりに、一つの文章。
『呪いは、人から人へ移るものではない。』
黒田が画面を見つめる。
続きが表示される。
『人が、呪いを必要とするようになる。』
黒田の背筋が凍った。
「必要……?」
その瞬間、
スマートフォンが鳴った。
着信。
表示された名前は――
水城真琴
黒田はしばらく動かなかった。
やがて、
震える手で通話ボタンを押す。
「……真琴」
沈黙。
そして、
小さな声。
「黒田さん。」
「どこにいる?」
「まだ探してるんですね。」
「答えてくれ!」
真琴は笑った。
「私は、ずっとあなたの近くにいます。」
黒田は周囲を見回した。
「どこだ?」
「あなたが毎日見ているところ。」
「……何?」
「画面です。」
通話が切れた。
同時に、
黒田の目の前のモニターに、
一枚の写真が表示された。
そこには、
十年前の真琴が写っていた。
その隣には――
若い黒田。
二人は並んで笑っている。
黒田には、
その写真を撮った記憶がない。
写真の下に、
日付が表示された。
2036年9月23日
黒田は凍りついた。
「……未来?」
現在は、
2026年。
なのに写真の日付は、
十年後。
そして真琴の顔は、
十年前とまったく変わっていなかった。
黒田は画面に近づいた。
写真の中の真琴が、
ゆっくりこちらを見た。
そして、
口を動かした。
声は聞こえない。
だが、
黒田には読めた。
――
「あと十年。」
その瞬間、
すべての画面が真っ黒になった。
中央に、
たった一つの数字が表示される。
3650
カウントダウンが始まった。
3649
3648
3647
黒田は震えながら呟いた。
「十年……?」
すると、
最後の文字が表示された。
「次の実験まで、あと3650日。」
そして、
その下に小さく、
もう一つ。
「被験者は、あなたが選ぶ。」
黒田の手元に、
再び「読む」ボタンが現れた。
今度は、
その下にもう一つボタンがあった。
「選ぶ」
黒田は画面を見つめた。
その瞬間、
真琴の声がした。
「黒田さん。」
「今度は――」
「あなたが、読者を作る番です。」




