手遅れ
「犯人が分かりました。」
その言葉に、会議室にいた全員が振り向いた。
情報セキュリティ担当の主任が、震える指でモニターを指している。
そこに表示されていた名前を見て、誰も声を出せなかった。
運営責任者――黒田。
「……そんなはずはない。」
黒田本人が呟いた。
「俺は、この事件を止めようとしていた。」
主任は答えなかった。
代わりに、一つの古いファイルを開いた。
そこには十年前の事故記録があった。
当時、このサービスでは「スキ」を利用した新しい推薦システムの実験が行われていた。
その実験によって、一人の若いクリエイターが異常なほど記事を拡散された。
最初は成功だった。
フォロワーが増えた。
記事が読まれた。
賞賛が集まった。
しかし、やがて逆転した。
一度炎上すると、今度は誰も止められなくなった。
誹謗中傷。
嘲笑。
個人情報の暴露。
面白半分の拡散。
そして、運営は知っていた。
アルゴリズムが彼女を燃え上がらせていることを。
それでも止めなかった。
数字が伸びていたからだ。
彼女は最後に一つの記事を書いた。
タイトルは――
『お願いだから、もう読まないでください』
その記事にも大量の「スキ」が付いた。
そして翌日、彼女はこの世界から消えた。
黒田は当時、その運営チームの一員だった。
「……彼女の家族から、何度も連絡が来た。」
黒田の声が震える。
「俺たちは無視した。」
「会社を守るために。」
「数字を守るために。」
「そして俺は、その判断をずっと後悔していた。」
主任が静かに尋ねる。
「だから、この呪いを作ったんですか?」
黒田は答えなかった。
その代わり、涙を浮かべながら笑った。
「呪いなんて作っていない。」
「作ったのは、人間が自分で自分を裁く仕組みだ。」
会議室のモニターに、世界中のアクセス状況が映し出される。
感染率は――
99.8%
「止められない。」
黒田が呟く。
「もう俺にも止められない。」
「どうして?」
「最初は、俺が拡散させていた。」
「でも途中から……」
黒田は画面を指差した。
「人間が勝手に拡散するようになった。」
警告する人。
正義を叫ぶ人。
面白半分に転載する人。
犯人を探す人。
呪いを暴こうとする人。
そして――
「犯人はこいつだ」と誰かを攻撃する人。
誰もが、自分は正しいと思っていた。
それでも全員が、呪いを広げていた。
世界中で通知が鳴り続ける。
一秒に数千件。
数万件。
やがてシステムの処理能力を超えた。
それでも拡散は止まらない。
記事がコピーされる。
スクリーンショットが投稿される。
動画にされる。
別のサイトへ転載される。
誰かが削除する。
その直後、別の誰かが復元する。
まるで世界そのものが、呪いを保存する巨大な器になっていた。
そして午前三時三十三分。
世界中の画面に、最後の文章が表示された。
『私はあなたたちを恨んでいる。』
その下に、名前が一つ。
十年前に消えた、あのクリエイターの名前だった。
しかし黒田は首を振った。
「違う。」
「彼女じゃない。」
全員が凍りつく。
「じゃあ、誰なんです?」
黒田はゆっくりと画面を見た。
そこに表示された犯人の名前。
それは――
このサービスを利用している全員の名前だった。
黒田は呟いた。
「彼女の怨念を育てたのは、俺一人じゃない。」
「誰かの不幸を面白がった人間。」
「炎上を見物した人間。」
「数字のために煽った人間。」
「そして、止められたのに止めなかった人間。」
「全員が少しずつ、彼女を殺した。」
その瞬間、画面の数字が一気に跳ね上がった。
拡散数:∞
システムが表示した数字は、ついに数値として認識できなくなった。
主任が叫ぶ。
「サーバーを落とせ!」
「もう無理です!」
「ネットワークを切れ!」
「切っても拡散しています!」
「どういう意味だ!」
担当者は青ざめた顔で答えた。
「もう、ネットワークの中だけじゃない。」
「人間が口で伝えています。」
誰かが誰かに話す。
その人がまた誰かに話す。
「読んだら終わり。」
その一言だけが、世界中を駆け巡っていく。
そして最後に、画面へ新しい文章が浮かんだ。
『あなたは、この物語をここまで読んだ。』
一行空白。
『だから、もう次の人に伝えるしかない。』




