世界に呪詛を放つ
午前零時。
呪いのアカウントから、一本の記事が公開された。
タイトルはなかった。
本文も、最初の数行までは空白だった。
ただ、午前零時一分になった瞬間、世界中の画面に同じ言葉が浮かび上がった。
『肥え太った豚どもよ。』
日本だけではなかった。
アメリカ。
韓国。
フランス。
ブラジル。
インド。
世界中のSNSに、同じ文章が同時に現れた。
誰かが投稿したわけではない。
誰かが共有したわけでもない。
それぞれの国の言葉に、自動的に翻訳されている。
そして、その下に一文が追加された。
『読んだら終わり。』
最初、人々は笑った。
悪質なハッキングだ。
新しいネットミームだ。
誰かが仕掛けた壮大な悪ふざけだ。
そう思った。
しかし、記事を読んだ者たちの端末に、次々と異変が起こった。
写真フォルダに見覚えのない画像が一枚。
自分の部屋。
自分の職場。
自分が眠っている姿。
そして、その写真には必ず一つの文字が書かれていた。
『見ている。』
恐怖が世界中へ広がっていく。
ニュース番組が報道を始める。
「現在、世界規模のサイバー攻撃が発生しています――」
そのニュース映像にも、突然、文字が割り込んだ。
『あなたも読んだ。』
放送は途切れた。
次の瞬間、世界中の画面が同じ映像に切り替わる。
暗い部屋。
椅子に座った一人の男。
顔は見えない。
男は静かに語り始めた。
「これは呪いではありません。」
「神でも、悪魔でもない。」
「私たちが作ったのは、人間が人間を恐れるための仕組みです。」
画面の背後に、膨大な数の名前が流れていく。
「あなたたちは、誰かを疑う。」
「誰かを憎む。」
「誰かの失敗を喜ぶ。」
「そして、その感情を匿名という仮面の下から投げつける。」
男は笑った。
「私たちは、それを集めただけです。」
画面が真っ黒になる。
最後に一行だけが表示された。
『世界中の悪意を、一つに集めました。』
そして――
『今から、それを返します。』
午前零時三十三分。
世界中で、一斉に通知音が鳴った。
誰もがスマートフォンを見る。
そこには、それぞれ違う名前が表示されていた。
自分が過去に憎んだ人。
傷つけた人。
妬んだ人。
見下した人。
忘れたと思っていた人。
その名前の下には、同じ文章。
『あなたが送った悪意を、覚えています。』
そして最後に――
『次は、あなたが受け取る番です。』
世界に放たれた呪詛は、誰か一人を殺すためのものではなかった。
人間同士を疑わせるためのものだった。
そして運営本部では、主任が震える手で最後のログを確認していた。
世界中から集まったアクセス数。
7,999,999,999
そして、その数字の下に小さく表示された文字。
『あと一人。』
主任は画面を見つめた。
その瞬間、自分のスマートフォンが鳴った。
画面には――
『世界で最後にこの記事を読んだのは、あなたです。』
主任は、ゆっくりと顔を上げた。
部屋には、誰もいなかった。




