逃げられないよ
通知が届いた。
これまで何度も見てきた、あの通知だった。
「あなたの記事にスキがつきました。」
けれど、今回は違った。
数字が「375」から「376」へ変わっていない。
代わりに、『夏の匂い』そのものが静かに消え始めていた。
一行。
また一行。
千年間に集められた言葉が、画面の中から光の粒になって消えていく。
「終わるのか……?」
僕は呟いた。
すると、画面に最後の文章が現れた。
『言葉は、所有するものではない。』
『誰かに渡った瞬間、初めて生きる。』
僕は千年前の言霊師が残した呪いを思い出した。
彼は言葉を保存するために、呪いを作った。
けれど千年の間に、目的は逆転していた。
言葉を守るはずだった記事が、言葉を閉じ込める牢獄になっていたのだ。
だから僕は、管理人として最後の文章を書いた。
誰かの記憶を奪うためではない。
誰かを管理するためでもない。
ただ、千年間眠っていた言葉を、もう一度世界へ返すために。
キーボードを叩く。
最初の一文字。
次の一文字。
文章が画面に現れるたび、『夏の匂い』から一つずつ文章が消えていった。
そして最後に、たった一つの段落だけが残った。
それは、千年前の言霊師が最初に書いた言葉だった。
――「私を焼いても、言葉は焼けぬ。」
僕はその文章を削除しなかった。
代わりに、その下へ続きを書いた。
――「だから、もう閉じ込めない。」
画面が白く輝いた。
その瞬間、世界中で何かが起きた。
忘れていた日記を突然思い出した人。
何年も放置していたブログを開いた人。
書きかけの小説を再び書き始めた人。
誰にも送れなかった手紙を書いた人。
失われたはずの言葉が、それぞれの持ち主のもとへ戻っていった。
そして、『夏の匂い』は消えた。
完全に。
僕のアカウントからも。
検索結果からも。
ネットのどこからも。
ただ一つだけ残ったものがある。
僕自身の文章だ。
それまで何を書いても誰かの言葉を借りているような気がしていた。
でも今は違う。
拙くてもいい。
間違っていてもいい。
誰にも読まれなくてもいい。
自分の言葉で書けばいい。
翌朝。
僕は久しぶりに新しい記事を投稿した。
タイトルは、
『夏の終わり』
投稿して数分後、一つだけ「スキ」がついた。
僕は少し笑った。
もう、怖くなかった。
千年の呪いは終わった。
そう思った。
――その日の夜。
見知らぬアカウントから、一件のコメントが届いた。
「その記事にスキをしたら絶対にいけないんだって。」
僕は画面を見つめた。
そして、ふと気づいた。
コメントの投稿日時は――
1026年8月21日。
千年前の日付だった。




