妄執〈怨霊〉
男はんは、母親の顔を思い出せへんまま、画面を見つめておりました。
数字は、まだ増え続けております。
一万。
三万。
十万。
けれど、もう嬉しゅうもなんともおへん。
胸の奥が、妙に寒い。
「なぁ……あんさん。」
白い着物の女はんが、静かに言いました。
「妄執いうもんはな、何も欲しいもんを手に入れることやおへん。」
女はんの顔が、少しずつ崩れていきます。
「失うても、まだ欲しがることどす。」
その瞬間――
ごろごろごろ……。
遠くで雷が鳴りました。
部屋の明かりが消えます。
真っ暗闇の中、画面だけが青白く光っております。
そこに、一文字ずつ新しい言葉が浮かびました。
――怨。
――念。
――菅。
――原。
――道。
――真。
男はんの背筋が凍りました。
「……菅原道真?」
その名を口にした途端、雷鳴が轟きました。
ばりばりばりっ。
窓ガラスが震えます。
画面が真っ白になり、その中央に、ひとりの男の姿が現れました。
束帯をまとい、長い髪を垂らし、こちらを睨んでいる。
その顔には、怒りがございました。
けれど、それ以上に深いものがあった。
――無念。
「わしもな。」
画面の中の男が、ゆっくり口を開きました。
「かつて、己の才を信じた。」
雷が落ちました。
京都の夜空が一瞬、昼のように明るうなります。
「人に認められたいと思うた。」
「正しきことをしておれば、いつか報われると思うた。」
道真の目から、黒い涙が一筋流れました。
「されど、人は裏切る。」
男は息を呑みます。
「人は妬む。恐れる。そして、自分より優れた者を地の底へ落とす。」
画面の向こうから、道真の手が伸びてきました。
「わしは死んでも、忘れられなんだ。」
その手が、画面を突き破ります。
「怨みが、わしを生かした。」
男は逃げようとしました。
けれど足が動きまへん。
「そして、あんさんも同じどす。」
「違う……!」
「何が違います?」
道真が笑いました。
「認められたい。」
「忘れられたくない。」
「誰よりも上へ行きたい。」
「そして、自分を見なかった者を、いつまでも許せへん。」
一つひとつの言葉が、男の胸へ突き刺さります。
そのとき、男は初めて気づきました。
自分が追いかけていた数字は、名声やなかった。
復讐やったのです。
自分を認めなかった誰かに、
――「見ろ」と言うための数字やった。
道真の姿が、さらに大きくなる。
「妄執とは、過去を手放せぬ心。」
雷鳴。
「怨念とは、過去に自分を縛りつける鎖。」
雷鳴。
「そして怨霊とは――」
道真が、男を見据えました。
「その鎖を、他人にも巻きつける者どす。」
男の画面に、最後の数字が表示されました。
0。
それを見た瞬間、男は笑いました。
「……ゼロ?」
道真も笑います。
「そうどす。」
そして、京都の夜空を覆うほどの雷が落ちました。
「ここからが、ほんまの始まりどすえ。」




