Act.41 人は般若になれるらしい
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やってしまったと思いながらリナリーを見れば、とても剣呑な表情で、薬指をまじまじと見ている。いや、正確にはそこに刻まれた指輪のような歯型だが。
「…ねえ、ルーシー?」
「う、あ、はい…。」
「これ、なあに?今朝はこんなのなかったと思うんだけれど。私の気のせいかしら?」
「そ、そうね、気のせいじゃないかしら?」
「あら、そう?なら…いいわけないでしょうが!!」
淑女が般若に変化してしまった。嘆かわしや。
などと現実逃避をしていたら、般若はぎりぎりと歯噛みをしながらじりじりと近寄ってきた。気迫に押されて数歩下がると、地を這うような声が聞こえてきた。
「ルーシーぃー?一体どういう事か、説明してもらおうじゃない…?」
「やっ、その、リナリー、落ち着い」
「落ち着いてられる訳ないでしょ!!何その指輪みたいな跡は!しかも左手の薬指?!馬鹿にしてんのあのド腐れ詐欺師!!」
何かが爆発したらしいリナリーは、般若から夜叉か羅刹にでも更に進化しようとしている。最早貴族令嬢の面影は欠片も残されていない。
目の前の元貴族令嬢は、だんだんと地団駄を踏みながらも私の左手を離してはくれない。
「はっ!ちょっとルーシー!またなんか変な契約でもさせられてないでしょうね?!」
「またって…大丈夫だよ、ちゃんと拒否したから。」
「拒否したってことはやっぱり迫られてんじゃん!!ほんっと油断も隙もあったもんじゃないわ、あの下衆野郎!!私とルーシーは前世からの運命だってそろそろわからせてやるわ!!」
「り、リナリー、一応ここ学園内だし、誰が何処で聞いてるかわからないから声のトーン抑えて…。」
「抑えて?抑えられる訳ないでしょ、馬鹿なの?!」
「えー…もうそれ八つ当たりじゃん…。」
ひとしきり暴言を吐き並べた後、ようやく多少落ち着いたらしいリナリーは、肩で息をしながら、それでも尚こちらを睨み付けた。
「それで?」
「え?何?」
「どういう経緯でこんな跡が付けられるような流れになったわけ?まさかいきなり現れて噛まれて終わりな訳はないでしょ?」
「あー…。」
こうなってしまっては話さないと納得はしてくれないだろう。仕方ない。
私はなるべく大まかに事の流れを話した。話す最中に何度もリナリーが奇声を上げた事はとりあえず聞かなかった事にしておこうとは思ってる。
「そういう訳で、誓約書の書き換えを了承したの。」
「あー…くっそ腹立つ。」
「まあまあ…一応実害はあんまりなかったんだし…。」
「あるよ!充分!!見なさいこの傷!」
言うと、リナリーは魔力を手に集めて薬指に宛がった。が、傷口から何か黒いモヤのようなものが出て、その傷にリナリーの魔力が届かないのだ。
恐らくは、例の毒のせいだろう。お陰でこの傷は、リナリーですら治せないらしい。
「解呪とか、浄化とか、何しても駄目。届かないし、治せない。」
「…なんで…。」
「多分これ、呪いとか穢れじゃなくて、ルーシーの精神に関わってるもんだと思う。」
「精神?どういう事?」
リナリー曰く。
呪いや穢れは聖魔法で消せないなんてものはないらしい。どんなに強力でも、時間を掛ければ消せるとわかるというのだ。
だが、この傷はそうじゃない。届かないとわかってしまうらしい。
リナリーが言うには、その薬はどうやら相手の魔力と結びつくものが入っていて、特殊な薬液か、またはこの傷を付けた相手を心底拒絶するしか、それを断ち切る事は不可能そうだと言うことだった。
逆に、この傷に対して思い入れや、付けた者に対して気持ちが少しでもあれば、私自身の魔力が妨害して、傷を治させないらしい。
つまり、この傷を治すには、ザック様に対して今の感情を切り捨てるしかないということで…私には到底不可能な事だった。
「え、この痛いの…治んないの?」
「無理ね。ルーシーがルーシーである以上は。」
「えー!ずっと痛いのとかやだよ!」
「ならなんとかしてザッカリーから薬奪い取りなさい。」
「余計無理じゃん!」
しっし、と手を払うリナリーになんとか追いすがり、必死で言い募るも、どうやら本当に手立てがないようで、リナリーは盛大な溜息を零した。
「大体、その毒、拷問なんかでほいほいと使えるようなもんじゃないと思うけど。私が習ったどの毒にも当てはまらないし、最早国家クラスでしか使えないような特殊なもんだと思うわよ。」
「…え、何それ。あれそんな高価なもんなの?」
「人の魔力に依存する毒なんて、使える人種が限られてる上に、使われた本人の魔力がゴミみたいなもんなら意味もないもの。汎用性のない毒なんて、作るだけ無駄じゃない?」
「確かに…え、何、じゃあそんなオーダーメイドの特注品みたいな毒使われたの?何の為に?」
「…最初の条件、忘れてんじゃないでしょうね?」
半目になったリナリーは、腕を組んでこちらを非難するように見遣る。
最初の条件、とは、ザック様に魔物の殲滅を頼んだ時に出した条件の事だろう。勿論忘れる訳がないが…それが一体この傷となんの関係が…関係……あああああああああ!!
「まっ、まさか…ザック様…!」
「そういう事でしょうね。王家と貴族を敵に回す覚悟がおありかしら?ローズシェット公爵令嬢様?」
「だ、駄目、まだ絶対駄目!今そんなことしたら、誰も救われないし、私が殺されるだけじゃん!」
「ならこのエリオットが終わるまでに、ザッカリーから死ぬ気で薬を奪い取りなさい。そうしたらあとは私が治してあげるから。」
ぴしゃりと言い切ったリナリーの背後に獅子が見える…怖い…。
だけど仕方ない。私の未来の為にもここで諦めていてはバッドエンドまっしぐらなのだ。それはもう猫も引くレベルでまっしぐら。
なんとか己を奮い立たせて、ザック様から薬を奪い取る覚悟を決めた時、不意に木陰で物音がした。
合図の金糸雀かとそちらを見れば、現れたのは予想外過ぎる人物だった。
「えっ…ハリー…?!」
「な、何故、貴方がここに?」
酷く曖昧な表情を浮かべ、申し訳なさげにこちらに歩み寄ってきたハリーは、小さく「ごめん」と謝ると、ゆっくり私達を見ながら口を開いた。
「話、全部聞いちゃった。」
「っは、ハリー!あのね、聞いて!今のはね?」
「いや、大丈夫。でも驚いた。まさか黒薔薇の君だけじゃなく、リナリーまで転生者だったなんて。」
「…へ?」
今この男は、なんと言った?転生者?そう言った?
…なんで、ハリーの口からそんな言葉が?
いや、理由はわかっている。私もリナリーも、受け入れ難い事実なだけだ。
そっとリナリーを窺い見れば、リナリーも酷く困惑した顔で私とハリーを見比べていた。どうすればいいのだと、顔にはっきりと書いてある。
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