Act.40 それは本当に呪いのよう
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…あれ?今ザック様はなんと言った?
その証を御身に…その、証……証?!!
私が手を引こうとしたのと、ザック様が噛んだのは、ほぼ同時だった。
「いっ…!」
痛い。
最初の感覚はそれだった。
次いで来たのは、指にかかる生温かい息遣いと、指先に伝わるぬるり、ざらりとした感触。
あまりの痛みに涙目でザック様を見れば、嗜虐的な笑みを浮かべながら、ゆっくり角度を変えて、また私の薬指に噛み付いた。
「いたっ、痛い、痛いです!離して!」
「なんだ?証を受けてくれるって言ったのはお前だろう?なあ?ルーシー。」
言いながらもまた角度を変えて噛み付く。その度にぎりぎりと鈍くも鋭い痛みが襲う。
引き抜きたくても、さっきまであんなに繊細に触れてくれていたのは何処へやら、がっちりと手首を掴まれ、押しても引いてもびくともしないのだ。
そうこうしている内に満足したのか、見せつけるように噛んでいた指をゆっくりと舐めると、ようやく私の手は解放された。
すぐに庇うように右手で手を覆い、体へ寄せる。噛まれた所を見れば、血が滲んでいるものの、それが流れ出すほどではなさそうだ。
ほっとしたのも束の間、よく見ればそれは、指輪のように跡が残っている。
左手の薬指。
愛し合った男女の誓いの証を付けるはずのその場所には、呪われたように赤黒い跡がはっきりと浮かんでいて。
愕然として見れば、ザック様は事も無げに立ち上がり、ちろりと紅いものが付いた舌先を覗かせた。
「どうして、こんな…。」
「その場所は、運命なんていう下らねえもんの枷を嵌める場所だろう。なら…呪いの枷には…それが一番似合うだろ?」
「なん、で…。」
「ああ、ついでに言っておくが、治れば終わりだと思うなよ?その傷は、治らねえからな?」
獲物を嬲る猛獣のように、下卑た笑みを浮かべて理解不能な事を宣うこの男は、本当に定めた獲物を逃すつもりはないらしい。
「治ら、ない?」
「さっき俺が飲んだ瓶の中身。なんだと思う?」
「…まさか、毒?」
「まあ、概ね正解だな。あれは特殊な毒でな…傷口に付ければ、その傷を治さず、ただ痛みだけを与え続ける…拷問用だ。」
なんということだ。
確かに先程からじくじくと疼くような痛みがあるが、怪我をした直後ならこんなものだろうと思っていた。だが、それはどうやら勘違いのようで。
「なんで、そんな毒を付けたんですか?!」
「痛みは記憶だ。何よりも鮮烈に、人の心に刻まれる。」
「っ…こんな、事をされたら、人前で手を見せられないじゃない!」
「見せなきゃいい。」
近付いてくるザック様を、なんとか押し止めようと伸ばした手はあっさりと捕らえられ、するりと指を絡められる。その行為が殊更私を逃がすものかと言っているようで、腰を抱き寄せられてしまえば、傍から見れば完全な恋仲の男女の様相が出来上がってしまった。
「俺に堕ちて来れば、その痛みは消してやる。こんな指一つじゃない、その身体にも心にも、すべてに証を残してやるよ。恥じる必要なんてねえ。そうなれば、お前を見るのも、お前が見るのも…俺だけだ。」
痛みのせいで意識ははっきりとしてるのに、何故この人に見つめられたら動けなくなるのだろう。
嗚呼、本当に呪いのようだ。
左手の薬指がじくじくと疼いてやまない。
絡められた右手も、引き寄せられた腰も、ぴたりとくっ付いた体も、全身が熱せられたように熱くてたまらない。
また香を撒いたのだろうか?いや、違う。そんな香りなんてしていない。
私は平常のはずだ。なのに。
言葉を忘れたように、唇が動かない。
「さあ、ルーシー…俺のルーシー。答えろ。お前は、誰のものか。」
「…、…。」
「どうした?簡単だろう?俺の名を呼べば、それでいい。」
「…っ…わた、くし、は…っルシ、ル…フォン、ローズシェット、ですわ。」
「…何?」
「ローズシェット公爵令嬢にして、黒薔薇姫。わ、たくしは…誰のものでもありませんわ!」
ぶわりと自身の周りに影の盾を展開させれば、異物として弾かれたザック様は、軽い舌打ちと共に、ひらりと数メートル先に着地した。
我ながら、なんとかあの呪縛を解いた事を褒めたい。
あそこで頷いていたら、私は今ここにいない。恐らくザック様はすぐに私を連れて、この場から消えていただろう。
勿論、私を弄ぶ為、自分の檻に繋ぐ為に。
いくら最推しでも、最後に殺される未来しかないエンディングはお断りだ。私だってもうちょっと希望がほしい。その為に頑張っているのだから。
なんとか黒薔薇姫として生きてきた心を総動員してザック様を拒絶したが、本当に危なかった。もうちょっとでザック様を呼びかけた。正直その方が楽なんじゃないかと思ってしまった。
だけど、警告のように薬指が痛んだお陰で、それは違うと思えたのだから、あの毒にも多少は感謝をしておこうと思う。
「…はあ、興醒めだ。もう少しだと思ったんだがなあ?」
近付く気配のないザック様に、盾を霧散させて魔法を解除する。
相変わらず左手の薬指はじくじくと痛むが、今はそんな事に構っていられない。
「お生憎様…私は未来でも笑っていたいんです。」
「俺が嗤う未来は不満か?」
「ザック様だけが愉しい未来は、すぐに終わるんでしょう?」
私がそう言えば、少し思案して見せたザック様が「終わらない愉しみなんぞねえだろう」と溜息を吐いた。
「まあいい、お前も、もう少しで堕ちて来そうだしな。」
「どうですかね、しばらくその予定はないんですけど。」
「生憎と俺の予感は外れた事はなくてな。楽しみにしておけ。」
「命の危険を楽しめるような趣味は持ってません。」
そう私が言えば、可笑しそうに笑ってから「そろそろ仕事の時間だな」と言って、くるりと踵を返した。
言われて時計を取り出せば、私がここに辿り着いてから、既に三十分は経過している。そろそろリナリーも来ているはずだ。入口の方へ向かわねばならない。
私達の仕事はもうない。後はザック様の仕事だ。
「リナリーと共に、入口で待ってます。」
「終わったら金糸雀を遣る。それが合図だ。」
そう言い残して、ザック様は森の奥へ消えていった。
深呼吸して息を整え、火照りを冷ましながら、私もまた踵を返し、入口へと戻った。
森の入口へ着くと、既に見知った顔が待っていた。
「ルーシー!どうなったの?森の中の人は?!」
リナリーは私に気が付くと、走り寄ってきてすぐにそう問う。
どうしたものか、先程の事は言った方がいいのだろうか。
決めかねながらも、とりあえずザック様がすべて何とかしてくれる旨を伝えると、リナリーはさっと眉を顰めた。
「…なんで急にそんな事になったの?」
「え、いや…色々、あって?」
「色々って何。」
「えーと…あの、ほら、誓約書。私が書き換えをするなら、人体に害のない香に変えてくれるって…。」
「はあああ?!ちょっと、絶対そっちが本命の条件じゃない!なんでそんなもん了承したのよ!」
食ってかかるようにリナリーは私の手を引っ張った。その瞬間、痺れるような痛みが走り、反射的に手を引っ込めてしまった。
「えっ、ご、ごめん、そんな強く握ったつもり、じゃ…?…ルーシー、指輪なんてしてたっけ…?」
すうっと目を細めたリナリーに、危険を感じて左手を隠そうとしたが、時すでに遅し。あっという間に手を取られていた。
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