Act.16 結論、推しが尊い
「っ…ルシル!!」
瞬間。
きらきらとした粒子が、辺りを包み込んだ。
その粒が舞う度、霞がかっていた視界が、次第に晴れていく。
はたと気付いて、今私は何を言おうとしたのだと、肯定しようとしなかったかと怖くなった。
まだ少し頭がぼんやりしている。
次いで、小さな舌打ちが聞こえたかと思うと、急に体が軽くなる。
ザック様が私を解放したお陰。
現状が理解出来ずに、声を発したリナリーの方を見ると、リナリーの周りが薄ぼんやりと光っている。
どうやらその光から、あのきらきらした物が発生しているらしい。
「聖魔法か…めんどくせえ。」
「あん、た…今何使ったのよ!!」
「ちょっと呪を込めた香の粉を撒いただけだろ?」
呪は、アマテラス帝国の独自の魔法、のようなもの。
それを込めた香を焚くのではなく、粉、つまり香自体を直接吸飲させたという事だ。
「その香、どういう効果よ。」
「教えてやろうか?…愛導の香、別名はなんだったか…ああ、奴隷香だったか?」
にたりと笑いながら、その香の粉とやらが入った袋を放り投げた。
ふわりと先程の甘ったるい匂いが舞う。
ああ、これの匂いだったのか、道理でザック様の匂いが違った筈だ、なんて変な所で納得した時、またあのきらきらとした粒子が目の前を舞い、鼻につく匂いは掻き消えた。
「読んで字の如くって訳ね。最低。」
「最高級品なんだぜ?それを惜しみなく使ったってのに…酷い言われようだ。」
「あんたが何処で何をしようが知ったこっちゃないけどね、ルシルはあんたのもんじゃないし、何処にも連れて行かせないっつってんでしょ。」
「はあ…聖魔の使い手に呪は効き難いと聞くが、効き難いどころか、効かないとは初耳だ。」
「あんたが思いっ切りフラれる所を見ようと思ってたのにえらいお色気シーンが入ってきたから動揺しちゃって魔法の発動が遅れたじゃない。」
龍虎が二人の背後に見える…え、怖い。
少々現実逃避を決め込んでいたが、ようやく平常運転を始めた頭が現状を理解した。
つまり?何?ザック様は、私にその奴隷香とやらを使って、思い通りに動かそうとしたって事でいいの?
つーかそんな物騒なもんまであるのこの世界。怖っ。
「それにその香だけじゃないでしょう、あんた他にもまだ持ってるでしょ、その香と同じ魔力があんたの懐から出てんだけど。」
「そんな事までバレるのか、やっぱりとっととお前には消えてもらってた方がよかったか?」
愉しそうにそういうと、ザック様はジャケットの内側から何か模様が書かれた黒い紙を取り出した。
リナリーは魔力を感じると言ったけど、私には何も感じられない。
多分、あれは聖属性を使う者にしか辿れない魔力…いや、呪力というものなのだろう。
「それは何。」
「なんだと思う?」
「…さしずめ、奴隷契約の徴ってとこ?」
「はっ、よくわかったな。あともう少しでこの紋様がルーシーの心臓に刻めたのに。惜しかったな。」
少しも残念そうには見えない顔で、ザック様はその紙を破り捨てた。
えっと、私が黙ってる間にどんどん話が進んでくんだけど、これそろそろ私入るべきよね?
どんどん二人の背後の龍虎が牙を剥いてきてる気がするし…。
「…その紋様が心臓に刻まれたら、私は奴隷に成り下がるって事ですか。」
「少し違うな、ルーシー。俺が刻もうとしたのは、そんな陳腐なものじゃない。」
「どういう事…?」
「俺が刻もうとしたのは、ただ俺から離れられなくなるだけのもんだ。その身体も、その心も、奴隷印なんかで縛り付けても愉しくねえだろ?お前には自分から堕ちてもらわなけりゃ、愉しくない。」
「奴隷香は契約を交わす為に撒いたの。」
「紋様を刻むだけなら一方的に出来る、俺は自ら堕ちるルーシーが見たいだけだ。」
刻むつもりだったのはザック様から離れられなくなるもので、要するに逃げない為のものって事?
つまり、私はただ逃げられないだけでそれ以外は何をしても自由なまま囚われるって事?
しかも何?私自ら、はいって言わせたいが為にその奴隷香とやらも撒いたの?
え、まじで?
それ、なんのご褒美??
いやいやいや、ザック様推しからしたらその状況ご褒美でしかないんだけどどうしたらいい?!
リナリーなんかめっちゃキレてるけどごめんそれ我々の業界ではご褒美です!本当にありがとうございました!
「本っ当に…言葉もない。ねえ、ルシル。」
「え、う、うん…言葉が出ない…。」
やばい、多分今私凄い口元ゆるっゆるな気がする。
それはもう人としての尊厳とかかなぐり捨てる程度には口元が緩い自覚がある。
さすがに空気くらいは読めるし、今確実に私がそんな顔してるのはまずいと思うのだけど、全然締まった顔が出来ない。
とりあえず俯いて手を当てて口元を誤魔化してはいるけど、私だけシリアス出来ないんだけどどうしよう。
「なんだルーシー、連れねえな?」
「ち、近付かないで下さい!」
「ルシルに近付かないで!」
ひらりと目の前に現れたザック様を手で追いやりながら、思い切り顔を背ける。
やめて、ほんと、今顔やばいから!!
ちょ、手剥がさないで…顔掴ま、やめ、駄目だってばああああああ!!
「……ルシル…?」
「……っ…く…くく……っ…。」
「や、だから近付かないで下さいって言ったんですけど!」
見られた。思いっ切り。ゆるっゆるの顔。
リナリーはピキっと固まり、地を這うような声で私を呼ぶ。
私の顔を掴んだままのザック様は腰を折って声を殺しながらひたすら笑っている。
ああ…さっきまでちゃんとシリアスしてた筈なんだけどな…。
ごめんってリナリー…謝るから…だからそんなチンピラみたいな顔して睨まないで…。
「ルーシールーう?私今の今まで一体だあれの為に怒ってたと思ってんのかなあ?え?」
「ご、ごめ、違う、これには深い事情が、ほんとふっかあーい事情があるんだって、ほんと、だから、そんな怒んな…あ、ちょ、やめ、いた、痛い、チョップはやめ、痛い!」
無言で私の頭にチョップし続けるリナリーと、なかなか笑いから戻ってこないザック様、そして逃げられない私。
とても混沌とした構図が完成している。
しばらくそうしていたが、多少気が晴れたのか、一番初めに戻ったのはリナリーだった。
「もう怒ってんのが馬鹿らしくなったしさっきまでのクソ真面目な空気にもう戻せないじゃん、どうしてくれるこの変態。」
「へ、変態って、ちが、変態じゃない!」
「だったらあの話の何処にあんなゆるっゆるの顔になる要素があったのよ、ないでしょ。」
「ぐっ…それは…ぐううう…。」
「それからあんたはいつまでルシルの顔掴んで笑ってんのよ!あんたも戻ってきなさいよ!」
「はは、はっ、…は、あー…ルーシー…さすが俺が気に入っただけはある。」
リナリーにぞんざいに離された手を振りながら、ザック様はようやく顔を上げた。
薄らと目には涙すら浮いている。笑い泣きまでしたらしい。真面目に大爆笑だったようだ。
なんだか、空気が壊せてよかったのか、笑われた事に羞恥を覚えるべきなのか、いまいち反応に困る状況である。
「なんか毒気も抜かれたし、ぶっちゃけて言うけど、あんたに私やルシルを殺すつもりは今の所ないだろうから、そこは信用してあげる。」
「…ほう、豪く寛容な言葉だな、リナリー?とか言ったか?」
「ロンガート辺境伯令嬢で結構よ。」
トゲトゲしい会話が繰り広げられる隣で、ようやく落ち着きを取り戻してきた私は、口元を引き締め、やっとの思いで二人を見た。




