Act.12 推しの顔がいい
ざ…ザック様ー?!!
ななななななんで、どどどうしてここに?!
いや確かに設定上ここでディリアスとリナリーを見ていた筈だけど!
でもザック様の初対面イベントは明日の筈、しかも中庭じゃない、裏庭で声を掛けられる筈なのに!!
驚きの余り、仮面も猫も忘れて呆けた私を見て、にやりと笑ったザック様。
え、もう…顔がいい…。
「人の顔見てアホ面晒してどうした?俺に惚れでもしたか?」
「…っ、し、失礼致しました。なんでも御座いませんわ!」
や、やばい、本物のザック様の破壊力まじでやばい。
顔が綺麗過ぎる。そして声も甘い。更になんかめっちゃいい香りする!
ばくばくと脈打つ心臓よ鎮まれと願いながら、取り落とした髪留め部分とルビーを拾い直す。
いや、拾い直そうとした。
「…なあ。」
「え?なん、っ…、…?!!」
瞬間。
屈んだザック様の顔がすぐ近くに見えて、反射的に引きかけた頭を、しっかりと掴まれ、更に引き寄せられて…。
くちびるが、ふれた?
え、いや、え?待って、待って待って??
き、キスされたあああああ?!!
理解出来ない現象に陥ると、人間の処理能力は本当にショートするのかと何処か遠い所で感心しながら、離れていくザック様を呆然と見つめる。
彼は悪びれる事もなく、ちろりと赤い舌で自身の唇を舐めながら、口角を引き上げる。
ぞくりと、背中に痺れが走った気がした。
「ふーん…唇が薔薇の味って訳でもねえのか…。」
「っ!な、何を、するのですっ?!」
かっと全身に熱が走り、慌てて立ち上がりながら、ザック様と距離を取る。
そんな私を一瞥すると、口角を引き上げたまま、彼は歩くように私との距離を一気に詰めた。
「王太子殿下の婚約者、黒薔薇姫とお見受けする。麗しき姫君よ、どうか俺と、“遊んで”いただけますか?」
恭しく私の手を取りながら、彼は言う。
毒のような言葉を。
瞬間、あれだけ火照っていた顔も体も、一気に冷めた。
いや、それよりも血の気が引いた。
駄目だ、駄目だ駄目だ!
ザック様の言うこの台詞。それにさっきのキスも。
これは初対面イベントなんかじゃない。
一番最初に遭遇するバッドエンドの流れだ!
なんで?どうして急にザック様が現れた?
そして、どうして急にバッドエンドに入ってるの?
疑問は幾つも浮かんでは消え、消えては浮かんで来るのに、肝心の言葉が出てこない。
私がはくはくと金魚のように口を動かす様を見て、ザック様は笑みを深める。
その黒曜石のような瞳に映るその色は、好意なんてものじゃない。
とても純粋な、好奇心のみ。
わかる。
今、ザック様が何を思っているのか。
何故、好奇心に満たされているのか。
この流れから入ってしまうバッドエンドは、了承したが最後。
彼に帝国へ連れ帰られ、嬲られ、弄ばれ、殺されて、打ち捨てられる。
言葉通り、“遊ばれて”終わる。
その過程で、私がどんな悲鳴を、嬌声を、罵声を上げるのか、それが知りたくて彼の好奇心は疼いている。
何故、何故…このバッドは何処から分岐した?
分岐も何も、初対面だ。
なら、何故…彼はこの台詞を言っている?
それがわからないからこうして自問してる。
堂々巡りの自問自答の中、彼に僅かに手を引かれて私は思考の渦から引き戻された。
「は、離してくださらないかしら。」
「何故?」
「何故、って…いいから、離してくださる?!」
「嫌だと言ったら?」
「っ!離して!私はザック様に“遊ばれる”つもりは御座いませんわ!」
思い切り手を振り払うと、存外手は易々と解放された。
それにほっと安堵したのも束の間、今度は凄い勢いで肩を掴まれた。
「いたっ!」
「何故その名を知ってる?」
近付いたその顔は、先程よりも歪んでいる。細められた目に、不自然な程持ち上げられた口角。
その瞳には好奇心と殺意が入り交じっていた。
まずい。咄嗟に逃れようと言った言葉。
ザックという愛称。
その名は今やアマテラス帝国皇帝しか使わない、使えない。
ザック様は今、コクヨウと名乗っているはずなのだから。
それに元より、私は彼に名前など聞いていなかった。
「何故だ?」
「は、離して、痛い…!」
「答えろ。」
「いっ…嫌ですわ!」
「何故?」
「痛いと言っています!先に離してくださる?!」
「何故。」
「っ…この…!」
最初は恐ろしかった。
気付かぬ内に入っていたバッドエンドルートに、恐怖した。
何せゲームの中ではこのルートに入れば選択肢などなく、強制的にバッドエンドまっしぐらになるから。
次いで死の恐怖に襲われた。
自分のミスとはいえ、彼の秘密を私が握っていると言ってしまったようなものだったから。
そして、今。
……一周回って、腹が立ってきました。
まずここでザック様に会うとか聞いてないし!
それになんでか知らないけどいきなりバッドエンドまっしぐらになってるし!
それに…それに!!
「…何故何故何故何故と五月蝿い!!」
「?!」
ゴンっと鈍い音が響く。
私がザック様に、頭突きを見舞った音だ。
予想だにしていなかったのか、するはずがないと高を括っていたのか、ザック様は額を抑えて呆然とこちらを見ていた。
その手は既に、私から離れている。
「何でもかんでも思い通りにはならないっての!いくらザック様でも無理矢理脅迫して全部吐かせようとしても絶対吐いてやらないから!少しは自分で考えろ!!」
い、言ってやった…。
はた、と口調が汚くなっているのに気付き、私はわざとらしく咳払いをして、身なりを整え、ザック様と向かい合った。
「とにかく、私はこれで失礼致しますわね?」
「…………ルーシー。」
ぼそりと呟かれた自身の愛称に、思わず身を固くする。
「…聞いてらしたんですか?ディリアス殿下との会話。」
「まさかご令嬢に頭突きなんてされるとは思わなかったな?どうやら一筋縄ではいかないようだ。」
「あら、黒薔薇姫が一筋縄で終わってしまっては、黒薔薇が泣いてしまいますわ。」
「なるほど…?…ルーシー、お前には興味が湧いた。“遊ぶ”のは、その興味がなくなってからでも遅くはねえしな。」
「…どういう意味かしら。」
「さて…どういう意味だったらいいと思う?」
人を弄ぶように笑いながら、ザック様はひらりと私に近寄ってきたかと思うと、首筋にキスをされた。
慌てて首筋を抑えながら離れると、彼はケタケタと笑いながら裏庭方向へ歩いていく。
「何をっ…!」
「証だ。俺はお前に興味が湧いた。お前は必ず俺のものにする。」
「なんっ、…どういう…、はい?!」
「はははっ!それじゃあな、ルーシー。また明日。」
「ちょっと!」
後ろ手に手を振りながら、ザック様はそのまま歩いていった。
追うつもりは、とりあえずない。
辺りに静寂が戻ると、段々と一連の流れを思い出して来て、心臓が五月蝿いくらいにドキドキとしている。
顔が熱い。きっと私は今情けないくらいに顔が赤いに違いない。
キスをされた唇と首筋が何より熱い。
そこから全身に甘い痺れが走っているようで、触れることすら怖くなる。
いきなりキスをされ、“遊んで”くれないかと誘われる。
それはストーリー上、バッドエンドルートへの最後通告だ。そこはわかる。
いやキスされた事で余計に心拍数が上がってるのは事実だけれども。
でも、最後のあれは何だ?
首筋にキスなんて作中ではなかった。
…なかった?いや、違う。あった。
作中、リナリーにザック様が首筋にキスをする。
でもそれは本当にラスト、想いが通じ合い、本来の見た目に戻ったザック様が、リナリーの首筋にキスを送り、このキスの意味をちゃんと考えろと言う…そう、そこだ。そこしかない。首筋キスなんて作中そこしか登場しない。
作中では意味は明かされなかったが、勿論ザック様推し勢は意味なんて知っている。
首筋へのキスは執着の意味。絶対に離さない、離れないという意味でザック様はリナリーへこのキスを送るのだ。
そのキスを、私にした…?
え、どういう意味…?
だって、絶対ザック様は私に愛なんて感情は持ち合わせていない。
なら…?
「…これは、まずい事になったかもしれない。」
今すぐリナリーへ相談に行きたいが、見上げれば空はじんわりと赤く染まってきている。
今から行けば確実にカインに捜索隊を派遣されるに違いない。
未だ火照りが収まらない顔を手で扇ぎつつ、深く深呼吸を一つして、私は踵を返した。




