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第56話「白い妖精」

 死神はついに封印された。俺の撃った弾丸で。

 最後に俺を救ってくれたのは他ならない母さんだった。死神シオン・デスサイズは首を自ら切り落とす直前、俺にだけ小さく囁いていた。


『あなたの勝ちよ』


 あの人が刻印をつけた本当の理由(・・・・・)は、いったい何だったんだろうか。

 母さんが死神を止めていたという事実は、あの人の中にシオン・イティネルの意識が残っているという事なのだろうか。もしくは、俺と会った事で眠っていたものが引き出されたのかもしれない。

 もし、そうなのだとしたら。


 死神は、自分の中で俺と母さんを会わせたかったのかもしれない。


 昔、母さんが大事にしていたらしい黒髪がぼろぼろになるのを嫌って、自らの命を絶ったシオン・デスサイズ。

 それほどまでに心の繋がりがあった二人の間に何があったのか。

 そして、死んだ二人は魂縛されたティナの中で、静かに永遠に眠り続けるのか。それが二人が求めた真の安息地なのだろうか。


 母さんもシオン・デスサイズもいなくなった今、それは誰にもわからない。



 ◇ ◇ ◇



 死神との最後の戦いの後、ティナは意識を戻さないまま銀狼の新しい施設に保護された。

 そして、十二月二十四日クリスマスイブ。俺の刻印は残り六十六日のその日。リリーナは実に数か月ぶりに家に帰ってきた。

 十日ほど前に昏睡状態だったティナが目を覚まし、体の状態や魂縛の状態のチェックが済んだ時、赤坂さんから「しばらく様子を見よう」とお達しが出たらしい。

 ティナは最初、茫然自失とした感じだったが次第に笑顔を取り戻して、以前のように隊員に料理を振る舞っているらしい。ただ、しばらく一人になりたいとの事だった。


 リリーナは久しぶりに帰ってきた家の中を見渡して。

 ぼそっと「メイドは仕事をしていたらしいな」とつぶやくと、リビングルームに置いてあるソファーへ腰かける。


 外はもう夕暮れ時。赤い光が差し込む室内で、静かに佇む彼女を俺はずっと見つめていた。

 白いタートルネックのニットセーターにチェックのスカート。明らかな少女の装いにメイクまでしたリリーナには、もう過去にあった鋭さも冷酷さも見当たらない。髪と瞳の色を除けば、現代世界のどこかにはいる美しい女の子だ。それが彼女がこの世界にきてから今まで歩んできた道。

 その一端に間違いなく自分が関わっている事を自覚して。彼女が戦っていた事も、女性らしくありたいと願った事も、泣いていた事も、苦しんでいた事も。

 すべてに俺が関係していた。彼女は常に俺を見ていた。考えていた。


 そんなリリーナを、俺は裏切った。


『お前があの世界で大勢、殺したみたいに、ティナも殺すっていうのか!?』


 自分が吐き出した言葉が脳裏に刺さる。

 確かにあの時は、俺も冷静じゃなかった。ティナのことが頭の中を駆け巡って、ぐちゃぐちゃになっていた。

 だけど、俺は信用すると言いながら冷たい言葉を投げつけた。その事実は何も変わらない。

 それなのにリリーナは、「君に会えてよかった」と抱きしめてくれた。その優しさと温かさが、後になって逆に俺の首を絞めつけた。


 何が「俺はお前を信用している」だ。

 何が「重要なのは今のリリーナであって過去のお前じゃない」だ。


 刻印によって自分の死が近づいているのはわかっている。だけど、実際に命がけで死神の前に立っていたのはリリーナだ。傷を負ったのも助けるためにアグレスと戦ったのもすべて彼女だ。

 そんなリリーナを何故、俺は信用できなかったのか。


 彼女との思い出が脳裏によみがえる度に、自分に対する怒りがふつふつと湧いてくる。

 そんな俺をリリーナはチラリと見て。青く輝くサファイアの瞳は俺の心を見透かしているかのようだった。


「……何が言いたげな顔だな」


「この前の事だけどごめん。ずっと面と向かって謝りたかった。俺はお前を一時的とはいえ裏切った。信用するなんて言いながら結局、そうする事ができなかった」


「その話か。君は何か勘違いをしている。あの時の発言は何も悪くないぞ? 私が殺人者なのは覆しようがない事実だ。それを指摘されてなぜ、その人を責める必要がある?」


「それでも俺が裏切った事には変わらないだろ? たとえお前が怒っていなくても俺自身、納得がいかないんだ」


「はぁ。まったく君は変なところで頑固だな。……こっち来て。映司」


 小さくため息を吐いて手招きする彼女に促され、俺はしぶしぶ右隣に座る。

 その時、コツンと肩に何かが当たった。視線を移すと顔のすぐ横に綺麗な銀色の髪が見える。リリーナは頭を俺の肩に添えたまま何も言わない。

 彼女とソファーで、こうして二人だけでいる時間を俺は何度も経験した気がする。


「『俺はお前を信用している』と君は言った」


「言った」


「『重要なのは今のリリーナであって過去のお前ではない』とも言った」


「言った」


「映司。その時の言葉は本心だったんでしょ?」


「本心だった」


「それなら問題はないよ。君が自分自身に怒るのは無理はないと思う。君は優しいから、ティナも私も傷つけたくはないんだ。だからこそ、あの言葉を言い放った自分が許せない。だけど、それはもう終わったんだ。それに言われたからといって私の君に対する想いは何も変わらない。仮に君が私を裏切ろうと私は君を決して裏切らない。そう決めたんだ」


「……ずるいわお前。そんなこと言われたら俺、何も言えないじゃん」


「ただ黙って抱きしめるのも、時にはいいんじゃないかな」


 ドクンと心臓が跳ねた。

 左腕を伝って全身に伝わる彼女の温かさで頭の中が熱くなる。白い肌をほんのり上気させて、ぷるんと潤った唇が俺の目に焼き付く。

 その時、俺は気が付いた。正確には思い出した。


 リリーナは、こんなに綺麗だったんだって。


 常に近くにいた。それこそ家族のように。だから、今まで一人の異性として見ていなかった気がする。

 だけどその時、初めてそこにリリーナという一人の「美しい少女がいること」を自覚した。

 彼女の瞳が動く。


「……雪か」


 見ると赤い空から小雪が散っていた。


「実はあまり雪を見た事がない。……綺麗だ」


 静かに美しく舞う小雪を眺めながら彼女の唇が動いた。

 視線こそは外へ向けられているがそこから紡ぎ出される言葉は、まるで溶け込むように俺の心に響いた。


「私はこの世界で願い事があるんだ。私は君のために生きるよ。そして、許されるなら……君を守るリリーナではなく、君に守られるリリーナになりたい」


 リリーナが愛おしかった。

 全身は熱を帯びているものの、心は波のように激しく揺れ動く事はなかった。目の前にいる銀髪の少女しか視界に入らなくなっていた。

 ゆっくりそっと左腕を彼女の体へまわす。その時、リリーナが俺の手をきゅっと握った。その小さく綺麗な手はもう血に濡れてなんていなかった。


 じっと見つめるサファイアの瞳は熱を帯び潤んでいて。顔が近づいていくと同時に彼女はそっと瞳を閉じた。

 艶のある唇と重ね合う。柔らかい感触が脳幹を刺激して。彼女と一体化して混ざり合い溶けていく感覚を覚えた。

 それが終わって離れた時、そこにあるのは女神のように可憐で美しい笑顔。


 高揚感は収まる事なく、さらに心臓と共に高鳴り続ける。

 リリーナの細い腰にまわした腕にそっと力を入れようとしたその時、俺に押されたのか彼女の体がソファーに倒れた。狙ったわけではないけど押し倒す形になった視線の先で、リリーナは抵抗する気配は何もなかった。

 ただ、頬を赤く染めて。サファイアの瞳だけは恥ずかしそうに俺から逸らしていた。


「……ソファーの上は、嫌だな」


 ぼそっとつぶやいたその言葉の意味を理解するまで、完全に俺の頭の中は時間が停止した。

 表情とか仕草とかで察した後はさらに一際、心臓が飛び跳ねて。正直、どうしていいかわからなくなった。

 でも、じっと寝そべっているリリーナがとても可愛らしく見えて、俺はそっと気持ちがおもむくままに手を伸ばした……その時。


『主命とあらば如何なる勝利をも掴んでみせる! この聖槍に誓って!』


 テーブルの上に放置されていた彼女のスマートフォンがブブブッと振動で暴れたかと思うと、いきなり再生された男の声。そして、直後に額に響く衝撃。

 突然、我に返ったかのように上半身を起こしたリリーナに頭突きされ、俺は頭を押さえながら思わず怯んだ。痛みと熱さで視界が混乱する中、同じようにリリーナも額を押さえている。


「いってぇぇな! お前、なんだその石頭!? つーか、その着信ボイス、聖剣乱舞かよ!」


『主命とあらば如何なる勝利をも……』


 そこでプチッとボイスが消され、額を押さえながら涙目のリリーナがスマートフォンを耳に当てる。


「……なんだ?」


 彼女のすごい不機嫌そうな声が響いた。それと同時に心の高鳴りが急速に静まっていくのを感じた。

 リリーナも同じようでいつものすまし顔に戻っている。だけど突然、そのサファイアの瞳が鋭くなった。


「……わかった。映司にもこの話をしていいんだな? 少し休んでから彼を連れて向かうよ」


 おそらく赤坂さんだと思われる通話をポチッと止めて。

 リリーナは俺を見つめた。そこにあるのは、先程までの甘いとろけるような瞳ではなく、憂いに満ちた悲しみの蒼色。


「映司。落ち着いて聞いてほしい。……ティナの処遇が決まった」

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