第55話「母の愛(side リリーナ)」
白のタートルネックニットセーターを羽織ってなお、肌寒さを感じる十二月。
私は生まれて初めてスカートを履いた。さすがに冬に生足をするほど馬鹿ではないから、ストッキングを通して。身に着けたのはネイビーのタータンチェックスカート。結構、短いやつだ。
これから最後の戦場に向かうというのに、こんなヒラヒラとしたスカートなんぞ履くのか。我ながら馬鹿なことをしていると思う。
だけど、もしかしたら「帰れない」かもしれない。だから、この世界に来なければまず身に着けることはないスカートを履いてみようかと思っただけだ。
赤坂から託された弾薬をベレッタに込め、私は映司と共に家を出た。
あの襲撃以降、死神の消息は掴めていない。
まったく手がかりがない状態の中、私には一つの思いがあった。奴の体が映司の母親であるシオン・イティネルなのであれば、「彼女」が目指す場所は一つしかないと。
もしシオン・イティネルがこの世界に戻って来たのならば、「行きたい」と願う場所はあそこしかない。そして、現在の体の持ち主であるシオン・デスサイズはおそらくそれを承諾するだろう。何故ならあの二人の間には、常識では考えられない繋がりがあるから。そうでなければ、死神が自らの体として彼女を選ぶはずがない。
そして、私は映司の案内に助けられ、「再び」あの場所にたどり着いた。
澄んだ晴天の下、私と映司の前に鎮座するのは佐久間裕司の墓。
シオン・イティネルが愛した男が眠る場所。死神はここへやって来る。
その時、脳を駆け巡るのは、寒さとは違う冷気を纏った殺気。
私は何度、この殺意を体に感じただろう。何度、この女と殺し合ったことだろう。
お互いを利用し手を組んだ事もあった。共戦したこともあった。私が光だとしたら奴は闇。相いれないながらも常に付きまとう。
そして、最後はお互いが愛した男の前で死闘を演じる事になる。
ぼんやりと幽鬼のように揺らぐ死神、シオン・デスサイズがそこにはいた。
その黒髪はまるで闇夜の残滓のように光の下、寂しげに揺れ、その表情にはいつも貼りつけていた不敵な笑みはない。まるで人が変わったかのように無機質で、それでいて悲しさを纏ったような、そんな表情。
シオンは大鎌を出す事なく、ただじっと紅玉で私達を見据えていた。
「……なんでここに来るのがわかったの?」
「お前ではない別なシオンが愛した男が眠る場所だからだ。彼女がもしこの世界に来たのならば、目指す場所はここしかない。そして、私もこの世界にいるのならば、死ねばここに眠る事になる。ここは私とお前の終着点だ」
「……そう。それならあなたを殺しても墓まで移動する手間が省けていいわね」
霊子が急速に奴の右手に集まっていく。そこから形成されるのは一振りの大鎌。
私は魔法障壁を展開し、銀色に輝く二挺拳銃で迎え撃つ。背中に映司の視線を感じながら、まるでそれが後押しになっているように私の体が前に出た。
駆け抜けていく斬撃を障壁で阻みながら、ほんの僅かな合間に左のベレッタでシオンの頭部を撃ち抜く。
鳴り響く索敵の警笛。硬質な響きを奏で花弁を咲かせる火花。そして飛び散る鮮血。
私とシオンを繋げるものは戦闘しかなかった。常に血塗られた道だった。だからこそ最後を締めくくるのもまた戦いでしかない。
銃撃と斬撃がまるで私達の会話であるかのように、二人でダンスを踊るかのように交錯する。右手のベレッタに込められた特殊弾を撃ちこむそのタイミングを狙いながら。
私は斬撃を予測していた。
今まで幾度となく死神の一撃を障壁越しに受けてきた。頭の中でイメージした奴の動きが、現実世界で全く同じ軌跡をなぞっていく。
シオンは斬撃を放った直後、回転して遠心力を増した二連撃を放つことが多い。その兆候は左足。右足を踏み込み斬撃、その後、それを軸足として回転、連撃へと繋げる際、左足を鋭く踏み込む。それを見逃さなければ、二撃目を障壁なしで回避できる。
つまり自らの障壁に阻まれることなく、隙だらけの奴へ銃弾を撃ちこめる。守りを捨てた特攻に私は勝機を見た。
大気を揺さぶり大鎌が黒い軌跡を描く。全身に駆け巡る衝撃と共に火花を散らし斬撃が駆け抜け、続く二連撃目。
私はシオンの左足の踏み込みを見た。
――ここだ。
障壁を即座に解除。触れただけで吹き飛ぶ豪の斬撃に私は自らの体を滑り込ませた。
姿勢を低め回避。頭上を斬撃が駆け抜けていくのを感じながら。特殊弾が込められた右手のベレッタをシオンの頭部へ合わせる。
低い姿勢からの斜め上へのヘッドショット。シオンはいまだ斬撃体勢のままだ。照準、タイミング。すべてが完璧だった。
「え?」
思わず声が漏れる。
銃声が鳴った刹那。シオンがまるでその動きを予測していたかのように上半身を逸らした。
特殊弾は奴の頬を掠め、そのまま空間を裂いて消えた。
シオンの紅玉が輝く。その瞬間、全身を襲うのは危険信号。
目の前に剣閃が迫る。咄嗟に後退したその瞬間、駆け抜ける斬撃は私の左手にあったベレッタを破壊していった。
「リリーナ!」
映司の声が響く。
銀色の破片をまき散らし、私は体勢を崩し地面に倒れ込んだ。脳に響くのは左指の激痛。見ると人差し指が折れ曲がっていた。
そんな私を見据えシオンはゆっくりと近づいてくる。
「その右手の銃で何やら企んでいるとは思っていたわ。だってあなた、左手の銃でしか撃たないもの。それにあなたが私の癖を見抜いているのも知っている。だからこそ逆手にとらせてもらったわ」
シオンは血のついた頬を擦る。もう傷口は無くなっていた。
「タイミングを見計らっていた所を見ると、弾数はないようね。成す術なし。デッドエンドよ」
機を逃すまいと死神が大鎌を振り上げる。
その時、咄嗟に私の前に立ちはだかったのは映司の姿。何の力も持たないはずの男子高校生。だけどその背中は力強かった。
彼がなぜこの戦いに同行したのか。その理由を私は知っている。だけど心の中では拒否し続けた。映司の言葉は正しいかもしれない。でも私は彼を危険な目に遭わせたくはなかった。
しかし、私の反対を押し切って映司はこうして目の前に立っている。
『死神は俺を殺せない』
今度こそお前を守れる。
映司の背中はそう語っていた。
漆黒の刀身が映司へ迫る。だがその瞬間、シオンが驚いたのか紅玉を大きく見開いた。
死神の刃は彼に届くことなく停止している。当然、魔法障壁も何もない。だけど大鎌はピクリとも動かない。
「なぜだ。なぜ動かない! あの時のようになぜ止まる!」
シオンの痛烈な叫び声が響き渡った。だが奴の意思に反し体は、まるで時間が停止したかのように固まっている。
「動け! 動けと言っている! シオン!」
「……おかしいと思ったんだ。なんであんたと初めて会った時、俺は生きていたんだろうって。なんであの場で殺さないで刻印をつけたんだろうって。それは俺を斬れなかったからだ。本当はあんたは俺を殺そうとした。だけど殺せなかった。なぜならあんたのその体は俺の母親だからだ。母さんが止めていたんだ」
そう。シオンが映司をその場で殺さなかった理由。
以前、奴が言ったように映司を依代を守るために利用していたのは確かだろう。だが根本的な所はそれじゃない。
初めて映司と出会った時、シオンは殺すつもりだったんだ。だけど斬れなかった。その時、奴は目の前にいる少年が自分の体であるシオン・イティネルと深く関わった人物である事に気が付いた。だから彼を殺すことはやめ、刻印をつけて利用する事にしたんだ。
死神の斬撃すら抑え込む。動きを止めてみせる。
私にさえ不可能であったそれを成し遂げたのは、母の愛だった。
「あんたじゃなくて母さんに言うよ。もう終わりにしよう」
映司がゆっくりと両手を上げる。私からは見えないが彼が何をしようとしているのか理解できる。
赤坂から託された死神を殺す特殊弾。その二発目が込められているのは、私ではなく映司の握るもう一つのベレッタだ。
「……母さん。さよなら」
銃声。映司が撃ち出した弾丸はシオンの心臓に着弾した。
衝撃で後退する死神。その時、自分の中に撃ちこまれた「異物」に気が付いたのか表情を歪ませた。
「何を……撃ちこんだ?」
「シオン。お前を殺す弾薬だ。数日中にお前は……死ぬ」
特殊弾。それは採取したシオンの細胞から生み出されたウィルスが込められた弾薬だ。
体内に侵入すると急速にシオンの体を蝕み壊死させる。それはこの世界のバイオテクノロジーが生み出した恐怖の兵器だ。
私達がいた世界にはない技術を前にして、シオンは微笑んでいた。
「ふふふ。死神が死ぬか。念のために訊くわ。どういう風に死ぬの? 世界の調整者と言われた私がどうやって死ぬの?」
「お前は内部から破壊される。そうは言っても肉体が砕け散るわけじゃない。その機能だけが完全に停止する。再生能力でそれは防げない」
「この外見……特に黒髪はどうなるの?」
「いずれは抜け落ち、お前自身も壊死で醜い姿になるだろうな」
「そう。それは嫌だわ」
突然、シオンは大鎌の刀身を自らの首筋に当てた。
すべてを悟ったような晴れやかな表情で。そこに冷酷な死神は影も形も無くなっていた。
「私にとっても……彼女にとってもこの黒髪は大事なのよ。汚すことは許さない」
一閃。血しぶきと共に自らの首を切り落とし、シオンはその場に崩れ落ちた。
次第にその体はまるで幻だったかのように霧散して消え去り、とってかわってティナの体が実体化した。
私は激痛に耐え、彼女に歩み寄る。意識を失っているティナの額に右手の人差し指を添えて。
自らの命を絶ったシオンの魂をティナの体に魂縛した。
シオン・デスサイズは何を思っていたのか。何を求めていたのか。
世界の調整者として永遠とも言える時を生きていた彼女が求めたもの。自分が唯一、認めた人の体を持って探し続けたもの。
それは、もしかしたら自分の死に場所だったのかもしれない。




