第57話「眠り姫」
赤坂さんから連絡を受けてリリーナと一緒に向かった場所は、ティナがいる施設ではなかった。
そこは許可証が無ければ入る事すらできないビルの一室。扉の上に見えるのは「隊長室」の文字。それを見て俺は、ここは「銀狼」の施設なんだと察した。
リリーナが扉を開ける。奥に見えるのは眼鏡をかけた黒いスーツの男性、赤坂さんだ。そして、その近くの椅子に座っている「彼女」を視界におさめ俺は驚いた。
腰元まで流れる金髪にエメラルドの瞳を持つ美少女。ティナは俺を見つけるとパッと表情を明るくさせ笑顔を見せた。
あの死神シオン・デスサイズが自らの首を切り落としてから、ずっとティナの元気な姿を見る事はなかった。
久しぶりに会った彼女はやっぱり綺麗で。その瞳も淀んだ深緑ではなく、宝石のように輝いている。出会ったばかりの時の彼女に戻ったかのようだった。
でも何かが違う。今までため込んだ迷いや悲しみを振り切ったような、そんな笑顔に見えたからだ。
「お久しぶりです。映司君。きちんと寝ていましたか? ご飯は食べてますか? それとちゃんとお掃除できてます?」
「大丈夫、大丈夫! うちにメイド来てたし! それよりどうしてここにティナが?」
「ティナさんは本日付をもって銀狼より解放される。もう我々は彼女を保護する役目を終えたのでね」
彼女に変わって返事をした赤坂さんの声は優しい。
ただ眼鏡をクイッと上げたその時、まるで人が変わったように瞳に鋭さが増したような気がした。
「しかしながら、ティナさんの体には死神が今も眠っている。リリーナによって封印されているとはいえ、いつ奴が再び現れるかわからない。そこでティナさん本人を含め、君達三人を呼んだというわけだ」
そう言うと赤坂さんは俺達三人が座るテーブルの上に一枚の資料を置いた。
見慣れぬ単語が並んだそれを見て。ある文字に目がくぎ付けになった。
「依代の対策として我々が提案するものは、コールドスリープだ」
コールドスリープ。
資料によると医療分野にて「ボディクリーニングシステム」として研究が進められている技術で、人体に冷却材を吸入させ冬眠状態になるまで体温を下げるというもの。ただ皮膚の壊死などいろいろと問題も多く、全く危険がないわけではないらしい。
現在も未知の領域にある技術で、仮に冬眠状態にできたとしても、現在の技術では完全に元の状態に戻す事はできないとも書かれていた。つまり、もしティナがコールドスリープ状態になったとしたら、元に戻るかどうかは未来の技術力に委ねるしかないという事になる。
ティナは、これを承諾するだろうか?
その時、先程の笑顔が脳裏に浮かんだ。何もかも断ち切ったかのような晴れやかとした笑顔。その裏にあるのは決意なんじゃないか。
死神の依代として自分がこれからどう行動するか。その道筋を彼女はすでに手に入れているような気がした。
「日本で唯一、コールドスリープを研究している施設が存在する。今回はそこに協力を要請する事になるわけだが、リリーナ。死神に対する影響力としてコールドスリープは効果があるのか、君の見解を聞きたい」
「物ではなく生命体が依代なのは、憶測だが依代の生命活動そのものが奴の再生に必要だからだ。つまり冬眠状態であるなら死神の再生を妨害し、魂を弱らせることが可能かもしれない」
「……との事だ。我々としてもティナさんを生かしたまま死神を封じるには、これしか手段がないと考えている。ティナさんの意見を聞きたい。君が判断すべき案件だ」
赤坂さんの言葉にティナはうなずいて。
彼女の姿からは不安という二文字が一切、感じない。迷いもない。そんなティナがどう判断するのか、俺には言われる前にすでにわかっていた。
きっと彼女は、それで俺が助かるなら、眠り姫としての別れを選択するって。
「わたしは赤坂さんやリリーナさんが決めた事に従います。たとえそれがどんな結果になろうともわたしは拒否しません。コールドスリープ、受けさせてください」
「……君の気持ちはよくわかった。実はすでに話を通してある。ティナさん、君はコールドスリープの被験者として研究に参加する形となる。それでいいかな?」
「はい」
「では出発する時期はこちらから連絡する。ひとまずティナさんには資料を渡しておく。読んでおいてもらいたい」
赤坂さんはティナの目の前に資料の束を置いて。
一瞬、あまりの多さに引き気味の彼女に赤坂さんは優しく微笑むと、「では、また後ほど」と短く言って部屋から出ていった。
うーんと頭を捻りながら資料と格闘をはじめたティナを視界に収めながら。俺の頭はどこかモヤがかかったかのように淀んでいた。
コールドスリープ。確かにそれは死刑宣告じゃない。
だけど、そこに意識はなくて、ただひたすら眠り続けるだけの存在となってしまう。まるで動く事がない人形のように。
ティナにとってそれが最善の手段なのか、俺は決断を下せずにいた。そんな心情を察したのか、リリーナのサファイアの瞳が俺の顔を覗き込む。
「……納得いかないって顔だな。映司」
「お前は納得してるのか?」
「……しているわけがないだろう。眠り続けるだけの人間。人道的な観点からすれば確かに人には変わりない。だが、現実において動くことも言葉を話す事もない。それをよしとするほど、今の私は冷酷になりきれない」
「だったらなんで……」
「だけど、他に方法があるか? 彼女を殺すことなく死神を無力化できる方法が? 赤坂と二人で悩み続けたよ。その結果がこれなんだ」
そうだ。コイツもティナのことで悩んで苦しんで。それでやっとこの結論を出したんだ。俺はコイツを信用する事に決めたんだ。それならこれ以上は言えない。
だけど……。
部屋の中に重苦しい空気が流れ始めた。
心の奥底から納得しきれない俺。苦しんだうえでようやく導き出した結論だとしても、俺の心情を知っているからこそ、これ以上、言えないリリーナ。そんな俺達が醸し出す暗く淀んだ空気。それは一言でいえば「不安」だった。
だけど、そんな中、きょとんとした顔で当の本人であるティナは首を傾げていた。
「皆さん、わたしが寝るだけの事になぜ、そんなに難しい顔をしているんですか?」
「は?」
俺とリリーナはほぼ同時にティナを見つめて。唖然とした視線に彼女は、普段と何も変わらず笑顔を向けている。
一瞬、静寂が流れたが、リリーナの含み笑いが響き出したその時、俺はティナに微笑んだ。
「……そうだよな。寝るだけなんだよな」
「まったく、ティナには敵わないな。馬鹿映司とお似合いだ。……さてと帰るか」
「はい! やっと三人揃って帰れますね! 晩御飯は任せてください! 久しぶりなので腕によりをかけますよ!」
本当に数か月ぶりの三人の団らんを前に、ティナは張り切っているのかエメラルドの瞳を爛々と輝かせて。
これでやっといつもの生活が帰ってくる。死神の気配も、銃声も、血も流れない幸せな日常が。
刻印はまだ解除されていない。だけど、心の奥底から待っていた平穏という幸せを俺は噛みしめていた。
るんるん気分で歩き始めるティナを見て。その時、ふと隣にいるリリーナへ視線を移した。
今にも泣き出しそうなほど、悲しさを纏ったサファイアの瞳。
それが一瞬だけ見えた。
だが、すぐにいつものすまし顔に戻ったリリーナは、「なんだ? 映司?」と小首を傾げ、反応がない俺を置いて歩き出す。
彼女の目には、前を歩くティナの姿がどう映っていたんだろうか。




