21《怪しい男》
少し戻って、決意表明から二日後の事。
既に早い段階で建造が完了している西部の外周防壁。その土台近くに佇んでいる男は首を大きく後ろに倒し、そびえ立つミスリルの防壁を見上げている。
着ている服は綻びが目立つ上に、乾燥した泥や赤黒い血痕で限界まで汚れており、肩から襷掛けにしているのは大きなボロ布を上手く使ってループ状にした物入れ。硬いパンが僅かに入っていたが、そんなものはとっくに食べ尽くしている。手には刃の欠けた手斧を持つのみでまともな武器すら持っていない。
ここ最近、人の手が入った部分が気に入らないのか、野生の勘かは分からないが真明達が転移してからこの辺りの魔物の数は減り続けており、代わりに通常の野生動物が増えている。
だが当然、そんな事を知らない筈の人間が、竜族の領地と恐れられるこのティヴリス大森林に入るには、余りにも貧弱な装備で、巨大な防壁とも相まって不自然極まりない構図だ。
男は途方も無い驚きと喜びに目を見開いたまま、風呂敷の様な布鞄から小さな小瓶を取り出す。
「見つけた……やっと見つけた……! 奇跡だ……でもこれで僕は……」
全てを言葉にし終える前に、小瓶を握りしめたまま崩れ落ちた。
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学ぶ事は重要だ。
現状俺達の体は、説明できない現象の一環なのか非常に丈夫になっている。誰一人、一度足りとも病気に掛かっていないし、不意に指を切っても、数時間経てば綺麗な皮膚が再生されている。異常なのかも知れないが地球での常識など此方では通用しないことは痛いほど理解している、勿論日本人として倫理感は忘れたくないが。
とは言え、病気や致命傷にならないと決まった訳でも無い。何か有った時に少しでも備える為、俺は自室で取り寄せた複数の医学書を開いていた。
そんな俺の元に、兵士達数人と狩りに出ていた筈の夏美が、西の外壁付近で弱々しい気配を察知したんですが! と、息を弾ませながら飛び込んできた。
夏美は微弱な反応ながら恐らく人間だと言う。だが接触したものかどうかその場で判断が付かず、無線で俺に相談しようにも防壁、特に外周部の高い防壁周辺は無線の電波状況が悪い。迷った挙句、走って戻って来たらしい。
窓に掛かるブラインドの隙間に指を掛け、ちらと外を見ると、自宅から少し離れた位置に二人の元兵士が汗だくでへたり込んでおり、二人の間には猪豚の様な動物が転がっている。あれは相当に重かっただろう。
夏美が判断付かないのも当然で、なにしろ俺達が此処に来てからこの森に人族が立ちいる事自体が初めての事だ。此方が気付いていないだけの可能性も捨て切れないが、前例が無い。
俺は大いに悩んだ。そして独りで答えを出すことを諦め、意見を訊くため獅冬、晴彦、セラス、グスタブの四人に来てもらう。
「んー、やっぱり私は行った方が良いと思います。」
「そうっすねー、後味悪いのも嫌なんで自分も賛成派でお願いしまっす」
「俺か?俺はマサに任せる!」
「私は反対。あの貴族どもが動いているだろう事はマサアキだって気付いている筈だ」
「その通りですな、この森は不干渉地帯。入るのは万人の自由ですが、何が有っても自己責任かと」
賛成二人に、反対二人。考えることを放棄したおっさんが若干一名……信頼は嬉しいが正直、意見は欲しい……
「また見事に割れたな。ふむ……俺が決めても異存は無いな?」
多数決を諦め、結局は俺と夏美それとグスタブとセラスの四人で見に行くと話を纏める。
言っていないが人選の理由は有る。夏美はその索敵能力と広範囲に渡る火力を有するし、グスタブとセラスを追加したのは、まだ見ぬ異世界人に対してセラス達と同じ様に言葉が通じる保証はない、言わば保険だ。
準備を済ませ、玄関を出るとコルベットの前でグスタブと晴彦が待っていた。晴彦はここまでコルベットを回してくれていたらしい。運転席に俺、助手席にナビ役の夏美、後部にグスタブとセラスが乗り込んで出発する。
コルベットは、ミスリニウムによるほぼ一体成型に近い造りで継ぎ目も殆ど無い、シートまでもがミスリニウム製だ。車両自体が浮いている為、振動は殆ど無いが、長時間の運用を続ければ、間違いなく将来トイレで悶絶する事態を招くだろう事は必須だ。
獅冬と晴彦の二人は防壁の建造で移動にコルベットをよく使用しているが良く耐えられるものだと思う。
「……夏美。戻ったら材料を手配するからシートに上張りを加工して欲しいんだが」
「……奇遇ですね……私もクッションの偉大さに気付いていた所なんですよ」
「あぁ……偉大だ……その時は俺も手伝う」
後日、二人に普段尻が痛くならないのか? と訊くと、獅冬は筋肉が有れば大丈夫だ! と豪快に笑い、晴彦に至っては自分が乗る時だけ、座った状態で体が半分座席に沈み込むように毎回変形、フィットさせて体圧を分散させているのだそうだ。全く参考にならん。
問題の人物は解りやすい位置に倒れていた。駆け寄ろうとする夏美の肩を掴み止めると、待ち伏せを考慮して周囲を警戒しつつ近づく。
その男は完全に気を失っており、周囲には何の気配も無い。どうやら本当に行き倒れているらしい。
だが、この森に入るにしてはどう見ても装備がおかしい。薄くなっている上着一枚に同じく薄いハーフパンツ一枚。むき出しの手足は大量の虫に刺され、掻き毟った痕跡がある。
どうにも不可解な点は多いが、衰弱していると分かる者を置き去りにするのは忍びない。見たところ軍属や貴族の私兵でも雇われた暴力者でも無さそうだ。
気絶している男の血を血を吸って丸々と膨らんだヒルを探索時に常備している忌避剤で祓うと、グスタブと抱え上げコルベットに寝かす。
帰りは極力揺らさないよう慎重に運転して家に向かった。
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森で倒れた筈なのに自分は今見たこともない美しい造りの部屋に寝かされている。木目の美しい天井、真っ白な紙を貼った格子状の窓。床は藁のような不思議な素材だ。絶えず手足を襲っていた痒みと痛みは綺麗に消え去っており、その体を包む寝具は羽の様に軽く温かい上、ほのかに花の匂いまで感じる。
(あぁ……やっぱり死んでしまったのか。)
自分に取って抗いようのない報酬に釣られ、竜の森に行くと決めた時も、当然死は怖いものだった。しかしこうして死んでみると死後の世界は素晴らしい所の様だ。今までの自分の境遇を考えると死んで良かったとすら思う。
(あぁ……それに美味そうな匂いだ……)
男の鼻を記憶に無い美味そうな匂いが擽る。死んでいても腹が減るのだなと思いつつ、男は体を起こそうとしたが力が足りず、また同じ位置にボフッと倒れこんでしまった。頭の辺りで何かに手が当たり倒れた後、カチャン、と軽快な音がする。不思議に思った時、扉のような物が横に滑り、見たこともない服を来た男が何人かの人を従えて部屋に入ってきた。
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自宅に着くと男を運び出し、玄関に近い一階北東の和室に寝かせる。和室は申し訳程度の六畳間だが、リビングからも近く、男が起きた時反応しやすい。
蛭に噛まれた箇所は微量ずつだが未だに出血が続いている。元近衛の術師を呼んで、治癒魔法を、と提案したが体力の衰弱している者には殆ど効果が出ないそうだ。因みにセラス達を含め俺達は全員治癒魔法は使用できない。
女性陣を部屋から追い出して、グスタブと二人で男の体を拭き、数多ある傷を消毒。止血パッチを貼ってから、化膿しかけている腕や手足を中心に虫刺されに効く抗生物質の配合されたステロイド軟膏を塗布する。終わって静かに寝かすと男は安らかな顔で寝息を立て始めたので部屋を出る。これだけでも結構大仕事だった。
それからは夏美が淹れてくれたコーヒーを飲みながらリビングで待機だ。グスタブとセラスは男が寝てから男の素性を予想したりと話し込んでいたが、今は二人とも静かに待っている。
和室から音が聞こえたのは、夏美が夕食の準備を始めた時だった。
部屋に入ると、男は目を覚ましており、俺達に向き直ろうとするがあまり力が入らないらしく、思うように動けていない。枕元に置いてあったコップは倒れて畳を転がったのか、水差しに当たって止まっている。狭い部屋で男を囲むように座ると声を掛けてみる。
「無理をするな、言葉は分かるな?」
「は、はい、恐れ多いお言葉です……」
よし。言葉は問題無く通じている、これで三例目だ。恐らくだが転移してきた俺達には言語を理解する能力が備わっていると確信して良いだろう。少しの沈黙を挟んだ俺に男は怪訝そうな顔をしてこう言い放った。
「あ、あの……どうかされましたでしょうか……神よ」
「……は?」
その瞬間の俺の顔は余程面白い物だったらしく、夏美とセラスは爆笑、グスタブも笑いを堪えている。
男の名はザッタール。正確な年齢は覚えていないらしく、凡そだが二十四歳位だと言う。
俺はまず初めに、神では無いと言う事を、信じない男に懇々と説明してから、森で保護した事、今は薬が効いているが治っている訳では無いのであまり動くなと言う事。衰弱は激しいが問題は無さそうだと言う事。それらをザッタールはきちんと頷きながら返事をしていたが、
最大の疑問である、『何故あの様な格好で森に居たのか』と言う質問をした途端に俯向いた。
「この小瓶については話せるのか?」
男が握りしめて眠るまで話さなかった瓶に付いても話せないらしく、唇を噛み締めるようにして、首を横に振る。
「そうか、それも話せんか……助けたのは此方が勝手に行ったことだ、恩着せがましく言うつもりは無い。ただし素性の分からん者をおいておく訳にもいかん。」
男は絶望の入り混じった表情でこちらを見ている。
「直ぐにどうこうするつもりは無い。……三日だ。丸三日も有れば体力もある程度は回復するだろう。持ち直せば治癒魔法も使える。四日目に此処を出ろ。この瓶はこちらで預かっておく。それと妙な考えを起こせば容赦はしない。いいな。」
そう言い残して真明達は部屋を出た。
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ここはザッタールのこれまでの生活では考えられない程に快適だった。
治癒魔法を使わずとも傷を癒す薬に温かく美味しい食事。自分に三日で此処を出ろと言った、あのぶっきらぼうな男は見ている限り、ここの者達の中心人物らしいが、嫌そうな顔をしながらも寝汗でベトつく体を毎日拭いてくれている。
薄くだが犬族の血を引いていた母には五歳で貧民街に売られ、その後ナルチョフと言う豪商に買われてからは一度も人間らしい扱いを受けたことは無い。奴隷の寿命は短い。特に肉体労働に従事する奴隷は体力の落ちてくる三十まで使い潰されるか、解雇された挙句仕事も無く野垂れ死ぬかだ。
ザッタールも、かつては仕事を必死で盗み見て、独学で文字を覚え、いつか金を積んで自由になり自分で行商に出るのだ、という夢を持っていたが、二十歳を越えた辺りで、もはや無理だと何処かで気付いてしまった。今回の竜の森探索も、もし発見したら保釈金無しで自由にしてやると言う、もはや自分の命に近いレベルの条件を出されたから飛びついたのだ。
出立の前日に商人の抱える魔術師に依って左ふくらはぎに埋められた小さな石は、右のふくらはぎに埋められている逃走防止用の小さな魔道具と似たようなもので一種の魔道具らしい。取り上げられた小瓶を取り返して飲み干せば、左足の石が反応し、位置を知らせるはずだとナルチョフは言っていた。そんな魔道具があるのかザッタールには分からないが、ナルチョフは馬鹿ではない、嘘では無いだろう。
詳しくは知らないが、初日に部屋に居た銀髪の女性には裏で膨大な懸賞金が掛かっているらしい。
だがあのまま倒れていれば死んでいたであろう自分を見つけ、何も話さないのに介抱してくれている人達なのだ。自分の自由と引き換えに売るのはどうなのだろう。
(これで良いのかな……)
答えは出ない。
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「真明兄、コレ。分析結果っす。組成とか色々コリアミルチンと似てますね。」
三日目の朝、小瓶の内容物の分析を頼んでいた晴彦がそう言って手に持つタブレットを見せてくる。そこには推定された分析結果が植物の写真と共に映しだされている。
「植物毒か?」
「そうっす。この量飲んだらたぶんアウトっすよ」
この結果をザッタールに伝えると呆然とした後、小さな声でちくしょう、と呟いたきり反応を示さなくなった。
そして最後の夜、話があると言うので狭い和室に集まった一同にザッタールは、どういう心境の変化があったのか知らないが、自分が知っている全てを話し出した。
自分が、表向きは違うにしろナルチョフという大商人に飼われていた奴隷だと言う事、懸賞金目当のナルチョフが当たりを付けたのが、この森だったと言う事。そして成功報酬としての自由と引き換えに探索を受けた事。右足には主人の元に戻らない時、自動的に発動する魔道具が。そして左足には位置を知らせるらしい魔道具が埋められており、小瓶の薬を飲めば発動すると聞かされていた事だ。両足の魔道具からは夏美が無理やり魔力を吸い出し完全に枯渇させた、もはや緊急性の高い危険はない。
セラス達の話に拠ると生物が死ぬ時、その体から一瞬だけ多くの魔力が放出されるのだという。小瓶が発動条件でありそれが猛毒という事は、ザッタールの雇い主であるナルチョフと言う男は、初めからザッタールの命と引換にセラスの居場所を割り出す算段で、ザッタールを開放してやる気など毛頭無かったと言う事に為る。
外道としか言いようがない。
「セラスに懸賞金を掛けているのは間違いなく貴族達……そして此処が割り出されるのはもはや時間の問題になってきたか……ここに軍を突っ込んでくる可能性は?」
「此処は周辺の各国で取り決めた不干渉地帯。この場所に居ると断定されても、政治的理由からさすがに貴族共も王国軍を投入しないと思われますな。
ですが姫……セラス様は奴らの喉元に刺さった小骨。いずれ必ず貴族共の私兵や傭兵を送り込んで来るでしょうな」
「ふむ……防衛手段の確立も急務だな……まぁ良い。今この話は置いておこう。ザッタール。奴隷としてお前を縛る枷は無くなった。こちらも居場所を割り出される危険も無くなったが……今後お前はどうしたい?毒殺しようとした主人の元に帰りたいなら構わんが。」
久しく自分の意思を尊重される事など無かったザッタールは、降って湧いた自由に必死で考える。そして、
「……僕は、僕は商人になりたいです」




