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遠雷のオーバーロード〜10歳の転生者は『雷魔法』と『神の蔵』で自由な自治都市を創る〜  作者: トール
第一章:大森林のサバイバルと雷霆の覚醒

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第038話:命の洗濯と癒やしの搾取機関

 


 上下水道が血脈のように街の地下を脈打ち始め、スラムを支配していた死の臭気は、春の風と共にどこかへ消え去った。澄み渡る水と清潔な環境。それは病という名の、俺の帝国における不確定な「バグ」を完全に駆逐したことを意味していた。


 だが、隠れ家の最上階。指先で羊皮紙の報告書をなぞる俺の脳内では、新たな深紅の警告ランプが点滅を始めていた。


「……生産ラインの稼働率は目標値に達した。だが、部品の摩耗速度が想定を上回っているな」


 俺が構築した「自動生産の歯車」。大森林での命懸けの魔物狩り、重厚なオーク材を組み上げる重労働、蒸留所で立ち込める熱気との戦い。先行市民として選別された者たちは、飢えからの解放という奇跡を前に、狂信的な熱意で働き続けている。しかし、彼らの肉体は所詮、脆いタンパク質の塊に過ぎない。指を割く切り傷、鈍い音を立てて折れる骨、そして何より、静かに、確実に蓄積していく筋肉の疲労という名の負債。


 怪我や過労で歯車の一つが数日止まれば、それはそのまま富の還流の遅滞へと繋がる。前世、窓のないオフィスで、青白い顔をした同僚たちが一人、また一人と「調整中」という名の離脱を遂げていく様を嫌というほど見てきた俺には、その損失がどれほどのものか痛いほど理解できた。


 使い捨ての部品として切り捨てるのは三流の経営だ。


「一流は、部品が自ら喜んで修復され、明日も自律的にラインへ戻るシステムを構築する。……究極の福利厚生という名の鎖で、彼らの骨の髄まで縛り上げてやる」


 俺は傍らに控えるグレンとザイードに向け、緻密な設計図を放り投げた。羊皮紙が空を切る乾いた音が室内に響く。


「医療院、そして巨大な『温浴施設』を建設する」


「い、医療院……それに、お湯を張った巨大な館でございますか?」


 グレンが困惑に瞳を揺らす。この世界において、病は神の罰、あるいは不運な運命であり、癒やしとは高位の聖職者に莫大な寄付を捧げてようやく得られる「奇跡」なのだから。


「そうだ。俺の『マジックバッグ』には、ルミナス・トレントの回復シロップや、大森林の薬草が腐るほど備蓄されている。これらを絶妙に希釈した『活力のポーション』を安価に提供し、外傷や疾病を即座にリセットする医療拠点をスラムの入り口に造れ。……ただし、治療の恩恵に預かる条件は一つ。『明日から再び、俺のために健やかに働くこと』だ」


 健康という生存の根源を握る。それだけでも絶大な支配だが、俺の狙いはさらにその先――日々の蓄積疲労という重圧を、一瞬で快楽へと転換させる究極の機関にあった。


「そして医療院に隣接させ、巨大な『大衆温浴施設』を建立する」


 俺は黒い金属棒の先端で図面の一点を強く叩いた。


「蒸留所や木炭窯から吐き出される莫大な廃熱を回収し、大森林の深淵……アクア・サーペントが棲んでいたあの魔力水を惜しみなく引き込む。浴槽は滑らかな白御影石で設え、壁面はオーク材の香りで満たし、湯船には季節の薬草を浮かべる。……だが、真の目玉はこれだ」


 俺は指先からチリッ、と青白い火花を散らした。空気中にわずかな焦燥感が漂う。


「俺の『雷魔法』を応用し、魔導具師に専用の魔法陣を組ませる。人体に無害な極めて微弱な低周波の雷を、湯の中に断続的に流し続ける『電気風呂エレクトロ・バス』だ」


 数週間後。


 スラムと商業区の境界線上に、白亜の巨大な施設がその産声を上げた。


 夕刻、一日の過酷な労働を終えた先行市民たちが、泥と汗にまみれた身体を引きずりながら、真新しい施設の門をくぐった。彼らの表情には、拭い去れぬ疲労が濃い影を落としている。だが、施設ののれんをくぐり、広大な浴場へと足を踏み入れた瞬間、彼らの足は吸い付くように止まった。


「……なんだ、こりゃあ……」


 モヒカン男が、呆然と口を開けた。眼前に広がるのは、湯気で煙る白御影石の楽園。立ち昇る豊かな蒸気と共に、オーク材の香ばしさと、大森林の薬草が放つ鼻腔を抜けるような清涼感が、彼らを包み込んだ。


 彼らは促されるままに汚れを流し、恐る恐るその湯船へと足を踏み入れた。


「あぁぁぁ……ッ!!」


 肩まで湯に沈めた瞬間、男たちの口から、魂がとろけ出すような深い溜息が漏れた。魔力水が皮膚の表面からじんわりと浸透し、凍えていた内臓を芯から温め上げる。強張っていた筋肉の繊維が、熱によって解き放たれ、水中に溶けていくような錯覚。


「おい、こっちの青く光ってる湯はなんだ……?」


 一人の男が、底から微かに青白い魔力光を放つ小さな浴槽に足を踏み入れた。


 ――ビリリリリッ。


「うおぉぉっ!? なんだこれ、痺れる……痺れるぞ!」


 最初は驚きに身をすくめたが、数秒後、その表情は劇的な快悦へと塗り替えられた。


「いや……痛くねえ。むしろ、凝り固まった肩や腰の奥を、目に見えない無数の手がグイグイと揉みほぐしてやがるみたいだ……! すげえ、疲れが、ドロドロと溶け出して消えていくゥッ!」


『電気風呂』。

 雷魔法による微細な生体電流の操作が、労働で蓄積した乳酸を強制的に分解し、筋肉の深部から疲労をデトックスしていく。


 湯気と香りの共鳴、オーク材の温もり、そして心地よい電気の痺れ。

 五感を極限まで甘やかされ、痛みを完全に拭い去られた労働者たちは、ふらふらとした足取りで湯上がり処へと導かれる。


 そこには、氷の魔石でキンキンに冷やされた、琥珀色のシロップを割った暴力的に甘い果実水が待っていた。


 ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……ぷはぁぁぁッ!!


 火照った身体に、冷たくて甘美な液体が喉を鳴らして流れ込む。


「……極楽だ。ここは天国かよ……」

「俺、明日もボアを十頭狩ってくるわ。そんでまた、このお湯に入るんだ……!」


 風呂上がりの果実水で活力を「強制充填」された彼らの瞳には、疲労の欠片もなかった。ただ、明日もこの至福を味わうために、俺というシステムに命を削って尽くすという、ギラついた狂信だけが輝いていた。


 隠れ家の最上階。

 開け放たれた窓から、スラムに建つ施設の煙突が、豊かな湯気を夜空に吐き出すのを見下ろしながら、俺は冷たくグラスを傾けた。


「……人間は、苦痛だけで縛ればいつか壊れる。だが、完璧な『癒やし』を与えれば、自ら進んで無限の労働という名の地獄へ飛び込んでいく」


 前世。深夜二時、終わらない残業でボロボロになりながら立ち寄ったスーパー銭湯。あの熱い湯と、風呂上がりの甘いコーヒー牛乳の味。

 あれは労働者のための救済ではなかった。翌日も再び、文句を言わずに満員電車に乗って会社へ向かわせるための、社会が仕掛けた巧妙な「メンテナンス」だったのだ。


 俺はかつて、その罠に絡め取られる側の家畜だった。

 だが今、俺はこの異世界で、すべてを支配し、癒やしという名の首輪をかける側の『絶対者』となった。


「トール様。……貴族向けの高級スパの会員権も、即日完売いたしました。領主ボルガ伯爵も、すでに専用の特別室で電気風呂の虜となっておいでです」


 背後でグレンが、畏怖と感嘆の入り混じった声で報告を上げる。


「当然だ。権力者ほど、失うことを恐れ、健康と長寿に執着する。彼らの命の長さすら、俺の魔法陣とお湯の温度が握っているんだからな」


 食糧、酒、エネルギー、治安、インフラ、そして医療と癒やし。

 都市の血管から内臓に至るまで、すべての機能が俺の供給なしでは一秒たりとも稼働しない。


「これで、俺の『盤上の城』の内装はすべて完成した」


 月光を吸い込む鉄羽と深海の青鱗が編み込まれた『蒼黒の鱗羽鎧スケイルメイル』を重厚に鳴らし、俺は黒い金属棒を夜空に掲げた。先端で爆ぜる青白い火花が、俺の不敵な笑みを闇の中に浮かび上がらせる。


「戦国時代の堺を超える、絶対的な自治都市。……さあ、世界よ。俺の掌の上で、好きなだけ踊り狂え」


 春の夜風が、薬草の香りと人々の熱狂を運んでくる。

 三十代の社畜が構築した、究極の搾取と救済の帝国は、ここに完全なる姿をもって完成の刻を迎えた。

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