第017話:咆哮する火影と超克の視座
地平線の端、蒼褪めた夜空に向かって細く長く立ち昇る一筋の煙。
その足元から風に乗って届いた、微かだが決定的な「人間」の気配に向け、俺は新たなる異能『気配察知 Lv.1』の感覚を極限まで鋭敏に研ぎ澄ませた。
視覚と聴覚を一時的に遮断し、意識の全神経を脳髄に直結した「命のレーダー」へと預ける。
闇に沈んだ平野の向こう側、距離にして数キロ先。そこから俺の脳裏へフィードバックされてきたのは、焚き火を囲む平和な団欒などではなかった。
「……十、十五……いや、二十か。だが、この波打つような動揺はなんだ」
気配の群れは、歪な二つの集団に分かれていた。
一つは中央に固まり、死の恐怖に震え、心音が激しく不規則に乱れている脆弱な集団。そしてもう一つは、それを包囲するように蠢き、明確な「殺意」と「暴力」の熱を周囲に撒き散らす攻撃的な集団だ。
三十代のサラリーマンとして幾多の修羅場を「論理」で切り抜けてきた俺の脳が、即座に現状の解答を弾き出す。
「夜襲か……。盗賊の類が、無防備な野営を食い物にしているわけだ」
俺は目を見開き、夜の平野へと躍り出た。
レベル8に到達し、AGI(敏捷)が40まで跳ね上がった十歳の肉体は、もはや質量を持たない風そのものとなって地を蹴る。
外側には黒光りする鉄羽を、内側にはしなやかな青鱗を秘めた『蒼黒の鱗羽鎧』が、月光を吸い込み、夜の闇に完璧な迷彩として溶け込んでいた。
現場に近づくにつれ、夜風は次第に鉄を焼くような不快な匂いと、獣じみた怒号、そして魂を削るような悲鳴を運んできた。
俺は丘の稜線に身を伏せ、眼下で繰り広げられる「惨劇」を網膜に焼き付けた。
燃え上がる数台の馬車。爆ぜる木材の音。
そこを取り囲むのは、垢染みた革鎧を纏い、下劣な哄笑を上げながら錆びた剣や斧を振り回す、十数人の荒くれ者たち。
対する馬車側は、数人の護衛が絶望的な防衛陣を敷いているが、その背後では商人たちが膝を突き、神に祈るかのように震えている。
「これが、この世界の『人間』……」
俺は丘の上から、冷ややかにその戦力差を測定した。
異世界に来て初めて目にする同族。だが、俺の胸に去来したのは、同族に会えた歓喜でも、弱者が虐げられることへの義憤でもなかった。
「……遅い」
無意識に、嘲弄を込めた呟きが漏れた。
盗賊たちが力任せに振り下ろす剣の軌跡も、護衛たちが必死に繰り出す槍の切っ先も、俺の視界ではまるで泥濘の中を泳ぐスローモーションのように映ったのだ。
あの深緑の地獄で、俺が命をチップに賭けて殺し合ってきた強者たち。
岩を砕く質量で突進してきたレッサーボア。
空を覆い尽くし、金属羽の爆撃を降らせたギア・クロウ。
水底で音もなく迫り、全身の骨を粉砕しようとしたアクア・サーペント。
彼ら森の覇者たちが放っていた、一瞬でも思考を止めれば死に直結するあの極限の速度、あの魂を凍りつかせる殺気に比べれば――眼下の人間たちの営みは、あまりにも鈍重で、あまりにも脆弱だった。
俺のスペックは、すでにこの世界の「平均的な人間」という枠組みを遥かに凌駕してしまっている。その事実が、乾いた論理として俺の心に沈殿した。
「さて、どう運用するか」
俺は右手に握る黒い金属棒を静かに掲げた。
誰かの家畜として生きるのも、理不尽な搾取に甘んじるのも御免だ。戦国時代の堺の如く、圧倒的な富と力を背景に、領主とも対等に渡り合う自治都市を築く。その野望の第一歩として、あの商人たちに「計り知れない恩義」を売り、文明社会への通行証と生きた情報を手に入れるのは、極めて効率的な投資だ。
「……救出。いや、回収と行こうか」
俺は腰の銀色ナイフには触れず、黒い棒の先端に意識を集中させた。
初級のスパークではない。出力と威力をミリ単位で調整した『ライトニング・ボルト』。この精密狙撃こそが、レベルアップを果たした今の俺が振るえる「支配」の力だ。
丘の上から、馬車に群がる盗賊の眉間を冷徹に睨み据える。
「俺のしたいように、この世界を塗り替えてやる」
俺の明確な意思と殺意に呼応し、黒い棒の先端に青白いプラズマが渦を巻き、凝縮されていく。
文明社会との最初の接触。
俺は無力な迷い子としてではなく、圧倒的な武力と計算高さで盤面を支配する「超越者」として、彼らの前に舞い降りる決意を固めた。




